昼食に誰かを待つ日は

2019年10月31日(木)



このところ精神状態がよろしくない。この一週間のうちでどれだけ泣いただろうか。自分でも予期しないタイミングで涙が出てくるので恐ろしくなる。仕事の最中はそういうことで人を困らせたくないので、パートナーといるときやひとりでいるときにしか泣かないが、それでもなにかがいつも苦しい。仕事で私はタフな人だと思われているので泣くわけにはいかないが、この間はひどく不安定になり屋上へ避難して青空の下で泣いた。なぜ泣いているのかはわからなかった。こんなことの繰り返しをいつまでするつもりなんだろうか。


さっき数年前の写真を見返していた。何年か前の写真であるはずなのに遠く、そうして幼かったあの子もこの子も今は立派に働いていて、時の流れを感じる。持続して生活していたはずなのに、なにかのタイミングでみながちゃんとした大人になっている。これからもっと大人になっていく。いつかそれぞれ本当に会わなくなる日が来るんだろう。


体が重く、頭も重く、精神状態も最悪ななか仕事に行った。朝から猛烈に具合が悪かった。昼過ぎに外へ出かけて喫茶店へ避難し、呼吸を整える。きのう人に「呼吸が荒いよ」と言われて初めて自分の呼吸が荒くなっていることに気がついたが、私はいつも体が緊張している。これがひどくなると過呼吸になるがもうあのような地獄の日々には戻りたくない。なるべく息を深く吸って、なるべく平穏に生活していたい。
喫茶店に避難したあとはあらゆる人と会い、健康に接することができた。よくやったと思う。
帰りは三日月がきれいだった。きれいだねと思えるだけで嬉しかった。誰に報告するわけでもないけど。


ひどい日記だ。



2019年10月17日(木)

 この日記の冒頭にも出てくるメイ・サートンの『独り居の日記』(みすず書房)を今机に広げているなかで、あまりに共感できる言葉が綴られていたのでここに引用する。


 私にとっては、孤独な時間なしに人々と、あるいはただ一人の愛する人とさえ、長いこと一緒にいるということは、独りでいるよりなお悪いということだ。私は中心を失ってしまう。散り散りばらばらになったような気がする。


 このところ、誰かのそばから、慣れきってしまった場所から離れる必要があるのだと、そればかりを考えている。いざ実行に移すことはとても難しい。仕事を終えてこの部屋に戻ると、小さな部屋に机だけがあり、この場所ではうんと独りになれるので、独りの時間がないわけではない。けれども、もっとなにかから離れる必要がある。突き詰めてひとりになったときに感じるのは底のない寂しさと悲しさであることは、すでに過去経験しているが、そのとき考えたこと、みえたこと、書けたことは今以上に多く、自分という人間に向き合えた。そうして誰が必要なのかがよくわかった。
人がいるからこそ独りに憧れるのであって、望むのであって、ほんとうの独りぼっちであったなら逆にうんと人を求めるだろう。でも、昔から、ちいさなころから、周りにどんなに多くのひとがいたとしても何かとっかかりのようなものがあり、それに気がつくとすべてのひとたちが遠くに見え、そのなかにいると不安になった。自分は一体どこにいるのだろうか、ここでわたしは何を話しているのだろうか。
山形で、NHKに勤めている女の子と会って、話をした。彼女とは初対面であった。夜、木のしたで例のごとく誰の輪にも入れず酒を飲んでいるなか近づいて話しかけてくれたその彼女と、気がつけば手を握り合って話をしていた。
「わたしは、一時期自分が嘘の言葉でしか話していないことがあったんです。相手はそれでわかってくれるんですけど、そのとき、理解されたときが一番寂しかった。ほんとうの言葉じゃなかったから。それはでも、やめようと思ったんです。やめたら、周りのひとがわたしの言ってることを理解してくれないときもあるけれど。でも嘘の言葉で話すのはやっぱり不誠実だから。自分にとっても、相手にとっても」
彼女の話していることに強く共感する。なぜならわたしも同じ経験をしたことがあるからだ。ここでいう嘘とは、一般的な嘘(事実をすり替える)ではなく、”うまく話すようにしてしまう”、”相手に合わせて話してしまう”、”思ってもないことを話してしまう”ことなんだと思う。社会人になったからには、こう言ったことは少なくとも起こるし、誰もがしていることではある。要するに器用になってしまうことなのだろう。
 自分の言っていることを相手は理解した。けれども、きっとその相手はそこだけで納得し、終わってしまうのだろう。ああ、こんなことを話してなにになるのだろう、と思いながら口先からはベラベラとうまい言葉が出てきてしまう。そんな日には、早く家に帰って独りになる必要がある。紙に言葉を書き連ねる必要がある。
 彼女は、わたしの前では一生懸命に、言葉を連ねて、言葉を連ねて、誠実に話してくれたので、わたしも同じように、言葉をならべて、言葉をならべて、彼女と対話した。
 この時間はとても特別なものだった。彼女はいま、東京から離れた町でひとりで暮らしているそうだ。友達も誰もいない場所にいるのはとても寂しいと言っていたが、わたしはその話を聞きながらうらやましくて仕方がなかった。
分散してしまわないように、独りになる。人の記憶を忘れたくない、だから独りになる必要がある。人と人は簡単に離れてしまうし、簡単に変わってしまう。みるものも、聞くものも、知らぬ間に通り過ぎて行ってしまう。自分が立ち止まって、一度すべてを飲み込まなければ、なにもかもが分散して、散り散りになってしまう。それはとてもかなしいこと。そうして、とても耐えられない。耐えられない。

 



2019年10月16日(水)


台風が来ていた日、タクシーのなかにいた。コンビニがことごとく閉まっているのを初めて見た気がする。ひょっとすると、毎日開いているほうがおかしいのかもしれない。こんな日にしか休めないなんて気の毒、と思っている自分がでもほとんどコンビニを利用しているのでこんなこと言える口ではないのだが、それでも台風の日に都会の人間がほとんど外に出なかったことで、たとえば節電に繋がっていたかもしれないし、無駄な廃棄物を抑えられたかもしれない。その分、小売店はその日の売り上げが赤字に繋がって大打撃を食らっていただろうけれど。生きるために金を稼ぐために私たちの生活の娯楽のために、あらゆるものを毎日踏みにじっている、その分のツケが突然襲ってくるのは仕方のないことだと思ってしまう。自然にはかなわないけれども、それでも台風で自分は無事だった、家も無事だった。被害に遭った方々は大勢いて、死者も出ている。そのなかに今回自分はたまたま入らなかった。



「こんな日に、すみません」と私は運転手に謝っていた。でもすでに乗っているくせに何を謝っているのだろうと、口に出した瞬間に後悔する。行為と言動がともなっていない。謝るくらいなら乗るな、運転手の仕事を増やすな、と斜め上から悪魔がぐちぐち何かを囁いていたが本当にその通り。けれど運転手は「いえいえ。電車が動かないでしょう。こんなときにはタクシーが頑張らなくちゃね」と親切に返してくれたためホッとし、「でも、これからもっとひどくなるみたいです。酷くなったら本当に危ないので、運転は控えたほうが良いと思います」と、考えればわかることをそのまま口に出し、またもや後悔をし、もうこの後は何も話すまいと決めた。


「そうですね。そのときはさすがに帰ります。それにしても、家の屋根が心配だなあ」


目的の場所つく。安全な場所に向かう。そこはほとんど外の音がしない場所で、だからどれくらいひどい雨なのか、風なのかがほとんどわからなかった。ある意味不気味な空間で不安にさえなったのだが。それでも携帯で警報が鳴るたびに、外はひどい大荒れであることを思い出す。話は飛んで、台風が過ぎ去ったあとの空はとても青くてきれいだった。


深夜バスに乗り込み山形について、はじめて山形国際ドキュメンタリー映画祭に行った。6本ほど観た中で良い映画が1本しかなかった。映画が素晴らしかったというただそれだけで終わりだったらよかったのに、それ以外に気をとられ、気をそがれ、あまり良い時間とは言えなかった。同伴者についての話である。一緒にいることで受け入れられる部分が多くなると思っていたが、どうやらそれは違うようで、一緒にいる時間が長ければ長いほど息が詰まり、些細な言動が許せず、そしてものすごく孤独な気持ちになった。彼はおそらく文化人であるのだが、芸術に触れるのは知識をひけらかすためなのだろうか。まず目の前にいる人間について考えることをしないのだろうか。人に対して、言葉に対して、動きに対して鈍感なのはなぜなのだろう。いうことなすことがすべてきれいごと、嘘っぱちに聞こえてならない。山形は寒い地だった。私はすでに冷え切っていたのだろう。寒いからはっきりとわかることがある。



2019年10月03日(木)

今日は父親の命日だった。仕事が終わって部屋に戻ったあとで、思い出せることすべてを、できるだけ思い出そうと努めた。記憶を追わない限り会えなくなってしまったのかと、再び思う。思い出す前にすでに涙が出ていたが、悲しみのためではない。誰かにもたれかかって生きていたくはない、と泣いている途中に強くおもって、自分のなかに大きく冷たい針が一本刺さっているようなイメージを浮かべると不思議と気持ちが楽になる。冷たくて太い針。この針が刺さっている限りは自分がぶれることはなく、他人にもたれかかることもなく、生きていけるような気がした。父の命日にこんなことを思い浮かべてしまうのはよろしくないことだとは思うのだが、いつもいつも自分を保つためにはどうすれば良いのかを無意識に考えてしまっているので、このイメージにたどり着いたときには本当に落ち着いたのだった。そうして今も落ち着けている。もう誰もそばにいなくて大丈夫。もう誰もここに来なくて良い。今はとてつもなく、ずっと部屋の中にいたい気持ちでいる。この針がある状態で人に会うのは困難だ。だから人に何かを話すかわりに、ずっと紙に文字を書き連ねていた。これが治癒で、これが消化。もうずっとこういうことをして過ごしていたい。公開することがすべてではない。書くことは自分のため。こういう風に地を固めて行かなければ、いつどう自分がポッキリ折れてしまうか分からない。それが本当に怖いのだった。誰かはいずれいなくなり、誰かは所詮他人。恋人であろうと友達であろうと家族であろうと。だから、自分は自分で支えなくてはいけない。その土台を今しっかりを作っていきたい。今は誰も近くにいなくていい。そう。父が死んだ後わたしはこの状態になっていたのだった。だから、悲しかったけれども精神は壊さず、なんとか毎日を生きていけたし、過剰に悲しみ、過剰に誰かに寄りかかったりすることがなかった。すべてを遠く見ていた。おちゃらけた自分を演じるのに時々ものすごくつかれる。いつまで道化でいれば良いのか。もう色々をやめたい。そしてひとりで針と向き合っていたい。誰も近づいてこないでほしい、今は



2019年10月02日(水) 10月

十月に入って話題は増税のことばかり。私はあまりに何も考えていないので、何が変わったのか実感がもてない。もうすぐ仕事で面接があるらしい。早いことにもうすぐこの会社に入って一年が経とうとしている。何もしていないのに時間だけが過ぎてしまった。変な風に髪の毛が伸びて、変な風におとなしくなり、それ以外の変化は何もない。どうやら私は社員になれるようなのであるが、そうなったら色々と面倒くさいので、どうしようかなあと悩んでいる。年金は払っていない、国民保険からは脅しが来ている。電気代を払っていなくてもうすぐ止まるかもしれない(請求書がどこかへ消えた)、だけど命は取られていないです。と言っても、やっぱりお金がないと余計な心配事が増える。金のことばかり考えたくないから、いっそ大金を稼ぎたいなと思う。社員になったら大金など稼げないに決まっているのだが。他にやり方を見つけなければ金持ちになんてなれない。かといって、最低限生活ができて、自転車で15分の職場、帰りは本気を出せば7時に家に着くというこの環境はよくよく考えると恵まれているような気がしてきて、見方によっては有り余るほど時間がある。深夜3時に眠るとして、それでも朝の9時まで寝ることができるので睡眠時間は6時間確保できる。部屋でできることはたくさんある。と言っても誰のためにもならない無駄なことばかりをしているので、今日もロシア民謡を流しながらキリル文字を書き連ね、「ゲー」「ヴェー」などアルファベットを声に出して発音したりしていたが覚えるためでは全然ない。なので頭の中に何も入っていないが、キリル文字を見る、書くのはとても楽しい。それから日記を書いたり、色々としている。こういうことができているからまあいいか。来年仕事を辞めてどこかに消えたいなと思っていたが(実行するかもしれないが)、今の所はこの生活を続け、この有り余った時間に何かを見つけていけたら良いなと思う。

明日は父親の命日だ。なんだか昨日から体が重く、今日もずっと何かがのしかかっている。
4年前にあちらの世界へ逝ってしまったわけですが、夢のなかに時々出てくるし、父親の顔と私の顔は瓜二つなので鏡を見るたびに思い出す。忘れることは一生無い。墓が神戸にあるからいけないけれども、あの人はそこにいないはずで。

こんな風にだんだんと私も父親の年齢に近づいていく。気が付いたら30になっているのだろう。
とにかく人生がつまらないものにならないよう、なるべくハチャメチャに生きていきたいと思ってる。それは父の生きかたから見習ったことである。

今一番やりたいこと。ロシアの寒い寒い場所で、凍えながら日記を書くこと。


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左岸 [MAIL]