なべて世はこともなし
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|アイルランド真実紀行へ
2002年09月28日(土) |
ひでかす洪水のチェコを逝く(その8) |
8回にわたりだらだらと続いてきたひでかす旅行記。ついに感動の完結編。
ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅(7)--
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―――国境、そして… (最終回)―――
列車は2両編成のディーゼル車。定刻に出発した列車はのろのろと草原を行く。列車の中で僕らはおもむろにごそごそと食べ物や飲み物を探し始める。腹が減ってきたのだ。
旅の伴となった二人組は、聞くとあのドレスデンから来たそうだ。家は郊外にあり無事だが、なにせ全てのドレスデン行きの列車が運休。とりあえず国境まで行き、そこで父親が車で迎えにきてくれる予定なんだそうな。「大変ですねえ」とひできす+Sがため息をつく。ドイツ語の会話に疲れたひできすは客室を出てデッキに立ち、ドアの窓をあける。風が気持ちい。窓から顔を出して前方を見ると、川があり鉄橋が大きなカーブを描いてかかっている。
「これかな、国境。」 …というのは、乗客のほとんどが一つ前の駅で降りてしまったからだ。 橋をこえると、列車は教会のある小さな街の駅に滑り込む。ホームの向こう側にドイツ国鉄のぴかぴかの赤い新車が止まっている。まがいも無くここはドイツの街Zittau(ツィッタウ)。感無量だ。
僕らが着いたプラットホームはまだチェコ側。その先に入国審査と思われる掘建て小屋のようなのが立っている。僕ら4人がそこへ進むと、おっさんがぼーっと立っていて実はそのひとが入国審査官。むすっとして僕のパスポートそ睨みこむ。…ずいぶん睨んだね、このひとは、と思っていると、あごをしゃくって「行け」と言う。さあドイツだ。パスポートをしまって歩き出すと、異様にフレンドリーな兄ちゃんが
「パスポート見せて、えへ。」
と言う。「ん?今見せたぞ」と思ったが、この人は見慣れたドイツ警察の制服を着ていたので、
「ははあ、さっきのはチェコの出国審査で、こちらはドイツの入国審査というわけか」と気づいた。まあEU以外の国から入国するのだから当然と言えば当然か。
パンパカパーン。おめでとうございます。チェコ脱出及びドイツ入国達成記念。ぷかーっと記念にタバコをやりましょう(駅はもちろん喫煙可)。
さっきの二人組とはここでお別れ。僕らはドイツ製のぴかぴか列車の車掌に列車の状況を聞く。
「このルートは、ここからあそこまで運休。そちらのルートは20分遅れ。あちらのルートは、洪水の影響のある地域を通るが、今のところ定時運行。」…実に明瞭詳細。さすがと言える。僕らは「あちらルート」をとることにし、とりあえず最短区間の切符を買って列車内で清算することにする。
列車は2階建てで、外がぴかぴかなら車内もぴっかぴか。この手の新車は東部ドイツで多くみられる。列車は静かにZittauを出発した。車内はきれいで新しいが、どうもやはり列車の旅は、窓を開けて外の風を感じながらごとごと揺られていく方が楽しい。そういう意味ではチェコの列車は楽しかったなあ。なんてことを思いながらしばらく行くと、列車は川が線路すれすれまで増水しているところをゆっくり進んでいく。「ここもそのうち運休かなあ。」
ここでドイツ国鉄の車掌氏登場。
歳にして30歳くらいだろうか。わりとつくりの良い顔にご立派なヒゲ、そしてかわいらしい目が2つのっかている好男子(僕にその気はありません)。 このヒゲ氏がとにかくすごいのなんのって。何がすごいのかって? 今にわかります。
まずこのヒゲ氏、僕らのチケットを手に取り「どちらまで?」 Sが「ベルリンに行きたいんですが」というと、腰からぶら下げていた特製の計算機をピッポッパとやりはじめた。ヒゲ氏真剣。沈黙のひととき。時々ヒゲは「ベルリンのどの辺ですか」なんてことを言いながら一瞬にこりと微笑み、また真顔で計算機に戻る。10分くらい経ったろうか、突然ヒゲ氏「ちょいと失礼」 と言って、切符を持ったまま行ってしまった。トイレかな?
外を見ると列車はとある駅に着いている。ヒゲは列車のドアを開けに行ったのでした。列車が動き出すとヒゲ氏はまた戻ってきて、「もうすぐだからね」とか言いながらまたピッポッパッ。
こんな事を2度繰り返し、とうとうヒゲ氏は僕に3枚の切符を渡したのでした。僕がほけえーっとしていると、ヒゲ氏はSに
「えー、いろいろな種類の切符を検討し、可能な組み合わせを考慮した結果、普通の片道切符より5ユーロばかり安くやりくりできました。こちらがその切符達であります。まず一枚目がなんとか駅までの片道切符です。そこからはザクセン州周遊切符が使えます。これが2枚目。そして3枚目はベルリン市内フリー切符。これは路面電車も含まれているのであなたの家の前まで行けますよ。おっと、列車が次の駅に到着します。私はこれにて失礼。」
僕は目が点。ぽかんとしながら追加分の料金を払うと、自慢のヒゲをたなびかせて、風のように去っていった。
マニアック。国鉄職員はイギリス同様、最も安いチケットを探す義務があることは知っていたが、しかしたった5ユーロの事で20分1車両に留まってピッポッパは、好きじゃないとなかなか出来ないと思う。いやあ、驚いたのなんの。しかし、文句はありません。ドイツ国鉄は高い。これくらいやらないと乗客からいいイメージを得る事が出来ないのかもしれません。
ベルリンに行くには、GoerlitzとCottbusで列車を乗りかえる。最後のCottbusをでれば、Berlin-Alexanderplatzまで直行。やれやれ、シートに座ると安心感でどっと疲れが感じられた。一眠りしたい。
僕が一眠りする直前、女性の車掌さんが検札にやってきた。 「これで最後だなあ」 そう思いながら僕は先ほど別の列車でヒゲ氏に渡された3枚の切符を差し出した。それを受け取るとこの女性車掌、しばらくじーっと切符を睨みこんで一言、
「あたしならもっと安くできたわ。この前の車掌はまだまだ青いわね。」
だーっ、このマニアック集団。もうほっといて(懇願)。
僕らがベルリンに着いたのは夜の11時すぎ。プラハからここまで実に約11時間。つまり普段の2倍近くの時間がかかったわけです。いやはや短い期間にいろんな事が起こったのでくたくたになってしまいましたが、なかなかこんな経験は出来ず、忘れられない思い出の一つになった事は間違いありません。
この長い物語も今終わろうとしていますが、 「洪水の写真ばかり撮って、美しいプラハの絵はないんかい?」と言う君やあなたのために1枚写真を載せておこうと思います。
プラハは、それはいい所ですよ。
ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅…(おわり)。
(写真:Snigel紛失!)
(あとがき) 昨日仕事中、プラハの旅行会社から電話。電話の先の多分絶世の美女のお姉さんに 「その後どうですか」 と聞くと、 「まだまだ大変なのよ。市内の橋は2つを除いて全て閉鎖しているし、車での市内の走行は禁止されているわ。ただ、時計台は直ったわよ。」 地下鉄はどうなったんだろう(聞くの忘れた)。おそらく他のドイツ、ハンガリーの街でも復旧には相当の時間がかかるのでしょう。あの日プラハで黙々と土嚢を積み上げつづけていたボランティアの人達の事が目に浮んできました。
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