川底を流れる小石のように。 〜番外編〜 海老蔵への道!
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2005年04月05日(火) |
花魁八ツ橋にめろめろにされた。 |
ようやく昼夜通しで、観てきた。 午前10:40には歌舞伎座入りし、午後9:30までみっちり。 居眠りもせず、もの凄く引きこまれて集中して見たせいか、 もうぐったり。 (いつもは、どこかで気を失ってた。)
今日、一番心わしづかみにされたのは、 夜の部最後の演目「籠釣瓶花街酔醒」(かごつるべさとのえいざめ)の 八ツ橋花魁の玉三郎さんだった。 す、す、すごいいいい。玉さん凄いっすううう。 助六の揚巻で、玉さんの花魁姿は見たことあったのだけれど、 八ツ橋は、やっぱ特別なんだなあ。 見染めの場、光り輝くオーラに包まれて登場した八ツ橋は、 私が今まで出会ったことのある、美しいモノのベスト3以内に入ると思う。 息をのむ美しさだった。 それは衣装や鬘や、表面的な美しさももちろんだけれど、 玉さんが、本気の本気で存在感全開で、江戸吉原仲之町一の花魁をやってるという、 溢れ出る輝きというか、そんな美しさ。 八ツ橋には、あまりにも有名な花道での見せ場、 七三で立ち止まり艶然と微笑む場面があるのだけれど、 それがまた格別! 私は過去に伝説の大成駒・歌右衛門さんのをテレビで、 それから福助さんのを歌舞伎座で見た記憶があったのだが、 どちらも「ニーーッ」と笑うので、 なんだかアレレ?これが有名なシーンなの?くらいの感想だった気がする。 今日の八ツ橋は、フッと微笑むのだけれど、そのフッが素晴らしかった。 あの素晴らしさを上手く書きたくてもかけないのが、もどかしい。 色っぽくて儚げで、そりゃあもう何とも言えない美しさ。 そこから傾城独特の八の字を踏みながらの道中・・・。 カンザ演ずる次郎左衛門門同様、私もすっかり魂抜かれてしまう。
今日の八ツ橋は、とびきり綺麗で美人で、でも狡くて弱い、悲しい女性だと思った。 粋に遊んで贔屓にしてくれる田舎のお金持ち、 大の御得意さんの次郎左衛門には、義理も情も感じていたのだろう。 だからこそ身請けの話もすすんでしまい、 愛しい間夫(ニザさん演ずる色男)と身請け話の板挟み。 八ツ橋は八方美人したあげく、手ひどく次郎左衛門に愛想尽かしをする羽目になってしまう。 悪い女、嫌な女に見えてしまいそうなこの役だが、 その八ツ橋とて、しょせん売り物買い物ということで、思うにまかせず、 切なく弱い女性の立場ではあるわけだ。 縁切りの場。 次郎左衛門に、話すのも嫌、身請けも嫌、もうこれきりにしてくれと、 突然の愛想尽かしを固い表情でする場面。 決して次郎左衛門の方を見ようとせず、きつい表情のままの八ツ橋なのだけれど、 あ、八ツ橋さん泣いてはる・・・と思った。(なぜかここだけ関西弁) 泣き顔も涙も勿論見せない。 ましては歌舞伎のお約束「ああああ〜〜〜〜」と泣き崩れるわけでもなく、 ひたすら「嫌でありんす」の一点張りなのだけれど、 八ツ橋が心で泣いてるのが感じられた。 だから「つくづく嫌になりんした」と次郎左衛門の事を言ってる、その台詞が、 つくづく自分が嫌になりんした、と言いたいように見えた。 いっそ、わちきが悪うござんした、許しておくんなんし〜とでも泣いてみせれば、 楽になるのに・・・。 それだけはしないのが、八ツ橋の女の意地なのか。
それを受けて立つ、新勘三郎の次郎左衛門。 冒頭の、まるっきりの田舎モノで、しかも顔はあばただらけから、 八ツ橋に心底惚れ込んで、誠意の限りを尽くして、 ひたすら粋に通い詰める様子、 そして、突然の縁切りで「花魁、そりゃああんまりそでなかろうぜ」と打ちひしがれる場面。 玉さんカンザ、がっぷり組んで、それは迫力の舞台であった。
ともかく圧倒された。
それ以外にも、團パパの荒事「毛抜」や、 久々の歌舞伎座海老蔵も、今日の勘太郎のマイマイづくしも、 まだまだいっぱい書きたいけれど、 もうヘロヘロ。 座ってるだけとはいえ、エネルギー使うみたいだ。
そうそう、昼の部で津川雅彦さんを見かけた。 実はこの方と同じ日に観劇するのは、これで三度目。 昨年6月の助六では、両親の席の前に、 8月大阪松竹座では、私の後ろに座ってたのだ。 (津川さん海老蔵えびぞうと、海老蔵のことばかり話していて、 海老の出ていないところでは、居眠りなさってた。うはは) 今日も、オーラを消して、さっくり観劇。 きっと好きなんだろうなあ。
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