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2005年03月30日(水) 敬語の使い方指針作成へ=文化審に文科相諮問

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今日は別の公園へ。ここが砂場着の本命の砂場がある公園なのだが、今日はケロはあまり砂場で遊ばなかった。
そしてすべり台落下。これは私が悪い。春物の白いダスターコートを着ていたため、すべり台を一緒にすべってあげずにケロだけで滑らせたのだ(鬼母)。ケロは足から降りたが着地の勢いでそのまま顔面砂場に。怪我はなかったが顔中砂だらけで号泣。やっぱりまだ高すぎたか。これに懲りてすべり台が怖くなってしまうといけないと思い、コートを脱いで後で一緒に滑った。怖がる様子はなかった気がするので大丈夫かな。

図書館へ行くと、50代〜60代くらいに見える女性が、カウンターの女性に色々相談している様子。「ちょっと乗ってみようかと思って」「自転車みたいだっていうから」という手許にはバイクのメンテナンスマニュアル本。おおー、がんばって/気をつけて。

小西行郎「早期教育と脳(2005-042)
光文社新書(2004年8月)

紹介を読んで借りてみた。ケロに早期教育をさせようとは思ってない(と思う、多分)のだが、早期教育の実際とその効果について関心があるので。
著者は早期教育の必要性には懐疑的で、子どもが失敗や挫折を経験しないよう人より早くスタートさせることが本当に子どものためになるのか、というようなスタンス。(自分が早期教育を受けて育った体験によるらしいが。)実際のところ全ての子どもに必要なものではないんだろうな。全ての子どもがやったら早期教育にもならんけど。

それよりこの本が面白かったのは、第三章以降の「育児不安と孤独な親」「地域社会と子ども集団」「障害児教育から子育てを考える」。
特に最後の章ではネアンデルタール人は障害者とともに生活していた様子が見受けられるのに、文明が発達するにつれ障害者を社会から排除する思想があらわれること、日本語の中に「福子」「福虫」「宝子」という言葉もあるという話から書き進め、障害があることが問題ではなく、障害がある人を受け入れない社会に問題があるということを書いている。
こう書いただけじゃ「よく聞く話だ」で終わってしまうかもしれないけれど、「歩行障害がある子どもが、辛い歩行訓練を続けなくてはいけないのは『がんばれば歩ける』『健常者と同じように社会参加する』という押し付け」と、できることが善ではないしできないことは悪ではないということを説明されていた。

ということで早期教育についてより、障害だけでなく「できないこと」全般に対する心持ちを考えさせられた本だった。




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