2008年03月10日(月) |
生プラ分解>微生物を発見 ごみ減量化に期待 |
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◆ケロ傷病
プロスポーツ選手も診るという整形外科へ行って、ケロを診察してもらった。 診断は「単純性股関節炎」。原因は不明だが風邪の後などに発症し、3日〜1週間程度で快復する、予後良。左股関節のレントゲンで骨の間が開いているのでおそらくそこに水が溜まっている。MRIを撮ると確定できるが、9割はまちがいないだろうということだった。箪笥から飛び降りたのはただのきっかけだろうとのこと。
後でウェブで調べたら、子どもの足の痛み、歩行困難でよくある症例らしい。膝の痛みで訴えることも多いそう。最初の病院では分からなかったが、2日前経っていたから出た診断かもしれないので、最初の病院がヤブだとばかりは言い切れない・・・が、考えちゃうなぁ。
通常痛みは1週間程度で治まる。子どもは正直なので痛いのに無理して歩くこともないし、痛くないのに歩かないこともないので、歩くまでは安静に、と言われてつい「私が倒れそうです」と弱音を吐いてしまった。念のため1週間後に再診の予約を入れてくれたが、痛みが消えてたら来なくていいと。
中耳炎の後にきたので「次から次」の印象になったが、たまたま土日+月火休みシフトの時にきてくれたし、以前から時々足が痛いと訴えることがあったので(成長痛だろうと思ってたけど)、今回レントゲン撮って他に問題がなさそうなのも分かって良かった。
来るときは大雨でタクシー。渋滞もあり車酔い。帰りは雨が止んでいたので病院前のバス停からバスで電車の駅まで出て、そこでまた雨が降り出したので駅前からタクシーで帰宅。今日は止むを得ないでしょう。
ケロがバスの中で「(ケ)ちゃんおかいものじょうずじゃなくてごめんね」と言い出して「何で?」と聞くと「おんぶとかだし」と。病院で私が弱音を吐いていたのを気にしていたらしい。「いいのよ、(ケ)ちゃんが痛くて一番可哀想なんだから、お母さん大丈夫よ」と返すと「でも腰とか痛くなっちゃうでしょ」と気を使っている。うちの子は何でこんなにいい子なんでしょう。私も言い方に気をつけないとな。
◆日常
ケロは昨日から私の提案で青ぶーぶー(乗用玩具)に座って家の中を移動している。本人も「あおぶーぶーがあってよかった」と嬉しそう。家がバリアフリーで良かった。乗用玩具捨てなくて良かった。トイレの中にもサポート用に椅子を置いて、つたい歩きで用が足せるようにして、とりあえず家の中は自由に動けるようになった。自転車の後ろに乗って出かけることもできるので、行った先に子ども乗せカートがあれば買い物もできる。保育園に行けないのと私が会社に行けないのだけが問題。
家人がたまたま早く帰ってきたので、ケロを預けて(と言っても家人は寝てたけど)買い物に行き、食材など買いこんできた。
Qは毎日人が家にいるのでペースが狂ったらしく、にゃーにゃーと何かを私に訴えながら後をついて回る。爪とぎ、扉の上にジャンプして上って下りたり、落ち着かない。すまん、Q。
◆読書/着物
森田たま「続もめん随筆」
「もめん随筆」が有名だが、図書館に蔵書がなかったので「続」から読む。明治27年札幌生まれ。冒険家に憧れ、社会主義者にはなれなかった子ども時代のこと、着道楽の姉にいいものをかすめていかれる娘時代のこと、結婚生活のことなどがあっちへ飛びこっちへ戻りしつつ出てくる。「最初の東京」という章では札幌の五番館で売っていた舶来品は、直接海外から取寄せていたので東京に負けはしないとか書いてある。札幌がハイカラだった頃。空気草履という謎の履物も出てくる。
「他人の花」に出てくる庭のしつらえはそんな庭が自分のものだったらと思わせる。昔のお金持ちはいいなぁ。「花」に出てくる、土蔵の二階の窓から覗き見した、偏屈な主人がひろいひろい芝生にただ牡丹のみ植えて、花どきにただ一人庭を見廻って楽しむというのもうらやましい。
着物のこと。原文は旧かなだが新かなに直して引用。 「流行」「震災の後で心斎橋をぶらぶら歩いていると、暇のありそうな若い奥さんがどれもこれも黄色い裾まわしの着物を着て、連れている娘は必ずオールドローズの毛糸編みの洋服を着て」 「襦袢の袖」単衣の季節に平結城や結城ちぢみを買ってもらったが、埃を吸い込んでしまって庶民の常着には向かない。木綿の単衣を着たが、梅雨時の肌寒い時はセルのほんのり暖かい肌触りが好ましい。襦袢の袖はレースなどを大切そうにつけているより、人絹でもさっぱりと新しい袖の方がはるかに気持ちよい。お琴のお師匠さんは古びたメリンスの襦袢の袖口と振りだけに新しいきれをかぶせて(大うそつき)きていた。夫がネルの襦袢の袖にメリンスのきれをかぶせてあった(裕福な旧家の出だったが、質素に装わせるしきたりだったらしい)、福助色のメリンスの胴にしぼりのメリンスの袖をつけた半襦袢を贈ったことがあったが、自分の気障さに冷や汗がにじむ。など。 「初すがた」学校には木綿の筒袖。お正月は黒の木綿の振袖に海老茶の袴。日露戦争のすぐ後の好景気だったが、北海道あたりでは質素勤倹の美風が盛んだった。 「雪」16の冬、矢絣の紫の着物に雲型の赤い匹田の帯で地唄の稽古。顔を洗ってたもとやふところに水が入って娘に注意される。 「議会風景」和服は何かルーズな手頼りない感じを受ける方が多かった。何か遊蕩な影をひいているようで(中略)家の茶の間でみかけるような和服姿を見ることは、何となく裏切られた思い。(今と逆で洋服だと改まった感じ?) 「夏すがた」ちりめんゆかた。「この頃のお嬢さんだと、ちりめんだからと云ってひょっと昼間もそとへ着て出ないともかぎらない。(中略)そうしてそういうぜいたくなゆかたを、人眼にふれずただ一人ひっそり着て涼むところに楽しみは倍加される。」(どうやら外へは着ていっちゃいけないらしぞ。)札幌では夏でもゆかたを着ない。 「お手本」7月末の午後、黒のさつま上布に黒繻子の帯、黒い日傘、黒い草履で燃える紅のハンドバッグを胸に抱えている宇野千代。常人には真似て真似られるものではなかった。 「麗人」9月1日は黒の上布にクリイム色に乱菊模様の袋帯、帯留は細い魚の形の翡翠、栗皮色のハンドバッグの口金の金には細い唐草模様、パラソルの柄は象牙に貝や珊瑚などで愛らしい花の模様を散りばめ、きれ地の赤みがかった紫のこはく、黄色い線が一筋。次の日は雨の朝だったので紫じゅすのコートに絹麻らしいうす藤色に秋草とながれの模様、帯は前の日と同じで帯留めがまるい陶器、ハンドバッグは白っぽいビーズ。その次の日は紅味のかかった藤色の無地の単衣に、灰色がかった水色の緞子の帯、金箔と縫いとを程よくあしらった高雅な帯。 「紫繻子」紅と白の板〆ちりめんと紫繻子の昼夜帯を作ろうと、三越の地方販売で花模様の板〆を買ってもらったら姉に見つかって襦袢の袖に欲しいと取られてしまった。「紫繻子が何となく古くさく、田舎びた感じがするので(中略)制服を脱いだお嬢さんのふだん着にしめてみて、一風変わった新しい趣がありはしまいか(中略)もちろん板〆をおもてへ出し、うらの紫繻子をほんのすこし折り返してしめてもらいたい。そうしてその着物には袖口にも共ぎれの繻子をつけ、そうしてこの帯は羽織下にかぎるのである。」 「紫・黄八丈」「というもののこの頃流行の、朱とえんじと紅をつきまぜたような、一種異様の赤い着物。羽織も帯も残らずおなじ系統で、むかしは赤い着物といえば牢屋で着るものでありましたと、つい憎まれ口がききたくなるほどに」 「紫の上」「衣装道楽の極致はいわゆるお蔵もの、−古着屋あさりにつきると云われている。古渡り唐桟とか坪いくらの更紗とか、そういう特別なものの事はとにかくとして、地のざっくりとした染めのかたい昔のきものは、いくら欲しいとおもっても普通の店では手に入れる事ができないのだから、勢い古着屋をのぞいてみるより方法がなく」 「黒貂の裘衣」「洋服の美しさは、何よりも創作の美しさである。生きて動く美しさである。日本の着物は華美な一枚を衣桁にかけて、そのまま眺めて美しいけれども」 「水」「東京の、しかも柳橋の芸者まで近頃は名古屋帯をしめるときいて(中略)私のような肥って胸の苦しい者でさえも、しんのうすい帯なら三重に回すことさえある、経済のためというなら(中略)たった七尺あまりのさもしい倹約は、東京の芸者にだけはしてもらいたくないとおもう」(芯の薄い帯を三重にのくだりはよく分からなかったんだけど、丸帯じゃなくて前帯が薄いのはみっともないということか?)上等の緋の振袖だけはやはりどうしても鴨川の水でなければいけないので、トラックにつみこんで汚れていない上流の方まで染めにゆく。浴衣だけは鴨川の水では染まりまへん、水のきめが細かくていけまへんという話。
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