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不謹慎な行い。言動。 できれば避けたいものです。 やってはいけない不謹慎。 しかし、やってはいけないときに、ついうっかりやってしまうからこその不謹慎。 だからといって、危険日だとわかっているのに避妊しないでついうっかりやってしまいました、なんてのは 「不謹慎だね」とは言われずに「不注意だね」とたしなめられる、割とジャンルが難しい不謹慎。
不謹慎 という言葉を目にするとき、口にするとき、耳にするとき、 ワタシはとあるお葬式を思い出して「不謹慎だったな・・・」と反省するわけなんですよ。
そもそもは、ワタシが不謹慎をしでかしたお葬式よりも、ずっと前のお葬式に話は起因するのであります。 ワタシの愛すべき友人・タマリンが教えてくれたお葬式のお話。 飲んでる時に教えてくれた、タマリンのおじいさんのお葬式の話なんですが。 ここから、タマリンから聞いた話です。
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タマリンのお父上のお父上、すなわち、タマリンのお祖父様がお亡くなりになったときのことです。 タマリンパパはカタくて立派なご職業で、またそれにふさわしい人格者だったんですが、お祖父様もご立派なかただったらしく(とはタマリンは言いませんが)、お通夜からお祖父様の死を悲しむたくさんの人たちでしんみりとしておりました。
ちょっと詳しい流れを忘れてしまったんですが、なんかものすごくしんみりしみじみとした悲しみの空気が流れる中、葬儀屋さんだか隣組の人だか忘れましたが、まあそういう世話役みたいな人が、タマリンパパに近寄りまして
「これ、つけてください」
と、何かを手渡したのです。
それは、よくマンガとかコントで見る、額につける三角の布。
今でもつけるんですね、あれって。 ワタシ、話を聞いてびっくりしたんですが。 タマリンもその場で見て「あ、あれだ」とびっくりしたらしいんですが。
で、なんか、それつけると、一気に「お亡くなりになった感」が強くなるではないですか。 なもんで、お祖父様の周りにいた(もしかして棺を囲んでいたのかしら。定かではないんですが)皆様が、みんな一斉に
「うる(´;ω;)」
と、したのです。 ああ、もうお別れだね。 あっちの人になっちゃうんだね。みたいな。 わかりやすくさめざめと泣き始めるおばさまとかもいらっしゃったりして。 タマリンもちょっと涙ぐんで。 おじいちゃん、今までありがとう、めいて。
タマリンパパも、涙をこらえてるいかめしい顔で、その三角の布を受け取りましてね。 布を広げて、三角の布の両脇についている紐を、それぞれ右手と左手に載せまして。
神妙な顔で、 涙をこらえながら、
自分の頭に、つけました。 三角の、アレ。
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途中までしんみりとタマリンの話を聞いていたワタシたちは、不謹慎ながらもう爆笑でございますよ。 タマリンパパを知っているから余計なんですが。 とにかくマジメな人でしてね。 マジメなだけに、びっくりするような笑えることもしでかしてくれるんですが(本人はもちろん笑わせる気など髪の毛一筋もあらず)、ふざけるとかそういうことの全然ない人で。 そういう人が、おじーちゃんにつけるはずの三角のアレを、悲しみいっぱいのマジメ顔で自分に装着しちゃったわけですよ。
「なんかもうさ、その場の空気が一瞬固まったあとに、さっきまでしくしくしてた人たちがみんな『ぷ』とか『ぷくくっ』とかなっちゃってんのよ。あたしも笑っちゃったけど。てか、本気で驚いた」 と、タマリン。
そのときは「いいネタをいただいたものだ」と、満足しきっていたじょりぃだったんですが。
もう、こんな話聞かなきゃよかったよ!という思いを、その数年後にしなければならなくなったんです。
この話を聞いてから5〜6年後に、タマリンパパ、病気でお亡くなりになりましてね。 仕事も忙しい、ちょうどサークルのダンスの発表会も重なってる、というタマリンにとっては殺人的な忙しさだったにも関わらず、献身的に看病したのですが、病には勝てず。 タマリンはお父さん子だったので、悲しみもひとしおだったことと思います。 でもあの人も、悲しいとかつらいとかを表に出せる人ではないので、見た目は気丈でしたけれども。 しかし激痩せしていたので、相当心身共に来るものがあったのではないでしょうか。
で、お葬式、告別式であります。 タマリンとは、ワタシが最初に勤めた会社での同期でもありましたから、その会社の元同僚たちも皆告別式にやってまいりまして。 ワタシも、きょん、なっちゃん、そしてナルミさんといった、存軽でもおなじみのメンバーと共に、告別式の会場へと向かいました。
で、みんなタマリンのこと大好きですからね。 そして、なっちゃん以外のメンツは、タマリンパパと何度かお酒を飲んだ間柄でもあります。 タマリンパパ、お料理が趣味でしてね。 当時よくタマリンの家でヤンヤン飲んでいたんですが、そういうときに手料理を振る舞ってくれたり、一緒に飲んで歓談したりしていたものでした。 参列しながら、そんなときのタマリンパパの何気ない表情とか、会話とか、作ってくれたお料理なんかを思い出したりして。 なもんですから、ワタシたちもしょんぼりしんみりしていたのです。 タマリンがかわいそう、というのがまずあって、ああ、タマリンパパ、もういないのか・・・という喪失感もありまして。
と、本気で悲しんでいたのは事実なんですが。
タマリンパパ、お亡くなりになりましてね、 の段階でもう察しがついたことと思われますが、
タマリンパパを偲んでいると、どうしても思い出しちゃうんですよ。 三角の布を自ら装着 の話を。
その話を、運動会に気合いを入れてハチマキしてるようなジェスチャーで話してくれたタマリンの姿とともに。 でももう必死で「今は思い出すまい」って自分に言い聞かせるんですけど、「思い出すまい」って思ってる時点で実は思い出しているという脳の科学の不思議ってやつでしてね。 そしてもうひとつ、脳の科学の不思議なんですけど、「笑っちゃいけない」って思えば思うほど、こらえられなくなったりしませんか。
でも。 不謹慎です。 ホントに不謹慎。 タマリンパパの死を悼み悲しんでいるのも、タマリンかわいそうに(´;ω;)と思っているのも、これ本気の本気なんですよ。 なのにどうしても、思い出してしまう、三角の布伝説。
いつもならここで不謹慎を承知で 「ねえ、あれ、思い出しちゃわない?」 と絶対誰かしら言い出しそうなメンツなんですが(全員この話は知っている)、誰ひとりとして、おくびにも出さない。 そして、誰も口きかない。 みんな、口、真一文字。 そして下見てる。 目を合わせようとしない。
ああ。 みんな、思い出しちゃってるな。 って、このとき確信しました。 そして苦しい。 笑いをこらえているのが苦しいというのもありますが、こんなときにどうして笑いが起こるのか、という自分への怒りと不可解さで胸が苦しい。
人間の感情って、一つの層じゃない。 と、このとき深く痛感しました。
が、自分のお焼香の段になって、タマリンの顔とタマリンパパの遺影を見たら、やっぱりじわっときちゃいましてね。 お焼香あげて、会場の外に出るまでは、もうホントにしんみり。 タマリンパパ、良くしてくれてありがとうございました。お疲れさまでございました。 ということを素直に思うのがこっぱずかしいじょりぃですら、ホントに自然にそう思ってしんみりと会場を後にしまして。
そして後になって確認してみたら、やっぱりみんな「三角の布」のことが頭を離れなかったらしく。 誰かの顔見ると笑っちゃいそうだったので、誰とも目を合わせないようにしていたらしく。 時間も場所も変わったところで、安心してみんなでくすくすしんみりあははと笑いましてね。 タマリンパパの、粋な計らいだろうと。 泣くな笑えと。 とまあ、自分たちの罪悪感にならぬよう、美しくまとめまして。
で、もっとずっと後になってからタマリンに聞いてみましたら
「あたしも絶対、みんなそれ思い出してるだろうなって思った」と笑っておりました。 「あたしも思い出して、ちょっと笑ったし」と。 不謹慎だぞタマリン。 て、ワタシがいちばん不謹慎なんですが。そんなこと本人に聞くなよと。
そして不謹慎なんですが。
ずーーーーっと先のある日、もしタマリンがワタシより先に死んでしまったりして、そしたらワタシ、ものすごく悲しいしさびしいと思うんですが。 それでも絶対、「三角の布伝説」を話しながら運動会のハチマキみたいなジェスチャーしてるタマリンを思い出して、「ぷっ」ってなるだろう自信があります。
不謹慎になりたくないから、タマリン、ワタシより長生きしてね。
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