ささやかな日々

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2023年06月30日(金) 
被害者の治療と加害者の治療をテーマに、二度ほど加害者の方たちと話をした。
被害者の治療っていうと、何処かやさしげというか、癒されるべきもの、みたいな誤解があるのかもしれない。もっと日々回復を実感できるものと思われているのかもしれない。彼らと対話して、そのことを強く感じた。
たとえばレイプされた時、一体どこの婦人科に行けばケアしてもらえるのかなんて知識は、被害前に持っているひとなんてほとんどいないだろう。今でこそワンストップセンターという言葉が知られるようになって、そこにいけばいいんだよと思えるようにもなっただろうが、ワンストップセンターが遠いひとたちはどうすればいいのか。そして、次に、精神科なり心療内科なりにいこうと思っても、一体どこの病院に繋がれば自分は大丈夫になれるのか、なんて、まずそんな知識、事前にはもっていない。
私は、精神科/心療内科に繋がるまで、ほぼ一年の時間がかかった。それまで、「自分は大丈夫、こんなこと乗り越えていける、なかったことにできる」と自分に言い聞かせ続けていた。その間も日々、どんどん強くなるPTSDの症状、たとえば幻聴幻覚、眩暈、フラッシュバック、過呼吸、過覚醒、麻痺等に襲われ続け、自分が狂ってゆくように思えたが、それでもなかなか自分の状況を、現実を、受け容れることはできなかった。自分が認めてしまったら、自分はきっと倒れて二度と立ち上がれなくなってしまう、そう思えた。
でももうだめだ、自分は狂った、と思った時友人にSOSを出した。私を病院に連れて行ってくれ、と。その友人がいなかったら、私はあの夜、マンションからとっとと飛び降りていたかもしれない。
それから毎日のように病院に行き安定剤の注射や点滴を打ち、日々を何とか乗り越えてきた時期があった。その後だいぶ経って、ようやく週に一度の診察になった。私はセカンドレイプも酷く、その体験から、直接の加害者=男性だけでなく、女性に対しても酷く恐怖を抱いており、要するに、半端ない人間不信に陥っていたから、そもそも主治医以外のスタッフと信頼関係を築くのも容易ではなかった。
いろいろあって、持続エクスポージャー療法の治験者になりもした。でも、私のトラウマは、単回性トラウマではなく、慢性反復性トラウマで、ひとつに焦点を絞り込むことは難しく、持続エクスポージャー療法の効果もあまり味わえないまま最終的にドロップアウトしてしまった。
この、持続エクスポージャー療法というものがどういうものなのかを加害者のみんなに話をしたときの、彼らの表情が忘れられない。絶句、という表情だった。被害者がそんな辛い治療をしているなんて、という表情をしていた。
今日の対話の時、最後にこんな質問をされた。「そんなきつくて、回復を感じる時があるんですか?」。
私はありますよと応えたが、でも、今思うと、それはちょっと正しくなかったなと思う。
私も、回復したい、元に戻りたい、とひたすら悲鳴を上げ続けた時期があった。どうしてあの頃に戻れないの、どうして元に戻れないの、どうして?!と。
性暴力被害によって木端微塵にされた、人生をかけてひとが心の中育てて来る「安全・安心感」は、そんな容易に元に戻るものではなく。そもそも、元に戻ることはない、ということを、私は後に知らされることになった。
そう、元通りにはならないのだ、すべて。
じゃぁどうなるのか。
時間をかけて、新しくここから、再構築してゆく。

だから、たぶん、彼らが思っているような「回復」の構図とは、ちょっと違うよな、と、帰り道、思った。彼らが想像する「回復」はきっと、元通りに元気になる、ことに違いないから。

でも。被害者はきっと、回復の過程で思い知るのだ。元に戻ることはないのだ、と。そして、絶望を味わい、諦めを味わい、それらを越えてようやく、ここから自分は生き直すのだ、と思えてはじめて、一歩、が踏み出せる。
今度彼らに訊いてみたい。「回復」ってどういうこと?と。加害者のみんなが思う被害者の回復と、被害者自身が実感する回復とは、きっと、相当に隔たってるに違いない。


2023年06月20日(火) 
昨日の朝、義歯を洗っていたら突然ぱりん、と真っ二つに義歯が折れた。呆然と手元を見下ろしたものの、治るわけはなく。
予約をとるために歯医者に電話をするも、今日は混んでいて、と。でも明日は在廊日。今日治らないと困る。そもそもこれがないとごはんも食べられない。事情を話すと、そうですよねじゃあ今からいらしてください、と。2、3時間お待たせするかもと言われたが、承知して出掛ける。
通された診察台の上、座りながら、ぼんやり目の前の自分の歯のレントゲンを眺める。ここまでよくもまぁぼろぼろになったもんだと感心する。
すべては被害に遭いPTSDを患ってからだ。パニックやフラッシュバック、幻聴幻覚が起こるたびに歯を噛みしめるから、ストレスがすべて歯に集中し、歯がぼろぼろになるのにさほど時間はかからなかった。自分がPTSDになるまで、いや、被害に遭うまで、そんなことが起こり得るとは想像もしていなかった。でも、これが現実。
何度も凌辱された陰部は、ストレス過多になると今も爛れ、その周辺にできものができたりもする。これも被害の後遺症だ。
被害者はそんなふうに、被害後もずっとずっと、後遺症に苦しむ。

刑法改正について、私は最初から距離を置いていた。当時私に闘う余力はなかった。それが分かっていたから、最初から距離を置いた。それが私にできるせいいっぱいの礼儀だったから。
闘い続けてくれた友人たちがいたから、今、性的同意云々にまで辿り着いた。すごいなと思う。彼女・彼らのエネルギー、どれほどそれが要ったか、想像に難くない。

紫陽花が終わりに近づき、代わりに種から植えた向日葵が咲き始めた。息子と頬杖つきながら黄色い花を眺める。トマトも花をつけ始めた。
それだけ見ると、平和だな、と思う。
でもここに辿り着くまでに、どれほどの血反吐を吐いてきたか。どれほどの悔しさを噛みしめ呑み込んできたか、知れない。

誰も自分の代わりを生きてはくれない。自分を生きるのは自分しかいない。だから、どれほど理不尽な現実でも、受け容れ、そこから歩くしかない。
分かっている。分かっているし、覚悟もしてる。
でも時々ぼおっと思うのだ。被害後こんなにも長く苦しむのは一体何のためなんだろう、と。途方に暮れてしまうのだ。

被害者みずから声を上げ、周りを巻き込んで、ようやくここまで、性的同意云々まで、辿り着いた。でもこれが実際にうまく動き出すには、まだもう少し時間がかかるんだろう。もちろんそんなことみんな百も承知なのだろうが。でも、これ以上もう、当事者たちが疲弊しないことを私は祈らずにはいられない。
自分の傷と対峙し続けることは、生半可な気持ちではやっていけないことを、私も知っている。

今日は午前中のうちに溜まっていた手紙に返事を書いて、それから個展会場へ向かう予定。早々にへばらないように今からエネルギー振り絞っていかないと。
自分、頑張れ。


2023年06月09日(金) 
雨がしとしと降る朝。昼には止むという予報なのだが、通院日ゆえこの雨の中を出掛けなければいけない。ちょっと憂鬱。
子供の頃、雨の中を歩くと蕁麻疹が手や足にぶわっとできてしまう性質だった。まるで酷い突き指をしたような、十本の指がすべてぶっくぶくに膨らんで真っ赤に腫れる。足は足で斑な赤い地図を描いたかのような具合になってしまう。痛痒くて痛痒くて、いつも唇を嚙みしめていた。年頃になってそれは収まったのだけれど、雨が降ると、そのことをいつも思い出す。そしてつい、自分の手足を見直してしまう。
電車に乗っていたらぼんやりしすぎて、駅をひとつ乗り越してしまった。慌てて次の駅で降り引き返す。余裕を持って家を出たのに、このおかげですっかり時間ぎりぎり。私は時間ぎりぎりに行動するのがとても苦手だ。気持ちが慌ててしまって、余裕がなくなってしまう。特にカウンセリングの前などは、頭がフリーズしてしまう。
カウンセラーが何かの拍子に「条件反射を解かないとねぇ」と。条件反射。その言葉がずしっと圧し掛かる。そうかこれは条件反射のフリーズだったのか、麻痺だったのか、と。今更だけれど、知る。
「条件反射って解けるものなんですか?」
「そうね、時間はかかるけれど」
「もう十分時間かかってる気がしますが」
「これが条件反射なんだと気づく、まずそこからね」
気づく。条件反射にどう気づけというのだろう。難しい。もうオートマティックに、ある種のひとの振る舞いに対して私は反応してしまう。しかもその時、フリーズしている。だから、自分の感情までもが麻痺していて、感情にさえ気づけない。参った。
あなたの解離は酷いから、と、昔々、主治医だったM先生が繰り返し言っていたのを思い出す。当時は、何がどう酷いのか、まったく分からないままその言葉を聞いていた。酷いって言われたってどうしようもないんだよ!くらいの勢いだった。麻痺、フリーズ。そういった言葉ももしかしたら当時聞いていたのかもしれないが、思い出せない。
そこから、加害者と主治医を重ね合わせてしまうケースがある、という話題になる。そう、私がその一例だ。私の場合、男性・権威・体格、そういったものの共通項を、加害者とK先生の様子に見出してしまった。結果、K先生が何を言ってももう麻痺してしまってフリーズしてしまって、しまいには完全に反応できなくなる、どころか、恐怖さえ覚えるようになってしまった。
当時の記憶も交錯しているのではっきりは思い出せないが、思い余って自分から主治医を交替してもらえないか、と私が希望したのだった。もう死に物狂いの勇気を振り絞って、だった。
まだM先生が主治医だった頃。通院に使っていた電車で、何度も何度も加害者と鉢合わせした。加害者の使う主要路線とかち合ってしまっていたからだ。鉢合わせするたび、私はフリーズした。幻聴幻覚、眩暈を覚え、ふらふらになりながらいつも、途中下車した。そういう経験もあって、世界はまったくもって安全ではない、いつ侵入されてもおかしくない代物、という認識ができあがってしまった。脳にそういう回路ができあがってしまった。あまりに強固な回路になってしまったおかげで、いまだその回路は健在だ。
世界は常に危険であり、いつ侵入されてもおかしくない場所であり、私はいつだってそういうものに晒されている。そういう公式が、でーんと私の中に在る。
そして、誰かがこう動いたら、条件反射で私は自分の心をフリーズさせ、まるでAIのように決まった行動を繰り返してしまう。まさに機械仕掛けの人形。

条件反射に気づくこと。カウンセラーだけでなく主治医からも言われる。まずは気づくこと、そして気づいたら条件反射してしまう場から一目散に逃げ出すこと。
帰り道、雨はいつの間にか止んだ。電車に揺られ、バスに揺られ。バスから眺める道縁には、色とりどりの紫陽花が、ここぞとばかりに咲き誇っている。紫陽花。藍染のような紫陽花、どこかにないかな。


2023年06月02日(金) 
前から、クリニックで性加害の方たちに性教育をされている、ということは知っていた。そのことを最初にS先生から教えてもらったとき、彼らにとってそれはなんて貴重な体験になることだろう!と、我が事のように嬉しくなったことを今でも覚えている。しかも授業を為してくれる方が、ベテランの助産師さんで、小中学生はもちろん年頃の高校生や大学生、保護者に向けても随時性教育の講演を行なってらっしゃる方と知り、さらに嬉しさが倍増した。
これはあくまで私の感じたことに過ぎないが、プログラムで接する性加害を為した彼らは、性教育というものをきちんと受けるチャンスがなかったんじゃないか、と。そう私には感じられる。そんな彼らの学び直しのチャンス。こんな幸せなチャンスはないだろう、と私には思えた。いつか機会があったら、自分の息子をその授業に参加させたいと真剣に思った。
でも、そのプログラムの日と私が参加するプログラムの日が異なっていて、その方とすれ違うことさえもなく一年が過ぎていた。だめだ、これは自分から飛び込んでいかないと、と思った。そしていつもの如く、思い立ったが吉日とばかりに、YさんにFacebook上で勢いでメッセージを送り、友達申請をさせていただいた。
すぐ気づいてくださったYさんから返信があり、これからどうぞよろしく、なんて挨拶メッセージを交わした。お会いしたいですねー、なんて話もした。そうしたら。とんとん拍子にお茶しましょうという約束を交わすことになり、そして数日前、実際にお会いすることになった。

こんなこと言ってもあまり信じてもらえないのだが、私は基本、人見知りだ。人見知りである自分を重々承知している。だから、自分は酷い人見知りだからこそこれから会う相手についての前知識はあまり持たず、予めのイメージもあまり抱かず、その場でそのひとに会ってそのままをでき得る限り受け止める、と決めている。その日も、もうちょっとでYさんいらっしゃるかな、と思った程度で、それ以上もそれ以下も何も、想像をめぐらすことはやめた。
ようやくお会いできたYさんは、地に足を付けてらっしゃる方だ、というのがじんじんとその立ち姿から伝わって来た。グラウンディングがずっと苦手だった私とは全然違う、しっかりとした、でも決して威圧感などない、まっすぐな方だな、と。話せば話すほどその印象は濃くなり、私は嬉しくなった。

歳を重ねれば重なる程、新しい出会いというのは減るものだ、と、誰かが昔言っていた。でも本当にそうなんだろうか。いや、そうなのかもしれないが、二十代三十代と記憶がほとんど残っていず、もちろんその頃世界に対して閉じていた私だから、その頃と今の自分とを比べようがない、というのもあるんだろう。私はこの五年十年、本当に、出会う人出会う人、ありがたいなぁと思う相手ばかりと出会わせていただいている。今回も、ああこの方とは長いご縁を育みたいなぁと、そう思った。

11時から2時、時間にして3時間はあったはずなのに、瞬く間に過ぎてしまった。あたふたと私たちは店を出て小走りに次の約束の場へそれぞれ向かったのだが、その時点ですでに、もっとこういうことも話したい、ああいうことも話したい、というのが次々浮かんできて困ってしまった。
いつか、組んで何かをできたらいいなぁ、と、まだ何の構想も何もないのだけれど、でも、一緒に何かできたらいいなぁ、と、そんなことをぼんやり、思っていたりする。


浅岡忍 HOMEMAIL

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