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2007年09月10日(月) |
父と娘 〜グローブと自転車へ捧ぐ〜 |
ワタシの父は器用です。
絵なんかはささっと描いちゃいますし、楽器もいじっているうちに適当にこなせてしまいます。 お裁縫も得意で、自分の、しかもカスタマイズされた裁縫箱を持っています。単身赴任が多かったからというのもあるんですが。 ワタシが幼い頃の帽子は、ほとんどが彼の手作りでした。
一例。
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益子焼に絵付けをしているじょりぃがかぶっている帽子が父の手製です。 やけに刈り上がってますね、ワタシのえりあし。
型紙とかはなくて、持ってる帽子を分解し、作りを理解し、その帽子はまた自分で縫って元通りにし、ちょきちょきと布を裁断して縫い縫いして作る、と。 母は洋裁と編み物が得意でしたので、ワタシの幼少時のお洋服って、両親の手作りが多かったように思います。 しあわせなことですね。
一例。
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母が服を作ってくれて、共布で父が帽子を作ってくれたらしいです。 顔出ししちゃってますが、今のワタシと顔が違うので問題ないでしょう。 と思ったんですが、眉毛が今と同じで自分で笑いました。険しい眉山のコドモ。
さらに、もう少し大きくなったじょりぃは仮面ライダーに夢中になりまして。 寝ても覚めても仮面ライダー、特に仮面ライダーV3のときのワタシは、心はV3でござるというくらい夢中だったもんですから。
父がこんなもの作ってくれました。
V3。
何をどうやって作ったのか不明ですが、よくまあがんばったものです。ありあわせで。 これ、お面でなくて、すっぽりとかぶれるんですよ( ^ ∀ ^ ) 首に、たなびくマフラーの代わりにぞんざいなタオルを縛ってるのはどうかと思いますが。 一気に気分は畑仕事。ちょうちん袖の服を着て畑仕事をする仮面ライダーV3。
とまあ、ここまでは父が器用だったために恩恵を受けたという、良い面での話であります。自慢話といってもいいでしょう。 自慢が大好きな父のために、ワタシがかわりに自慢しておきました。よかったね、お父さん。
このへんまでは確かにうれしかったんですよ。 特にV3のときなんかは「うちのおとうさんてせかいいち!」と思ったほどですから。
しかし。 子どもは大人になっていきます。 が、親はなかなか子どもの成長についていくことができません。 その上、うちの親父様はいくらかちょっぴりとんちんかん。 父の「器用・お世話好き」とワタシの受け取りかたに、少しずつ溝ができていくわけです。
小学校の高学年になってきて、図工の課題も難しくなってくると、父がワタシのヘタクソさ加減に業を煮やし始めました。 宿題で持って帰ってやっていると、口を出すだけならまだしも、手も出します。 自分でやるよーと言っても、何かこう、脳にサムシングな生き物が湧いてしまうようで手が勝手に動いちゃうみたいですね。 ワタシもワタシで「親父うぜえ!あっち行け!臭い!」とか言い放てる子どもならばよかったのですが、 「どうしよう・・・お父さんも好意でやってくれてるし・・・」とかもじもじ思って「あっち行け!」と言えないのですわ。 何度かそれをやって、父が母にこっぴどく怒られまして。(そりゃそうだ)
5年生のときの図工で、友達の顔を彫ろう、という彫刻の課題があったのですが。 石の割にはやわらかい、四角いカタマリみたいなものを彫り進めていって、友達の顔を作るんです。 授業だけでは間に合わなかったので、家に持ってかえって、せっせせっせと彫ってました。 我ながらヘタクソだなーと思いましたが、立体造形を掘り進めるという初めての作業が楽しくて、ワタシはいろんな角度から眺めながらせっせと彫っていたわけです。 しかし。その日は父が家におりまして。 やはり何かと口を出してきます。 うるさいなーと思いながらも「うんうん」と右から左へスルーさせ、わたしは隣の席の「さつきちゃん」を彫り上げました。
うん。 上手じゃないけど、さつきちゃんて感じするし。 それにワタシ、初めて人の顔彫ったよ!うれしい!
母はワタシがどんなものを作ってもたいてい「いいのができたねー」と絶賛してくれるので、母に「できたよ!」と見せ、ここがいいのあそこが味があるのと褒めてもらったあとに、お風呂に入って気持ちよく眠ったのであります。
そして翌朝。確か日曜日。 朝起きて、自分が彫った「さつきちゃん」を見に行ってみたら。
顔が変わってました。
ワタシの彫ったそれよりも全体的になめらかになってまして、さらに言えば、横顔のラインが父親好みのそれになってました。 ワタシも相当横顔にこだわりますが、父もすごいんです。 が、ワタシは「さつきちゃん」を彫ったんですから、さつきちゃんの鼻と口のラインにしておったですよ。 ヘタクソですけど。それでもさつきちゃんだったわけですよ。 それが、朝起きてみたら、父の理想とするジェームス・ディーンの横顔に変化。
ここでショックを受けるべきなのでしょうが、ワタシの感想は「またか( ´_ゝ`)」というものでした。 あーあ、明日学校持ってって、また「じょりぃちゃん上手ー!」「すごーい!」とか言われてるときに、へらへらと俯いてなきゃならないのかー・・・と、そんなことを考えておりました。
でも、一応母に言いつけにいきました。
「おかあさん、さつきちゃん、お父さんにいじられちゃった」
母に言いつけた時点で、悲しくなってちょっとじわっと来たのですが。 そしてちょっと腹も立ったのですが。
その後の母の父に対する怒りっぷりで、自分の悲しみや怒りはどこかへすっとんでしまいました。 それくらい、母、父を怒る怒る怒る怒る。
「どうしてそういうことするの!?」と母。もっといろいろ言ってましたが、ワタシ、あわあわしちゃってたのでよく覚えてません。 「・・・だって、良くなっただろ?・・・」 「そういう問題じゃないでしょ!じょりぃのものなんだから、じょりぃの好きにさせてやってよもう! それに、じょりぃの作ったさつきちゃんの方が全然よかったよ!」
父、しょんぼーーーーーり。
ワタシは両親が自分のせいでケンカしているというのが怖くてですね。 なぜか父の肩をもってやったりしちゃって。おたおたおた。
このときの母の怒りっぷりはホントにすごくて、父もそれ以降、ワタシの宿題にちょっかいを出さなくなりました。 ワタシがいなくなってからも、たぶん母にくどくどやられたんだと思います。 そしてワタシは父の彫ったさつきちゃん じゃなくてジェームス・ディーンにさらに手を加え、ヘタクソに見えるように努力。 が、もちろん最初よりも厚みがなくなっちゃいましたし、鼻とか少し欠けちゃったりして、この時点でえらく悲しくなりました。
でも、この時点では「お父さん大嫌い!」とかは思わなかったんですわ。 お父さんはすごくて、ワタシはダメだから、まあしょうがないか、という気持ちもあり。
が、しかし。 中学1年のときに、じょりぃがぶち切れる事件が起こったのであります。
ワタシは小2の頃からソフトボールやってましてね。 初めて買ってもらったグローブが青くて子供用のもので、それがもう嬉しくて嬉しくて、毎晩一緒に寝ておりました。 父にグローブの手入れも教えてもらって、オイルもマメに塗り、いつもぴかぴかなワタシのグローブ。 しかし、だんだんグローブが小さくなってしまうわけです。ワタシが大きくなるので。 で、とりあえずお父さんのグローブ使う?と父がくれたそのグローブがいたく気に入りまして。 当時ワタシは王選手のファンだったんですが、長嶋が次々と新しいグローブを使うのに比べて、王は修理手入れしながら、古いグローブを使い続けている、なんてエピソードがあったもんで、その影響もあってお下がり具合が気に入ってました。 新しいの買うよと言ってもらえたんですが、ワタシの心は王貞治だったので、辞退。 渋い小学生です。 中学に入ってからもそれをそのまま使い、毎日手入れして、古くてもピカピカに光るカッコイイグローブを持って学校に通っていたんです。 毎晩その日の汚れを落とし、オイルを塗って、乾拭きしてピカピカにして、ボールを入れてヒモで巻き巻きして形を整えて寝る。 そのようにかわいがっていたワタシのグローブには、ボールが吸い込まれるように入ってきたのですよ実際に。
しかし、中間テストがあったときに、いつものようにグローブの手入れができない日が続いたのです。 部活も休みだし、まあいいか、と思い、ワタシは勉強と試験に専念しておりました。 そしてテスト明け、今日から部活だーという朝、いつものようにグローブを取り出しましたら。
そこには、血のように赤く変色したグローブが。
理解、できない。 なんだ、この色は。 しかもグローブ、かちかちに固くなってしまっている。 ワタシのかわいいグローブ。 あのやわらかくてまるでワタシのお手手のようだった素敵なグローブが。
しばし玄関に固まっておりましたら、母が「まだ行かないの?」とやってきまして。 やはり、グローブを見て絶句。
「・・・・お父さんかな・・・」と、手にしたグローブを見ながら、つぶやくようにワタシ。 「・・・他にいないから・・・そういうことする人・・・」と母。 「ひどいよこれ。何この色。それに、グローブ、かちかちに固くなっちゃってるよ」 「・・・そういえば、昨夜、茶色のマッキー持って嬉しそうにしてた・・・」
茶 色 の マ ッ キ ー ?
ここで、うわーんうわーんと大泣きするワタシ。 母もびっくりですよ。 今まで父のどんな非業(大袈裟です)にも「まあいいか( ´_ゝ`)」的な態度でいたワタシが、このときばかりは大泣き。 しゃくりあげて苦しいほど泣いておりますよ。
もうこのグローブ使えないよ、色もひどいし(古い皮に茶マッキー塗ると赤くなるんですね!)、固くてボール取れないよ! 大事に使ってたのに!いいグローブだったのに! それをマッキーなんてもんで塗っちゃうなんて、うわーーーーーーんてなもんです。
母が「新しいの買ってあげるからー」となだめますが、新しいの欲しくて泣いてるわけではありません。 母もわかっているんですが、それ以外言葉のかけようもないですしねえ。
「新しいのなんていらない。このグローブがよかった」と無理を言って泣き続けるワタシ。
ワタシ、毎朝自主練していたもので、朝の時間に余裕があったんです。 なもんで、えぐっえぐっと泣きながらグローブにクリーナーかけてみたりしたんですが、もちろん全然ダメですよ。 さらに、黒のマッキー(中太)で、ローマ字筆記体でワタシの名前がでかでかと書いてあるのも発見して、また泣きました。 ああ、思い出して書いてたらまた泣けてきました。それくらい悲しかったんです。 かわいがっていたペットが死んじゃったくらい悲しかったんです。
「今日、どっちにしろ部活できないだろうから、部活休んでまっすぐ帰ってくれば? 一緒に新しいグローブ買いに行こ?」 と、母。 どこんちよりも厳しかった母がこんなにやさしいのもめずらしかったので、素直に言うことを聞くことにしまして。 その日のうちに市内のスポーツ店をハシゴして、新しいグローブを買ってもらいました。 その晩、ワタシが喜ぶと思って帰宅し、にこにこにやにやと登場した父は母に怒られ、ワタシからは涙の攻撃を受け(ええ、また泣いたんです。泣いて責め立てました)、もうホントにしょんぼり。
しょんぼりしたものの、まあ、この後もこの手の騒ぎは続きましてね。 もうホントこの親父どうにかしてよ!サイテー!とか、年頃らしくワタシも思うようになりまして。
そして中3の冬。 このころ父は単身赴任で家におりませんでした。 そしてワタシは、自分の自転車ってかっこわるーいと思うようになっていました。 シャレっ気の全然なかった中学入学当時に、母親が適当に選んだキング・オブ・ママチャリで自転車通学していたんですが。 ふとまわりを見回してみれば、ナナとか、当時仲良かった友だちとか、みんなイマドキな自転車に乗っています。
でも。 自転車買ってって言っても、どうせもうすぐ高校生になるからそのときね、って言われるに決まってます。 でもこの自転車じゃイヤー。 せめて、色だけでも今っぽくしたい。・・・そうねえ、赤とかさ!
あ。
自分で塗っちゃえばいいんだ!(・∀・)+*+*キラキラキラ
と本気で発想するあたり、とーちゃんの血を色濃く継いでしまったじょりぃなんですが。
しかもですよ。 マスキングしてスプレー塗料とかで、とか、そんな知恵全然ないですから。 ワタシがチョイスした塗り材は、なんとポスカ(中字)赤でございました。
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これを、少ないおこづかいから5本買いましてね。 5本あれば余裕で自転車一台塗れるだろうと思ったんですよ。 で、自転車をきれいに洗ってから、寒い冬空の下、15歳のじょりぃはにこやかに塗り始めました。 作業が終わる頃には、真っ赤でちょっと今っぽくなった自転車に生まれ変わるんだくすくすくす。 明日、ナナとかビックリするだろうなくすくすくすくす。ぬり ぬり ぬり ぬり。
ぬり ぬり ぬり ぬり ぬり ぬり ぬり ぬり ぬり ぬり ぬり ぬり ぬ
いつまでたっても、ハンドルとサドルをつないでいるフレーム1本が塗り終わりません。 おかしいな。こんなはずでは。 しかも、何か、ムラがひどいです。 今考えてみればあたりまえなんですが。 ポスカで自転車が塗れるはずぁーないんです。水性ですし。 でも、自分の中で、たとえ油性でもマッキーだけは不可というトラウマ的な思いこみがあって、ポスカにしたんですよ。 マットな仕上がりになりそうだしーとか思って。 しかし、塗れない。ムラになる。しかもいつになっても終わりゃしねえよ。
だいぶ日が傾いてしまっても、フレーム1本と、その下のフレームの途中までしか塗れてません。 しかもポスカは既に2本使っちゃってます。
こりゃ無理だ。 と悟ったじょりぃ。 キレイに仕上がるのでしたら時間が数日かかってもやり遂げようと思いますが、自分の行いがどれほど愚かなことなのかは、塗り終わった部分ががなにやらムラムラしていることでよくわかります。 ムラムラするフレーム。欲情するフレーム。情熱の赤。とか思ってる場合ではないんですよ。 明日このまま学校行ったら、ナナに笑われちゃう!
慌てたワタシは、頭フル回転で考えました。 水性って書いてあるし、水で洗えば落ちるかな・・。 ごしごしごしごし。
落ちない上にさらに汚く。
あわあわあわあわあわ。 これはもう、上から何か塗ってもダメだ。ぼこぼこしちゃってるし。どうしようどうしようどうし
はっ。
確かお父さんが、「この色飽きたな」って言って、丸い棒状の何か(何だったか忘れました。当時は覚えていたんですが)を改造していたな! そうだ、あのときは確か、あれを巻いていた!
ビニールテープ。
あれだけ嫌がっていたのに、参考にするのが父のおかしな習性しかないというのが泣かせますが、このときはナイスアイデア!と思いまして。 ポスカで汚くなった自転車にまたがり、速攻でビニールテープを大量に購入。 こづかい、なくなりました。
そして、自転車にまきまきまきまきまきまきまきまき。 大変ですが、ポスカよりも全然効率がいいです。 一心不乱にまきまきして、ワタシの赤い自転車ができあがりましたよ!
うん!いい出来……なのかな。 まあほら、赤くなったし。 きっと今までよりカッコイイはず。
と思い、夕飯の支度をしていた母を庭に引っぱり出しまして。 見て見て!自転車、赤くしたんだよ!
母、絶句。 したあと、
「・・・これ、ビニールテープ?」と。 「うん。ポスカで塗ってみたら、うまくいかなくて。えへへ」<照れてます 「・・・お父さんの子ねえ・・・」
あら、ほめてくれなかった。おかしいなあ。 妹は露骨にイヤな顔をしておりました。
翌日、ワタシはちょっぴり得意な気持ちで、赤くなった自転車乗って学校に行きまして。(自転車通学だったんです) 駐輪場で友達に会ったので挨拶しましたら、自転車見て大笑いされまして。
え! もしかして、恥ずかしいのかなこれ! と、ここにきて慌てるじょりぃ。
帰りにナナにも見せましたら、やはり大笑いされましてね。指さして。
「変かなあ?(*・ω・`)」とワタシが言いましたら 「だってさ、ビニールテープでしょー?」とナナ。
「それにこれ、赤く見えないよ。どっちかって言うと、茶色?」と。
父が茶マッキーでグローブを塗ったときと逆の現象が。 これはいったいなんの呪いでしょう。
帰りは自転車に乗っているのがもう恥ずかしくて恥ずかしくてですね。 朝の意気揚々としたワタシはどこへ。 家に帰って速攻で、今度はビニールテープをはがす作業ですよ。 手指をべとべとにさせながら、ああ、お父さんがいてくれればもう少しマトモに赤くできたかもしれないのになんて思ったりして。 父に頼んだところで似たような結果だったろうなと今となっては思いますが。
はがし終わっても、自転車はべとべとで、乗れたもんではありませんでした。 がっくりと首をうなだれ、お母さんに怒られるーと思いながら事の次第を報告しましたら、案外あっさりと
「じゃ、自分の好きな自転車買ってきなさい。この予算内でね」
と、お金をくれました。
ここでいつもなら妹が「おねえちゃんだけずるーい」と文句を言うのですが、このときは妹も何も言わず。 おかしい。 母はすんなりお金をくれ、妹は文句を言わないなんて。
よっぽどワタシの行動と、いじられた結果の自転車が不憫だったんだと思います、ふたりとも。
そして、このあともワタシはこの手の失敗を何度も何度もやらかして今に至ってもやらかしているわけです。 ワタシが 「なら塗っちゃおうか」 と言ったりすると、きょんもなっちゃんも「やめて」と即答します。「出たよー」とか。 失礼な。
カエルの子はカエル。 と言いたいところですが、父のとんちんかんなところだけ似て、何でもできる器用なところは(以下悲しいので略
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