自分のことは棚に上げといて・・・
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2002年01月19日(土) なぜか「猫に小判」考

 「豚に真珠」でもなく「馬の耳に念仏」でもなく「猫に小判」なのです。

 (これが「ネコ耳に小判」とか「冥土さんにバスタオル」とかだったら、もっとネタ的には広がりがあるのだろうけど・・・)


 これって、たしかどんな高価なものでもその利用価値のわからない者には、なんの役にもたたない。
 という意味合いで使われていたような気がするけど…。


 じゃあ、だれならその利用価値を理解した上で、それを使えるというのだろう?

 科学技術がどうだとか、お金がどうだとかなんていまさら言うつもりないけれど「だれ」が、有効に使っていると判断するのだろう?



 結局人間って、自分を中心にしてしか物事を考えられない生き物だと思うのですよ。
 だからこそ人は今こうして、こんなふうに生きていられるのだとは思うけど。



 「小判の価値」は人が決めたもので猫にその価値がある、無い、とか判断する基準が元から無いんだから、それをもって猫には小判の価値がわからないというのはちょっとおかしくないだろうか?

 猫の身に立った時にはとても役に立つものを、人の立場では全く理解できてないことだってあると思う。

 そーゆう人間を、昼寝しながら猫は「まったく人間は物の価値をしらない」とか思っているような気がしてならない。






 で、今書いていて思い出した昔話。

 きこりが泉に鉄の斧を落として困っている所に、神様が現れて「銅の斧」「銀の斧」「金の斧」と順番にきこりに落とした斧を訪ねるけど、結局「私が落としたのは鉄の斧です」

 と言ったところ、正直者だね、といって全種類の斧をきこりが貰えてしまう話。


 あれって正直者にはよいことがあるよ、と言うことをいいたいのかもしれないけれど、そのきこりって本当に正直者なのだろうか?

 大体、出てくる斧の順番からして「銅」「銀」「金」と神様のくせに人間界の俗物的な考え方に毒されていませんか。

 きこりの住んでいる村が、もし貨幣の流通していない場所だとしたら、金の斧なんてただの飾り物と変わらないでしょうが・・・。

 彼の周りに「金、銀、銅」に“貨幣価値”を見いだしている人がいなかったら。この物語は何の意味もなさないような気がする。

あるいは、神様の出した斧が鉄よりも強い「鋼」でできた物だったらきこりだって、

「その鋼の斧が私の斧です」


と、言ったかもしれない。

 それだって、きこりが「鋼の価値を知っている」という前提に立たなければならないのだけれどね。

 あるいは、そのきこりがとってもとっても「斧ふぇち」な人で、その斧を丹精こめて磨いで作り上げてきた斧だったとしたら、例え大金を目の前につまれたってその斧をわたしたりなんかはしないだろう。

 ま、とりあえず金、銀、パール、銅の斧の話に戻る。

 結局よく考えれば「斧」として一番優れているのは「鉄の斧」であって、金だろうがなんだろうが、そんな柔らかい金属で作られた「斧」は実用面からみたら、ただの役立たずの代物でしかない。

 結局「貨幣価値」という面からしか物語を作ることの出来ない人間の悲しさみたいなものが感じられてちょっとだけ悲しい気分になる。



 そんなわけで、もし、神様のいる泉を知っていたら是非教えて欲しい、、なんて思ってるわたし(笑)



 斧は持ってないけど、包丁ぐらいはあるからさ。

 とりあえず、シルバーアレルギーでもないし、他にも包丁は持っているから一本ぐらい「金の包丁」とか持っていても平気だし・・・。


 なんだったら、田〇貴金属に持ちこんで換金するし(苦笑)



 ほら、私は「貨幣」にもきちんと「価値」を見いだせるひとだから……(核爆)




某掲示板より転載
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