なべて世はこともなし
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|アイルランド真実紀行へ
2002年05月22日(水) |
年でいちばん無意味な日(year 2)...去年と何が変わったのか? |
ダブリンに特に結婚だとかそういう関係をアイルランド人と持たず「ガイジン」としてEUの外からやってきている私のような人間は必ず最低年に一度Harcourt Streetの恐怖の館に行かねばならない。その恐怖の館とは"Alien office"。はい本日行ってまいりました。
私がこの恐怖の館に最初にお世話になったのは96年。語学留学をしていた当時。本当にのんびりしてまして、午後1時に学校が終わってそれから行っても1時間程度で済むような状態でした。
ところが「アイルランド就職戦線異常アリ」で詳述している通り、しばらく日本にいた私は98年の冬にダブリンに何を血迷ったか舞い戻ってきた。で、その時にこの恐怖の館の状況は完全に一変しておりまして。朝から並ばないと順番待ちのチケットが取れない。で、その状況は年々再々時々刻々と悪化していきまして、去年なんか私は朝の6時過ぎから意味もなくぼーっと並び、しかもそれでも自分の順番が回ってくるのは昼過ぎという悲惨な状況になっていた。
で、長時間並ぶという肉体的苦痛もさることながら、それよりもオフィスの中のやたらと重苦しい雰囲気、カウンターでビザが取れずに怒鳴る人間。生気のない目をした難民、両手に子供を抱えた世を儚んでいる趣の女性…等々。中で待つことが本当に精神的にも苦痛な、一年のうち一番いやな日と言っても過言ではなかった。
ところが。「投稿編」にもある通り、何やら今年は状況が一変したらしい。まず、お役所であるにも拘らず、月曜日から木曜日までの開庁時間は朝の8時から夜の10時までと一部のスーパー並みに。しかも小汚い「グリーンブック」と呼ばれる「外人登録証」がデジカメを使ったクレジットカードサイズのカードになり…となんだか恐怖の館に革命が起こったらしいのだ。
で、5月末日でビザの切れる私は、会社の了解を得て勤務時間扱いでこの恐怖の館に行ってきた。「終わり次第会社に行く」と言う約束だったから、くそまじめにも私は、いつもと同じ時間のバスに乗り、午前8時30分頃、恐怖の館に到着。
去年までの状況ならとっくに順番待ちのチケットはなくなっているはずだが、なるほどまだチケットは残っている。チケットの順番を見ると60人待ち。ま、こんなもんだろうと思い、まずは時間潰しを兼ねて朝食へ。
アイリッシュブレックファーストなんておぞましいものは最近食べれなくなった私は、ビーンズオントースト(トマトソースで煮た豆をトーストの上に乗っけたもの)を注文。
ゆっくりゆっくり時間をかけること約1時間。午前9時30分私は恐怖の館へ戻る。案の定といえば案の定、私の順番はまだ来ていない。仕方なしに私は恐怖の館の待合室で待つことに。
待合室で待つのはやく20人程度の人間。去年はすべての椅子がふさがり立ったり床に座ったりという人間がいたのだが今年は半分くらいの椅子が埋まっている様子。確かに何かしら進歩を感じる。さらに、窓口と待合室の間にベニア板の仕切りを置いている。これもまあ進歩といえば進歩か。
で中で待っている人間を観察すると、黒人・中国人・その他が1/3づつの割合。ちなみに日本人は皆無。場所と時間帯を激しく勘違いしたアホ中国人カップルがいちゃいちゃしている以外はみんな押し黙り、思いっきり重苦しい雰囲気。
そこにやってみたのは2歳くらいの子供を連れたスリーサイズの単位がセンチメートルではなくメートルであると思われる黒人女性。この子供、待合室にやってくる泣き始める。
5分後、泣き止まない。
10分後、泣き止まない。
すると見かねた係が
「そこの子供連れの奥さん、先にやってあげるから窓口へ」
とひとこと。で、窓口に向かう母。すると今まで火がついたかのように泣き続けていた子供が泣き止んでにこっと笑う。
この子供と母はグルだったと思うのは私だけ?
で、何だかんだで私の順番がやってきたのはチケットを取って2時間後の午前10時30分。で、デジカメで写真を撮られて新しいカードをもらっておしまい。所要10分。
結論。確かに去年に比べて格段に早くなった。評価できるが、あの待合室の雰囲気は何とかならないものだろうか。
推察ですが、夕方や夜に行けば待ち時間はもっと少ないのではないかと思います。体験談の投稿をお待ち致しております。
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