2005年09月09日(金) |
オゾンホール>過去最大規模で発達続ける 南極上空 |
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昨日保育園で「もっと早く言えばよかったんですが、ケロちゃんの外遊び用の靴が大きいみたいです」と言われた。入園後3ヶ月経過。 昨夜同じサイズ表示だが小さめの靴を(嫌がるケロに無理やり履かせて)買ってみたら、そちらを今日履いたところ大丈夫だそうだ。またいつか使うものだから逆じゃなくて良かったけど。ついでに他の子の靴のサイズも見てきたが、ケロと同じ13.0の子が多かった。ケロは体が小さめでちっとも靴のサイズが大きくならないなぁと思っていたが、皆そんなもんか。
そういえばバルーンボートのその後。風船に空気が入っても進まない様子を携帯ムービーで撮影して持参しようと洗面台に水を溜めて実験したらのろのろと進んでいた。浴槽では水が多すぎて進まなかったようだ(50mプールで泳ぐと進まないのと同じ原理では)。
踏切は昼休みに買って帰ったが、ケロはあんまり遊んでくれなかった。残念。同じレールで列車と車のおもちゃが両方走っているから、踏切で車が止まって待つというごっこ遊びをしてくれなかった。おもちゃ屋さんのBRIOとかプラレールではよく遊んでるんだが、あれは可動部が楽しいだけなのかな。
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多湖輝「「一人っ子長女」のための本」(2005-137) 新構社(2004年1月)
一人っ子長女の育つ環境についてと、成長後の結婚などについても書いてある。最初の方は育児書かと思ったが心理学の本らしかった。親の期待が大きくなりがちとか、お母さんとの関係が密になりすぎるとか、自戒しようとは思ったが、段々対象が親なのか一人っ子長女本人なのかよく分からなくなる。結婚相手にマスオさんみたいな人を選べなんてほっとけっての。こんな本を親が読んでたら私が一人っ子長女なら怒るぞ多分。って読んでるけど。
相良敦子「ママ、ひとりでするのを手伝ってね! モッテッソーリの幼児教育」(2005-138)
シュタイナーとくればモンテッソーリですよ。うぷぷ。
保育園行ってるから幼稚園の教育システムは元々関係ないし、敏感期という考え方は早期教育を煽るようで嫌なんだが、そもそもモンテッソーリ教育とは具体的にどういうものなのかをちょっと知りたくて読んでみた。
敏感期を逃すことについて 「敏感期に、それに応えるふさわしい環境があったならば、これほどまでに体の動きがぎこちなく、ゲームが下手だったり、音楽を解せず、色彩感覚に乏しく、芸術について無知で、計算に弱く、発音はぶざまで、読めないような字を書き、ひとなかでは気恥ずかしく、人に頼り、決断力に欠けるというような人間には成長しなかったでしょう。(モッテッソーリの弟子であるスタンディングの言葉)」 なんて言われると、それは一つの真実ではあるんだけれど、逆説として「親が敏感期を逃すことがなければそれら全てが出来る才能に満ち溢れた人間に成長したことでしょう」というのが透けて見えて、ちょっと嫌な感じ。 それらの中には確かに神経細胞が繋がる時に繰り返し訓練することで脳と体の連携がとれて上手くできることが含まれているが、同じ人間がそれをしたかしなかったかの違いは出ても(一卵性双生児でもなければ比べようがないけど)、もともとの素質とか気質の違いに目をつぶって過剰な期待をすることにはなるまいか。
ここが一番ひっかかるところだが、あとの「子どもが自発的にやりたがることを止めない、上手くできなくても暖かく見守る、正しいやり方をゆっくり手順を見せることで教える」などはことさらモンテッソーリじゃなくてもいいような気もするけど納得。(それともこれはモンテッソーリが言い出したことが一般化されているのか?)
んでまた私の愛するおもちゃの話になると、色んな種類の豆を混ぜて入れた容器とそれを分けるためのお皿やスプーンのセット、ひもをびんに詰めて蓋に穴を開けて通したもの、触感の違うものを貼った板、砂とびん、色々な種類の蓋付びん、色々な種類の鍵、子どもサイズの包丁とまな板などで子どもが遊ぶといいよという話は、私もやりたくてわくわくした。 (実際にはもっと知育系の教材がたくさんあるらしいが>モンテ)
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