なべて世はこともなし
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|アイルランド真実紀行へ
2002年08月11日(日) |
「たとえタダでも二度とエアフランスには乗らない!」そう断言できる理由とは? |
www.e-bookers.comや、www.opodo.comなど、ネット上の旅行代理店のサイトに行き、各所への運賃を比較してみると、必ずといっていいほどくされエアフランスは安さの上位に顔を出します。最近英国航空なども低価格路線に走っているようですが、くされエアフランスはそれ以前から一国を代表する航空会社としては低価格を武器に顧客を集めていたと思います。
で、私が初めてエアフランスを利用したのはアイルランドで就職する前。つまり今よりも輪をかけてビンボーだった訳で。となると「何でもいいから一番安い航空会社」というわけで、エアフランスを利用する羽目になったのです。
初めての旅はミラノ(リナーテ)からパリ経由ストックホルムでした。これがまた最悪のフライトでして。とにかく悪天候だか気流が悪かったのだか知りませんが、
ガタガタガタガタ
落ちなかったのが不思議なくらいの上下左右揺れっぱなしの最悪のフライト。エアホステスが何かフランス語でアナウンスをしているかと思いきや実は英語だったり(理解不能)。私はちょっと死を予感した。
初めて行ったパリのシャルル・ド・ゴール空港はそりゃあもう遠くからの見栄えだけにこだわったターミナルの作りで中は複雑怪奇で意味不明。意味もなく長い通路を歩かされてようやく外に出たと思いきや、今度は別のターミナルまで月ほども遠い距離を歩かせる。世界のハブ空港としては私はロンドンヒースロー以下の最低空港と信じて違わない。以上、細かく書く気力がないのでダイジェストでお届けしましたが、行った人なら分かってくれる。シャルル・ド・ゴールは最悪空港。
で、まあ、これくらいなら私もここまで文句は言いません。
次に乗ったのが、今度はミラノ(リナーテ)からパリ経由ハノーバーまで。この頃になると私は旅慣れてきて、自分のお気に入りの席などもありそれをミラノリナーテ空港でリクエストしてみました。すると笑ったことのなさそうな能面顔の受け付けのおねえさんは一言冷たく
「ない」
で、いざ搭乗しようとすると
「あ、お客様はこちらからどうぞ」
と飛行機の最前部の入り口ではなく、最後部の入り口を指差される。最後部の入り口から乗ると前方はすかすか、なのに最後部の方は隙間無くお客が詰め込まれている。
この理由は離陸後すぐに分かった。ミラノ−パリという近距離のフライトにもかかわらず、わざわざキャビンをビジネス、エコノミーという分けかたではなく、ビジネス、エコノミー、ど貧民クラスと3クラスに分けていたのだ。言うまでもなく私は隙間なく詰め込まれたど貧民クラスのリクライニングすらできないさらに一番後ろの席。ど貧民クラスは入り口すら隔離する徹底した差別ぶり。
で、私を究極に怒らせたのが朝食。ビジネスおよびエコノミークラスにはスクランブルエッグを初めおいしそうな朝食がトレーに載せられて出されたにもかかわらず、ど貧民クラスには冷めた小さなクロワッサンが「ほれ食え」と言わんばかりに私の鼻先に持ってこられてそれでおしまい(実際、エアホステスは何も言わずにクロワッサンの入ったカゴを私の前に突き出した)。そう、食べ物の恨みは恐ろしい。究極に空腹で機内食に大きな期待を描いていた私にとってこの絶望感は忘れ得ぬものになった。
ちなみに、私が希望した席はちゃんと空いていた。が、そこは「ど貧民クラス」用ではなく「エコノミークラス」用だったので、にべもなく「ない」と言われたということもわかる。
で、繰り返すけどまあこれくらいの経験なら私だってここまで文句は言わない。そりゃ、より高い金を払っている人を厚遇するのはある意味理にかなっている。貧乏人のひがみといわれればそれまで。が、次のエアフランスでのフライトをして私に
「ただでもエアフランスには2度と乗らん!」
と言わしめるまでになったのです。その経験とは…次回に続く。
ちなみに。上に書いたのはミラノ−パリ間のお話。パリ−ハノーバー間は結構快適な旅でした。理由は簡単で、その区間は共同運航のEurowingsというドイツの航空会社によって運行されていたから。
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