野菜の支柱に使う緑のポールを杖代わりにしながら 歩いてくる ずいぶん小さくなった しわだらけのおばあちゃん 畑にビールケースを置いて座り 草取りをしている 世の中美白だリフトアップだ若返りだと でもおばあちゃんのしわの美しさには勝てない 現在の最大の悩みは 年金の中から3万7500円も介護保険料を取られること
大正2年5月1日 岡山県赤磐郡仁堀村戸津野に生まれる 昭和10年小山碩夫と結婚 昭和11年長女記誉生まれる 昭和13年次女フミ生まれる その後体調を崩した碩夫の姉公子が戻ってくる ひざの上でだっこしてもらってかわいがられているのを 長女記誉が記憶している 風邪と診断されていたが肺結核とわかったのは亡くなる直前 昭和13年次女フミ没 昭和15年12月義理の姉公子没 そして昭和19年碩夫没 残されたのは 母と子 碩夫の父と母
昭和20年3月 大阪から空襲で焼け出された碩夫のもうひとりの姉 三宅のふみおばさんとおじさんが身を寄せてくる
その年の9月豪雨で八日市の土手が切れ吉井川が氾濫 土塀が流れ床上に浸水 水が引くまでの数日間2階の部屋で暮らす その間に畳は流れてゆき 牛も流され 階段で用を足す日々であったそうな
昭和21年碩夫の弟陸(むつ)おじさんの一家8人が満州から引き上げてくる さらに豊おじさん夫婦も加わり 総勢14人になる 昭和26年まで14人の生活が続いた 子どもは三膳からの飯を平らげ 麦ごはんだけでなくさつまいもやらかぼちゃやらの日々が続く 庭先までかぼちゃ畑にした 庭に残ったのは梅の木だけ 後は全部売り払った 碩夫の父保三は村長やら選挙管理委員長まで務めた人物であったが そのため田畑を売り払い生活に困窮していた 三宅のおばさんが買い戻してくれた そのころ戸津野では弟が戦死したことから戻ってこいと言われていたが 碩夫の母麻佐が「記誉がかかり子」と宣言し 戸津野へ戻る道も閉ざされた 昭和二七年保三死去 昭和三六年麻佐死去 母ひとり子ひとりの生活になる
昭和三七年長女記誉結婚 一二月孫が誕生 続いて昭和四〇年第二子 昭和昭和四三年第三子
昭和六三年孫が結婚 平成五年曾孫誕生 平成一三年曾孫誕生 再びにぎやかになる
野菜の支柱に使う緑のポールを杖代わりにしながら 歩いてくる ずいぶん小さくなった しわだらけのおばあちゃん 畑にビールケースを置いて座り 草取りをしている 世の中美白だリフトアップだ若返りだと でもおばあちゃんのしわの美しさには勝てない 現在の最大の悩みは 年金の中から3万7500円も介護保険料を取られること
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