いいことあった
おさがしものはこちらから

2002年11月02日(土) 東京で木枯らし1号、青森などで初雪 冬型強まる

固定電話発・携帯着、高額料金の改善勧告へ
大江戸線、ゆりかもめの乗客増につながるか 汐留駅開業(asahi.com)

* * *

ハロウィン仕様の特別壁紙・・・のつもりが3日(2日半)もそのままだった。イケてない。ようやく直した。

朝からずーっとある電話を待っていた。待ちきれなくて出掛けようとしてたところへようやく掛かってきた。電話を待っていた間にアイロンかけと洗濯1回分外に干せたけど。(うだうだ言ってた室内物干し、ベランダで干す時用に使っている。背が高いので風の強い日は禁止。)

着替えて外出。またプチ手術の経過を見せに病院へ。予後良。この1週間、まだ時々鼻がぐずぐずするけど朝起きた時に鼻が通っているようになった。(実は猫アレルギーじゃないかと思うのだが検査はしていない。どっちにしてもアレルギー体質なのは変わらないし。)
急いで帰宅しなくてはいけないのだけど、地下鉄の駅でポスターを見た蕗谷虹児展をちょっと覗いて帰ることに。

何となく見たことがあるような絵・・・と思って行ってみたら、大正から昭和にかけて一世を風靡した叙情画家、とのこと。竹久夢二の紹介で「少女画報」の挿絵を描いたり、吉屋信子の本の挿絵を描いたり。(私が無知なだけね。)
「花嫁人形」(よく披露宴でかかる「金襴緞子の・・・」)は挿絵を描いていた雑誌で西條八十の詩が間に合わず、自作の詩をつけたのが有名になったとか。

絵の方も良かった。アールデコで、でも日本女性というのが、大正浪漫な感じで宜しい。不自然なポーズもまた良し。パリへ留学し(藤田嗣治とも交流があった)パリの女性を描いた/書いたものも雰囲気が良い。「金目の猫」という、背景も金で塗った絵もよかったな。(会場にて猫2匹捕獲。)
#何だか「いい」ばっかり書いてるな(^^;

「サロン・コンサートが始まる」と勧められたが、予定があったので絵葉書を数枚買って出た。うーん、ちょっとの時間だけど良いものを見た。

それからまっすぐ帰宅。朝の電話でした約束の時間に間に合った。・・・ほどなく、インターフォンが鳴った。

アレが届いたのです。

そう。マッサージチェア(笑)。

その為にサロン・コンサートも蹴って急いで帰ってきたんだよ。

お友達のお家にあった豪華な奴の影響で、夜中にTV通販でふと魔が差して安物を買ってしまったよ。折畳みだし小さくなって仕舞える。マッサージ部分を椅子から外して手持ちのソファーに載せても使える。
・・・さっそく組み立てて使ってみたけど、まぁこんなもんじゃないかいな。私には効果の程がよく分からないのだけど、家人が喜ぶと思い・・・喜ぶかなぁ・・・喜んでくれるといいなぁ。←自腹。

* * *

読みかけだった本、その他。

保坂和志「明け方の猫(2002-148)
講談社

表題の話の感想は10月24日にも書いたけど、猫のどうでもいい行動に関する詳細な観察と、猫のどうでもいい行動を人間として詳細に思索する(でも元々がどうでもいいことなので突き詰めたからといってどうということもない)ところが素晴らしい。これは好き。
もう一篇「揺籃」という不安定な話が入っているけれど、これはちょっと苦手。以前に「猫に時間の流れる」などを読んで、淡々としすぎていてそのままするりと抜けてしまうような文章を書く人だなぁと思ったけれど、そうとばかりも限らないのね。
私が楽しく読んでいる、女性二人の交換日記形式の読書サイトでも「『明け方の猫』は保坂作品でもちょっと異色」と言われていたが、確かに。

L.M.モンゴメリ/松本侑子「赤毛のアン(2002-149)
集英社文庫

この本は、翻訳作品としては失敗していると思う。

と、言いきってしまおう。

1)訳文が美しくない。(こちらを最初に読んだら、村岡花子さん訳の方が古臭くて読みにくいかもしれないけど、人は二つの道を同時に選ぶわけにはいかないのだ。)
2)注釈が多すぎる。そして個人的過ぎる。訳者が行ったことがあろうがなかろうが読者には関係ないもんね。
3)注釈で、先のストーリーの種明かしをしすぎる。私が初読なら怒るぞ。

上記3つの理由により、非常に個人的な松本版「アン」になっている。研究の成果を発表したかったのは分かる、でもそれには解説本と翻訳本は別にするべきでは。この人このテーマで他に何冊も書いてるじゃない。
「時代に合った新しい訳が必要」という方針は分かるが、この本はスタンダードにはならないのではないか。トマス・ピンチョンの本じゃないんだから。ぷんぷん。

村岡訳の信者ではないけれど(いや、かなり好きだけどね)、村岡訳のサブテキストとして読むことを勧める。読まなくても構わないけど。

つまりね、原文がシェイクスピアの引用であってもなくても、良い文章は良いの。
私は古臭い翻訳体の児童文学を読んで育ってきたので、翻訳の良し悪しより中のエッセンスが香ればそれで良いと思う。文章を時代に合わせると妙なことになる。元々の文章が古ければ、翻訳も古くて良いじゃない。

以上。

追記)
でも会社の20代の娘2人が(話題になっていた肝心の言葉を忘れたけど)「こんな言葉、時代劇とかでしか使いませんよねー」と言い合っているのを見てちょっとびびったんだよなー。私が普通に書いている日記も古臭くて意味が分からない言葉とか入ってるんでしょうか。げげっ。美しい日本語はどこへ行ってしまうのだろう>まず自分から使えって?



 過去  目次  未来  玄関  別館  読書メモ


つっこみ、コメントはこちらから/日記に引用させていただく場合があります