2002年05月18日(土) |
陶磁の食器リサイクル進む 美濃焼の産地で |
北海道の大地をピンクに染める シバザクラ満開 #ツーリングでシバザクラの桜は色からだけでなく、桜吹雪が吹くところも 似ているせいか・・・と思ったのを思い出した。 アロマテラピー用ろうそくにご用心、容器燃える商品も コロンの瓶、足に落としスペインGKがW杯出場不可能に 動物保護は基本的人権の尊重と同格 ドイツ、憲法改正へ 無人ATMにショベルカー突入、見つかり逃走 大阪 本マグロ豊漁で水揚げ活気 塩釜 無形版世界遺産に人形浄瑠璃文楽推薦へ 平安神宮大鳥居など145件を登録有形文化財に答申(以上asahi.com)
読書。 「からくりからくさ」読了+二度読み。 「新版 指輪物語」<旅の仲間>読み中。(結局買っちゃいました。) 図書館で大量に借りた本は、また手つかず。
梨木香歩「からくりからくさ」(2002-065)☆☆☆☆(☆つくかも?)
注意:とても長い感想
(溜息。)
◆この川は、きっと、あのマグマと同じ場所を別の位相で流れている。
この本を知ってから、読む迄にずいぶんと間があいた。 でも、今読めて良かったと思った。裏表紙を閉じてまた最初に戻って二度読み。この本は多分これから時々読み返す。 「穏やかなまひプリ(真昼のプリニウス)」。マグマと水、どちらも表に見えないけど確かに地下に流れているのだなぁ。私の中にもどっちもあるのだなぁ。
物語の大半はいかにも美しいスロー・ライフなのである。他人がそんな話をすると「スローもクイックも、楽しく踊って暮せばいいのよ。いちいちそんなこと気にすんなよ。」と乱暴に言ってしまいたくなる。 しかし作者が押しつけがましく書かないので、当たり前の生活として受け取れる。(きっとこれを花村萬月氏が書いたら−書かないと思うけど−私は反発して立ち向かってしまう。)
◆「あなたがたもきっと、怖くなくなる日がくるわよ」
私は女子校育ちなので女性だけの生活に違和感がないし、女性だけでいるのもとっても好きだ。 育み生かす蓉子も、ひりつく個のマーガレットも、表現を捜す与希子も、流れを汲む紀久も、みんな自分の中にもあるように思う。それがしっくりくる。
引き合いに出して悪いけれど加納朋子さんの「いちばん初めにあった海」に唐突に出てくる女性らしさには不快感があった。子宮で物を考えるような納得の仕方は女性にとっては共感の対象にはなると思うが、小説でやってはいけない手だと思ったのだ。
しかし「からくりからくさ」の女性らしさというのは、機織姫であり、水蜘蛛であり、蛇であり、誰も『女で良かった』とは言わない。(とても言えない。)ただ「女性である」ということ。 男性が同じように共感できるのかどうかは分からないけれど私は共感できた。 (前段落で言ってることと一体何が違うのかは自分でも説明できないぞ。困った。)
神崎と竹田の存在を、最初は狂言回しみたいな/いなくてもいいのに/外から何かを持ち込んでくる人達だなと思ったけれど、2度目に読んだときは「この人達はいてもいい」というやや鷹揚な感想に変わった。 でも彼らは共同体には入れない。『ちょっとの違いが大きな違い』(ケストナー「ファビアン」)だから。
◆何かが、壮大な機(はた)を織り続けている。
この本を今読んで良かったと思うのは、いろいろな繋がりからきている。
アラン・ガーナー「ふくろう模様の皿」 志村ふくみ「一生一色」 池澤夏樹「真昼のプリニウス」 澁澤幸子/池澤夏樹共著「イスタンブール歴史散歩」 荻原規子「薄紅天女」 京極夏彦「絡新婦の理」 L.M.モンゴメリ「エミリー」
この辺を読んだあとで「からくりからくさ」に辿りついたので分かりやすく物語に入れたし、イメージが広がった。この中には「からくりからくさ」を知ってから読む迄の間に読んだ本も。順番は私の中ではうまく並んでいる。 さらに言うと、先週取り寄せた雑誌というのが「水の文化情報誌 FRONT」の『特集 渦巻』『特集 藍と紅花』の2冊。 うーん、シンクロニシティ。
あと、ツーリングで見た景色「近づくまで藤だか桐の花だか分からない」を思い出す一文があり、数日前にindex.htmlの壁紙を藤の花に変えたのもあって嬉しかった。
◆紀久救済網戸基金(おまけ)
つくしの佃煮は美味しい。カラスノエンドウは莢を食べてみたことがあるが(伯夷、叔斉が食べたというので試してみたのだが)あんなものだけじゃ栄養とれません・・・ということが分かった。つるの先はどうだろう。今度試してみようかな。 「マーガレット、私、食べ物は栄養のことだけでとるのではないと思うわ」(本文より)
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