いいことあった
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2005年05月18日(水)

喉が痛い。定例会か検診でいいものをもらってきてしまったかも。ケロに移らないといいなぁ。

ようやく外せない予定が済んだので(予防注射、定例会、検診)、ケロに心置きなく遊んでもらおうとボールを持って公園へ。家人を送った帰り道で丁度いい公園を見つけて色々遊んだ。そこの砂場の上には葡萄棚があった。普通藤棚が多いけど、葡萄だと子ども達も大喜びだろうな。
1時間ほどでケロが満足したらしいので、それから図書館へ。普段はベビーカーで行くが今日は歩きだったので楽しいらしく、書棚から次々と絵本を出すので次々に受け取って面白そうな奴は借りてあげた。ケロよりちょっと年上らしき女の子が「一緒に本読もう」とケロを誘い、二人で別々の本を持ってソファに並んで座って微笑ましかった。が、その子は本を開いて自分が覚えているのか創作したのか、全く違う話を朗々と暗唱。読んでる真似なのね。(ケロのもそうだけど。)

夕方虹を見た。数日前の夕立の時は「こういう時は」と東の空を睨んでも何もでていなかったけど、今回はちゃんと出ていた。家人に電話すると15分ほど前まで二重の虹だったそうだった。(後日のNさんの日記では三重だったとか。)

以前とある身内から「保育園の子は言葉が遅れる」とどこで聞いてきたんだかな発言があったので、google君に聞いてみた。google君曰く「言葉が遅いので他の子の刺激を受けるように保育園へ通うよう勧められた」りするそうだ。なんだ逆じゃん。

お片づけの神様降臨中。床にワックスかけて布団カバーを洗ったのは猫アレルギー発症中の家人のためだが、勢いで押入れの物を出して全部掃除していらない服を捨てたのは我ながら感心。毛布も表面に猫の毛が絡むので全部捨てて必要なら肌がけ布団でも買い足そうと思い、捨てる毛布を「アフリカへ毛布を」キャンペーンにでも送ろうかと思ったが、猫の毛のついた毛布なんか送ったら失礼だよなと思い直して処分することにした。

帰宅後家人に「これで駄目なら自室で寝てくれ」と言ってみた。「(昨日と)全然違うよ」と言いつつまだ猫が横を通ると鼻を押さえている。生きた発生源が歩き回るから駄目か。

* * *

家人が印鑑を作ったそうだ。顧客のところで出会った判子屋さんに営業されて、ついでに姓名判断もしてくれて「最強ファミリー」と言われて気を良くしていた。ケロはまた「運勢が強すぎる名前なので結婚できないかも」と言われたそうだが、運の悪い結婚より運の良い独身のほうが人生楽しいような気がするのでケロに任せよう。

買うときに「運のいい判子にしてくださいね」と軽口を叩いたら「判子を買って運がよくなる人はすぐ買う。その決断の速さが運の良さにつながる。運の悪い人は数千円のものでも『2、3日考えさせて下さい』となかなか決断できない。」と言われたそうだ。リップサービスかもしれないけどなんとなく納得。幸運の神は前髪しか生えてないっていう奴か。

栗本慎一郎「都市は、発狂する。(2005-083)
光文社カッパ・サイエンス(1983年6月)

都市に村の理屈を持ち込んではいけない、という主張には同意する面もあるが、土着の人々にとっては都市も村の一種だと思う。各地の光の都市/闇の都市の謎解きは面白かった。

ちょっとひっかかったのは2箇所。
トランシルヴァニアのバートリ・エルジェーベトのことを吸血鬼と言っているが、サトクリフ版のアーサー王伝説でパルシファルの妹はハンセン氏病の貴婦人を救うためにボウル一杯の聖女の血を捧げたんじゃなかったか。病気の原因も治療法も分からなかった頃には処女の血が薬になるという俗信が流布していた筈だ。実行可能な権力を持ってたとかその仕組みは珍しいと思うし、被害者には気の毒だったとも思うけど、現代の日本人が考えるように猟奇的だと当時の人々が考えていたかは分からない。
あと駅が闇の都市(と定義される)側にあることを強調されているが、蒸気機関車は周囲に火の粉を飛ばして危ないから、街から離れた場所に通したのって普通だと思うんだけど。
ラディカルに読んで面白い本にしようという姿勢は見えるし、面白かったのは面白かったのだけど、勢い強調しすぎる箇所にちょっとひっかかった。


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