なべて世はこともなし
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|アイルランド真実紀行へ
2006年06月19日(月) |
掲示板で突っ込まれたので、今一度Raffle Ticketsについて考える |
掲示板のお返事、思いきり長くなってしまったので日記として更新します。
ひろさんのご投稿を転載
こんにちわ、SNIGELさん。 ラッフルチケットのことですが、チケットを買ってくれない同僚はケチだと思いますか? 私は毎日の様に(ここ最近はほぼ毎日です)家にしかも夜、押しかけてくる色々な種類のチャリティーに嫌気がさしており困っております。 学校からそういうラッフルチケットをもらって来る子供達も数知れず。 正直、そういうものに毎回寄付をしていたら、生活にも困ります。 始めは丁寧に2ユーロ〜5ユーロをあげていましたが、最近は私はお金に困っているんだと言って断っています。インフレの続くアイルランド、生活は決して楽ではありません。断った時の彼らの冷たい目に罪の意識を感じることもしばしばです。SNIGELさんはそういうことで困ってはいないのですか?この国のチャリティー、どこまで信じられるかって、私は全く信じてません。
こんにちは。いらっしゃいませ。
今回の日記、ちょっとフツーじゃない逆転現象が起きてます。通常ならば、私、ひろさんの立場で書いているはずなんですよね。つまり、
「寄付寄付うぜえんだよ。どうせ正しく使ってないんだろうが。ボケッ」
という内容にいつもだったらなっていたはず。ところが、私が偽善者ぶってRaffle Ticketsを売る立場になってしまったからいわば立場が逆転してしまったわけで。かくして確かにいつもの私では書き得ないような内容になってます。反面、アイルランドのチャリティーには大いに疑問ありなので、16日の日記は前半と後半で互いに矛盾しているような内容になってます。
ひろさんのご意見にまったく賛成なのは、この国のチャリティーがを信じられるかどうかって部分ですね。おそらく信用できないでしょう。16日の日記に書いた通り、そんな中でこのBeaumont Hospitalのは比較的信用できるのではないかと思って(というか願って)いるのですが。下に詳しく書いてますが、私も、信用できないチャリティーは躊躇なく断ります。まして、見知らぬ人からの依頼だったらなおさらです。
で、ご質問の「チケットを買ってくれない同僚はケチだと思いますか?」ですが、答えから言うと「はい。ケチだと思います」が正直なお答え。二つの理由があります。
まず、こういうRaffles Ticketsを売っている人は、ほとんどすべての人がおそらく善意でやっていると思います。売る側の論理としては「自分はいいことをしているのになんで協力してくれないんだ!」という思いがあると思うんですよね。断られたとき。
実際私もそうでした。「たかが2ユーロ、なんで協力してくれないんだ!」って。そういう売る側の論理で言わせてもらうと買ってくれない人はケチです。
で、断るにしても、相手によりけりでしょうし、断り方によっても印象が違ってくると思います。断られた会社の同僚の場合、「知り合い」であるにも拘らず、「私には関係ない!」という態度で断ったというのがちょっといただけないなあと。あとは、ちょっと癪に障る言い方をされたんですよね。ま、それはともかく。
私だって、夜のんびりしているときにドアを叩いてきた見ず知らずの人に寄付を要求されたら多分断りますよ。理由は何度も書くように、その人が信用できるかどうかわからないし、集められたお金が正しく使われるかもわからない。だけど、会社の同僚とか友人だと話の次元がちょっと違ってきませんか。あとは、断り方にもよりけりですよ。
で、ここまで書いてふと気がついたけど、これって、Q州のイナカの近所づきあいと同レベルだわ(O分のイナカでは隣保班と言います。ご存じないでしょうけど)。イナカでは未だに10件向こうのほとんど会ったこともないじーさんが亡くなったら、葬式の手伝いだ何だで一日駆り出されたりしますが、それは断ることのできない「しきたり」なわけで。断ると村八分にされかねない…というのが日本のイナカ。この辺は、昨日の日記に出てきた、佐藤直樹氏著「世間の目」を読まれたし。
翻ってこちらアイルランド。もちろん断っても村八分になんかされませんよ。日本に比べて善しにつけ悪しきにつけ個人主義が進んでますからね。反面、会社で同僚に頼まれたRaffle Ticketsをほとんどの人が(少なくとも表向きは)文句を言わずに買うというのは、アイルランドというイナカでは、日本のイナカのしきたりに近いものがあるのかなあ…という気もします。
ひろさんが「罪の意識を感じる」ってのは、この辺から来てるのかな…という気がします。16日の日記にも書いた通り、そういう断りにくさを利用して、善意の押し売り、生命保険のおばちゃん方式でこのRaffles Ticketsを売ろうとしてるなら、かなり嫌ですね。
そして、もう一つ、ひろさんと私の大きな違いは、この寄付を要求される回数の違いですね。なぜだか知りませんが、今住んでいる家、そういう寄付を求めるような人がドアを叩くことはほとんどありません。あれ、今年一回でもあっただろうか…というレベル。運がいいんでしょうね。
会社でもしかり。最後にRaffles Ticketsを買ったのはさあ、去年の秋くらいだったっけか…という感じです。正直言って、「毎日の様に押しかけてくる」というのは驚きですね。というか、私だって、毎週でも辟易するだろうに、毎日だったらやっちゃおれんと思うでしょうね。毎日2ユーロとすると30日で60ユーロ。冗談じゃないです。私だって断りますね。そういう意味では、私がひろさんの立場だったら間違いなく断りますね。
もし、誰かが毎晩ドアを叩いて寄付を求めてこられたら、「寄付することはやぶさかじゃないけど、あなたがたの組織が信用できるかどうかわからないから遠慮する」とか、そういう言い方のほうが「お金がないから」とかいう言い方より断る側としては気分がいいかも。上にも書いた通り、日本のイナカと違って、村八分とかにあうわけじゃないので、不必要に罪の意識を感じることはないと思います。
ウルトラ反則技としては、こっちでもRaffle Ticketsを用意しといて、「私はあなたの買うから、あなたは私の同額買ってね」とかいうのはどうでしょう(うわあ、すごいな。この発想)。私がドアを叩いて売る側だったら、諦めますね。
これはさらに偽善者ぶってると笑われるので、書こうかどうか悩んだのですが、私の中で、アイルランドでも日本でもスワジランドでもどこに住んでいても、その社会に最低限の貢献をするべきだと思います。威張る話でもないので書いてませんでしたが、献血だってあれだけバカにしながら、実は年に3-4回定期的にやってたりとかするのです。
そんな中で、このRaffles Ticketsの話が来たので、ささやかな社会貢献のつもりだったのですが、断られたときといい、ひろさんの投稿といい、いろいろ考えさせられました。確かに、善意の押し売りというのは考えものですよね。次回、こういう話が来たら、やった方がいいのか断った方がいいのかじっくり考えてみたいと思います。…そう、結論としては、正直よくわからないですが、ひろさんの投稿のおかげで、少し深く考えることができました。ありがとうございました。
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