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2003年09月03日(水) 人生の真理とは?

「まり」さんのお話ではありません。「しんり」です。

何を突然重たい話を。と思われるかもしれませんが。

内容はいつものごとく、軽いものでございます。
というわけで安心したりガッカリしたりしてください。

ナナと再会当時やりとりしていたファックスをぱらぱらと見ていたら、「真理」についての話題がありまして。

なぜそんなファックスを見ていたかというと、ナナと全然接触がなくてつまんなかったからです。
かわいそうですねえじょりぃ。
とは誰も思ってくれないのは知っております。
って、これ書いた次の日には遊園地に遊びに行ってしまったので、毎日読んでくださっている方にはあまり悲壮感が伝わらない気がいたしますが。

ナナとファックス文通していた頃なので、もう2年ほど前の話題なのですけれどね。
ちょっと思い出したので書いてしまおうっと。


そもそもは、優秀なアホ友タマリンが、ワタシときょんと飲んでいたときに突然質問してきたことから始まりました。

「ねえ、ふたりにとってさ、『人生の真理』ってなに?」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」

ホントにすごい突然だったもので。ふたりとも思わず絶句。

「あにゃた、何よ。宗教でもはじめたの?」とワタシ。
タマ「(笑) 近いものがあるかもしれないけど。
   このあいだ、自己啓発セミナーみたいのに行かされたのよ、会社で」
じょ「ふんふん」
タマ「で、そういう質問をされてさ。
   あたし、そんなこと考えたことなかったから、本当に困っちゃってさ」
きょ「ほう」
タマ「で、ふたりは理屈っぽいから」
じょ・きょ「なにーーー?!」
タマ「(笑) 考えたことあるのかなと思って訊いてみたんだけど」

ということでですね。
まあ、こういう話題はキライではないので、ワタシときょんも考えてみることに。

タマ「じょりぃにとっての『人生の真理』って、なに?」
じょ「『愛』だな」
タマ・きょ「ぎょええええええええええええええええええ」
じょ「なによその反応」
きょ「よくしゃあしゃあとそういうことが言えるよねー。
   あたしゃ、聞いてて恥ずかしいよ」
タマ「あたしもー。 でも、愛って、どんな愛?」
じょ「ワタシの愛」
タマ「は?」
じょ「ワタシの中に存在する愛は、ワタシにとっての真実であるわけだ。
   それが世間的なものさしから見て正しかろうと間違っていようと、
   ワタシにとっては、まことのことわりである、と」
タマ「なるほどねー」
じょ「恋愛の愛だけでなくさ、もっと広義の意味の愛でも、
   その対象を愛しているか愛していないか、愛せるか愛せないか、というのは、
   ワタシにとっては一番確実な指針にできるわけよ。
   なのでワタシは『愛』と答えておきます」

ふたりとも、ひくなよ。

まあワタシも酔っぱらってましたけど。
今でも同じ思いでございます。
実は「真理」の定義がよくわかってないかもしれないけど。
いいのいいのそんなの。フィーリングってヤツで。(いいのだろうか)

タマ「きょんは?」
きょ「うええええええ。難しいよそれ。
   ・・・・・・よくわかんないけど『命あるものが死ぬまで生きること。そのシンプルさ』
   としておこうかな」
じょ「なんだか禅だな」
タマ「でもなんとなくわかる気がする」
じょ「まあ確かに、すこん、とそのまま人生だよね」
きょ「それに付属する、例えばいいもの食べたいとかいい暮らししたいとか、
   そういうものをそぎ落とした部分が真理」
じょ「でも愛は残るんじゃないのかな」
きょ「植物には愛はないかもしれないじゃん。
   愛が持てない状況で生きる人もいるかもしれないし。
   『ただ単に、死ぬまで生きる』っていうのは、生きているものに平等に
   与えられたものなわけだと思うんだよね。
   どんな状態にせよさ」
じょ「なるほど」
タマ「お坊さんみたい、きょん」

『真理』という言葉を厳密に使うなら、ワタシよりきょんの答のほうが正しいでしょうね。

でもふたりのこの答、すごくお互いの性格やキャラを端的に表していて、おもしろいなあと思いました。

で、この話を翌日ファックスでナナに振ってみたのです。
とりあえず、ワタシときょんの答は伏せておいて「こんな話が出たんだけど、キミにとっての『人生の真理』って、なに?」と。

返事のファックスはこれ。

「真理? やけに難しいこと言う友達だね。
そうだなー、『世の中の全体的なことでも、身近なことでも、自分の理にかなっていること全て』とでも言っておく。
だってよくわかんないもん」


でした。

要は「自分にとっての真理とは、それがいかなる対象であろうとも、自分の理にかなっていることすべて」ということでしょうか。
ゴーイング・マイウェイ。 いえーい。

その「自分の理」を知りたかったんだけどな。まあいいや。しつこくすると怒られるから。

で、そのあとワタシの答は教えずに(絶対からかい倒されますから)、きょんの答「死ぬまで生きること。そのシンプルさ」をファックスで教えて差し上げましたら、その後のファックスにこう書かれておりました。

「先ほどのFAXの中で、きょんさんの真理というもの、実にシンプルだね。彼女は精進料理とか好きなのか?」

なぜに精進料理。 まあ気持ちはわかりますが。 そしてさらに

「『死ぬまで生きる』というより『命をまっとうする』と言いたいところです」と。


ああ、そうだった。


ナナのお父さんは、自分で命を絶ってしまったのだったっけ。


・・・・・ちょっと無神経だったかな。 反省。


そのあとしばらくしてから「さっきのファックス、じょりぃの友人の言ったことを否定するような非難するような言い方しちゃってゴメン」と、ナナからファックスが。
あちらもあちらで、なんか反省してしまったみたいですね。
そんなこと気にしなくていいのに。

というわけでですね。

みなさまの「自分にとっての人生の真理」とは、なんですか?


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