なべて世はこともなし
日記アーカイブ(インデックス)へ|前日の日記はこちら|翌日の日記はこちら
|アイルランド真実紀行へ
2001年06月24日(日) |
「おいらの語学留学体験記」その2 |
「おいらの語学留学体験記」その2です。前回は、留学代行業者が10万もとると聞き、すべてを自分ですることを決めたとこまでお話したと思います。
で、自分ですると決めたものの、いったいどうしたものか。自慢にもならないが、おいら、それまでハワイや韓国を含め、一度も海外に出たことがなかったのだ。
海外に出るなら、とりあえずパスポートがいるべえと、立川にあったパスポートセンターにパスポートを取りに行く。これ自体は問題なくできた(当たり前だわな)。
で、次、ダブリンの語学学校に申込書を書き、それを送る。で、三菱銀行(当時)の八王子支店から、いくらか忘れたが(おそらく2-3万程度だった気がする)語学学校への入学金を払い、とりあえず、3ヶ月分の申し込みをする。
…ここまではいたくうまく行った。「へっ、代行業者がなんぼのもんじゃい!」とちょっと勝ち誇っていた。…ところが、世の中はそんなに甘くなかった。
次に手に入れなければならないのは、そう、航空券。今じゃ結構航空業界の裏までも知っている(ような気がする)が、当時はまさに赤子状態で何も知らない。一年の語学留学のつもりだったけど、いつに本に戻ってくるかは知らなかったので、「じゃあ、片道航空券を買うべえ」と思う。フィックスチケットとか、1イヤーオープンチケットとか、チケットに種類があるなどつゆ知らず…。おなじみHIS八王子支店に行き、「ダブリンまでの一番安い片道航空券下さい!」と言う。一番安いのはかのロシア系の航空会社だったが、当時多くの人が思ってたイメージをおいらもご多分に漏れず持っており、「ちょっとそこだけはご勘弁」。…てなわけで、二番目に安かった、大韓航空とブリティッシュ・ミッドランドの片道航空券、一金10万円で購入。
今にして思えば、何てばかな買い物。1イヤーオープンチケットを買うか、はたまた、安い35日フィックスのチケットを買って、片道を捨ててしまった方がはるかに安く付いたろうに…。ま、当時は、そんな悪知恵を持っていなかったのです。
で、この「片道航空券」というのが、あとあと大々的な問題になる。「成功する留学」だかなんだかのそのテの本を読んで、だんだんとんでもない事実に気がつきはじめたのだ。
その事実とは…
★ アイルランドにイギリス経由で入国するさいは、イギリスで入国審査が行われる。 ★ イギリスの入国審査はなかなか厳しい。 ★ 語学留学でも、「観光」と言って入国できるが、万が一ウソがばれた時は実にややこしいことになる。 ★ 充分資金があることを証明しなくてはならない。 ★ 帰りの航空券を持っているか聞かれることがある。 ★ 下手をすると「入国拒否」される。
ここで、片道航空券、というのがネックになってきた訳。で、とりあえず、語学学校に「入学許可証」をもらおうとするが、これが来ない。仕方ないから、ファクスで催促する(電話で催促するほどの英語力があれば、おいらは語学留学しようとは思わない)。で、夜中ファクスが来た。「やった!」と思ったら、
ぶちっ
と、途中でなぜか切れてしまった。真っ青になったおいらは緊急事態なので、電話。で、語学学校のおねえさんと話す。
おいら:「ハロー。あい、くどのっと、れしいぶ、ふぁくす。」 おねえさん:「G^$^@#*@*(UERG#%^)」 おいら:「ぷりーず、ふぁくす、あげいん」 おねえさん:「594t504 9&*^IU FAX $#^$」 おいら:「いえす、いえす」
この時でした。おいらに英語力がないと気づかされたのは。何せ、相手が何を言っているのか全然分からない。それでも、何とか、ファクスを送ってもらうことに成功。ま、この辺が10万払ったか払ってないかの違いになる訳ですね。10万払ってりゃ、片道航空券とか、入学許可証で悩む必要ななかった訳で…。
で、航空券に不安を残したまま、上野の多慶屋に行き「一番大きいスーツケース下さい!」と、最バカなことを言い、多慶屋扱うスーツケースの中で一番大きいものを購入。そのスーツケースをパンパンにして、1996年3月2日、おいらは成田へ向かったのでした。
(続く)
|