2005年03月29日(火) |
休暇中の隣人の家に閉じ込められた猫の運命は |
(ロイター) #飼い主が郵便受けからキャットフードや氷を差し入れているそうだ。 このニュースに隣人が気づくといいなぁ。 猫のトイレや玄関内の惨状を見たらバカンスが台無しになりそうだ。 不具合知りながら公表せず=三菱ふそう社長会見 ガソリン価格一段と上昇へ=元売り3社約5円卸値上げ 官民一体、温室ガス削減を=京都議定書で達成計画案 (共同通信)
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ケロと散歩へ行き、砂場着デビュー。着せる時は激しく嫌がったが前日の雨で濡れた遊具で遊ぶ姿を安心して見守れた。しかし途中で靴が脱げ泥地に靴下で着地してしまったため、早々に退場。
先日ラジオで渋谷東急の前のパン屋のオーナーによる「美味しいパンの食べ方」をやっていた。冷めたてのパン(焼きたては湯気と一緒に炭酸ガスが出ているので人肌より暖かい位に冷めたものが一番美味しいのだそうだ)に砂糖を入れた生クリームを塗って食べるのだと。それで、夜ケロが寝てからパンが焼けるようにセットして、生クリームを泡立てて塗って食べてみた。 お菓子みたいだけど、クリームの脂肪分がホイップで軽くなっているので食べやすくて美味しかった。バターを作る時みたいに砂糖いれないで泡立てて塩を混ぜても美味しいんじゃないかな。乳脂肪分35%のクリームだから、バターを60g使うスコーンと摂る脂肪の量はそんなに変らないのよね。
稲本正「ソローと漱石の森 環境文学のまなざし」(2005-041) NHK出版(1999年6月)
この本は作家研究のコーナーに置いてあったし、そのつもりで読んだのだが、私は存じ上げなかったが著者の稲本正氏というのは飛騨のオークヴィレッジという創作グループの代表らしく、正しくは「ソローと漱石と私の森」という感じだった。(つまり著者がかなり前面に出てるのね。)
ヘンリー・D・ソローと夏目漱石を並べて、環境文学というくくりで二人の足跡を紹介するのだが、鴨長明やレイチェル・カーソンについてや、著者の調査旅行日記みたいな箇所もあり、ターゲットがややぶれる。
荒っぽくまとめると、日本では古来から「自然−じねん−」という、自分も含めた環境の概念があったのに、明治期に "nature" の翻訳で「自然−しぜん−」という訳語により自分と対立する自然の概念を取り入れてしまったため、人間が自然との共生を忘れてしまったのじゃないか、ということから、最終的に相対論や量子力学のマクロ/ミクロな視点もとりいれて、自然について(とソローについて)もう一度考え直そうよ、というような本だった。
ソローの「コッド岬」はずっと前から読もうと思って果たしていないが、ちゃんと読もう。漱石も機会があれば集中して読み直そう(他にもドストエフスキーとかヘミングウェイとか「祭り」の順番待ちしてるけど)。 そして「自然芋」と書いて「じねんじょ」と読むのは正に字の通りの読みだったのだというのが「エウレカ」(または「ウォーター」)だった。
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