てくてくミーハー道場
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2018年03月30日(金) |
『ラ・カージュ・オ・フォール −籠の中の道化たち−』(日生劇場) |
ておどるベスト3ミュージカルの中の一つですが、今回もその座は揺らぎませんでした。
ほんっとに素晴らしい。
観てる間中、自分が笑顔満面なのが分かるんだもの(一部、悲しむ場面もありますが)
行く前は、実のところ総裁(鹿賀丈史)のセリフが大丈夫なのかという心配がありました。でも今回は3年前のような呂律の怪しさもなく。結局あれは何だったんだろう? 体調のせいだったんだろうか。
ただ、今回は歌が若干弱っていたというか。
ぼくは、おそらくムリであろうことは承知のうえで、今一度総裁の『シラノ』(ミュージカル版)を観たいのだが、今の総裁がワイルドホーンをフルで歌うのは難しいかもしれ(略)
一方、ザザ(as 市村正親)はもう、自由自在。
日本ミュージカル界の国宝と言っても過言ではありますまい。まじで無形文化財保持者にしてほしいこの方。数多の演劇関係の賞をお持ちだし紫綬褒章も持っているけれども、それだけじゃ足りない。そう確信させられました今回も。
面白いのは、いっちゃんのザザは、昔は普通にきれいなニューハーフだったのが、現在では役に近づいてきて()初老の“元”美人ニューハーフになりかかってるところ。
豪華な衣装を着て濃い化粧をして強烈なスポットライトを浴びて出てくるけど、その直前に薄暗い楽屋でメイクアップをする「マスカラ」の歌詞が実感になってきている。
前回の『ラ・カージュ』では、ぼくは一幕ラストのアルバンが歌う「ありのままの私」にド感動したんだけど、今回はなぜかラストシーンにじーーーーーんときてしまった。
ひと騒動あってめでたしめでたしとなり、いつものように“狂人たちの檻”のショーがクライマックスを迎え、支配人のジョルジュがカジェル(踊り子)たちを一人ずつ紹介していく。
そして最後に、この店のトップスターであるザザが(この先ネタばれです)最大限にきらびやかに登場するかと思いきや。
(ネタばれです)
普段着で出てくるのよね。
ラストシーン、彼は、ラ・カージュ・オ・フォールのプリンシパル・ザザとしてではなく、ジョルジュの“妻”であるアルバンとして出てくる。
なんか今回、そこに思いっきりこみあげてくるものがあった。
観るたびに新しいところで感動できる、やっぱり名作ってこういうものなんだなと実感しました。
ところで、キャストが可能な限り続演するのがこの作品の特徴でもあるのですが、やはり、若さが必要なジャン・ミッシェルとアンヌだけはコロコロ変わる。
アンヌはここんとこみなこ(愛原実花)が続投しているが、ジャン・ミッシェルはぼくが観てる上演すべて違ってる。
今回の木村達成くんも「誰?」と思ってたら2.5次元住民()であった。
3次元へようこそ()木村くん。
歌はまあ、ふつうに合格ライン。ただ、感心するほどではない。
ダンスは、若干ぎこちない。やっぱりみなこに助けられてるレベル。
ルックスは抜群です。いやあ近頃の日本はいくらでも美青年を産出するんだなあ。「きれいな男の子」なんて、一生に一度出会えれば奇跡かと思ってたよ40年ぐらい前までは。
なんか、生クリームのケーキは年に一回しか食べられない超貴重品だった、みたいな感覚。
今やコンビニでも買える・・・あら、マズいこと書いちゃったかな。
話は戻るが、原作の映画(本当の原作はストレートプレイだそうだけれど)を封切で観た時には、こんなにウルウルくる話じゃなかったように記憶している。ただただドタバタして痛快な爆笑ものだった気が。
確かに、同性愛者差別に対する強烈なカウンターパンチは効いていたけれど。
なんだか、久しぶりにフランス映画版『Mr.レディ Mr.マダム』を観てみたくなったな。
2018年03月24日(土) |
砂岡事務所プロデュース『東海道四谷怪談』(よみうり大手町ホール) |
マチネ洋装バージョン、ソワレ和装バージョン両方観せていただきました。
マチネ 洋装バージョン
劇団鹿殺しは観たことがなくて、当然丸尾丸一郎の演出も初めてです。
出演者は、潤ちゃん(植本純米とかいう変な名前に変えたのは何故であろう?俳優が改名して成功したためしは/以下略)となだぎ武くん以外知らない子ばっかり。
とにかく、脚本・加納幸和という一点のために来ました。
読売新聞社ビルに足を踏み入れ、客層に違和感。
ほぼ10代から20代の女の子。男激少。BBA(この場合、30代でも当てはまります)も激少。
ヴィジュアル系のLiveか声優イベか2.5次元舞台に来てしまったのかと(正真正銘の)BBAびびる。
プログラムを買って納得しました。出演者がほぼ2.5次元系(というか、仮面ライダー俳優(←そんなジャンルがありますか?)とか、ボーイズアイドルユニットとか・・・おばちゃんもうついていけん/泣)の子たちだったんですなあ。
びびりにびびって開演を待つ。
幕が開いて舞台が進み始めたら、あら安心。←
南北の名調子がほぼほぼ残った美しいセリフの数々。おばちゃんが見慣れた『四谷怪談』の世界が一気に立ち上がっていた。
加納さん、ありがとう。
そして、プロ(って言い方もおかしいが)の歌舞伎俳優でさえ苦労するという難しい南北調のセリフを、この半分素人のような(おいこら)若い俳優たちがきっちりモノにしていることに感心した。
ちゃんとセリフになってるじゃん。すごいな。
潤ちゃんが花組入団1年目なんて、こんなにちゃんと喋れてなかった気がするぞ(こらこら)
ただ、全員が全員良かったかと言えば実はそうでもなく。
良くなかった子の悪口をわざわざ書きたくないので、良かった俳優さんを書きます。
なだぎ氏と潤ちゃんは良くて当然なので除外する。
一番良かったのが、一番良い役なので当然かもしれないが、伊右衛門を演じた平野良君である。
洋装バージョンなので、チンピラみたいな服装の伊右衛門。
小道具は和洋共通らしく、殺陣では日本刀を使っていたが、その剣捌きも見事である。
色悪らしい色気もあった。何より、このお話の中心人物らしさ、主役らしさ(主役はお岩様なんじゃねえかと言われるとアレだが)があり、重畳であった。
次に良かったのが、直助役の桑野晃輔君。衣装のせいか80年代のアイドルみたいな雰囲気だったが、芝居はきっちりしていて、声がハスキーなのがぼく好み。
もともと直助もこの演目の中では“良い”役(悪党なのに)だからなあ。
さすがに大きい役には「できる」子を配役したんだろうな・・・って、他の役を演った俳優さんたちを結局ディスってしまった無神経なあたし(反省)
わっ、桑野君のバイオグラフィー見てたら、ぼく、前にこの子が出てた芝居観てるわ。
・・・すまん。覚えてなくて。(でも、端役(コラ)だったんだもん)
演技力という点では可もなく不可もなくだったが(おいこらこら)見た目一番いい男だったのが与茂七役の白又敦君。
いわゆるイケメンです。与茂七にぴったりだ。髪型(ちょい長めのイガグリ)は「何があった?」って感じだったけど←
イケメンはイガグリでもイケメンつうことで(何故か投げやりな感想)
で、出演者は花組芝居同様全員男子だったので、お岩様やお袖、お梅ちゃんなども全員女方。
この辺は、「女方なんてのは、そう簡単にできるもんじゃねえんだよ」の一言でお察しください(あらまあ)
難しいんだから、しょうがないよね。(釘刺し)
素顔はかわいい男の子たちなんだろうけど、化け方の基本がなっとらん(ずけずけ)から、しょうがないよね。
ぱっと見、背が低くて顔がかわいかった今川碧海君(お梅役)も、セリフを発したとたん「え?!」(声が思いっきり低かった)
あとは・・・(悪口は言わない!言わない!)
あ、ほめよう(無理しなくていいんですよ?)
いや、無理してない。お梅の乳母・お槇役他の土倉有貴君。芝居がこなれている。花組芝居にいてもおかしくない。
バイオグラフィー見たら、ぼくがよく行く商業ミュージカル畑の俳優さんなんだ。認識してなくてごめんなさい。次回出演作『GHOST』観に行くから、気を付けてみるね。
さて、感想は内容についてになりますが、歌舞伎なら昼の部夜の部通しでやるくらい長々としたこの演目を、休憩なし2時間半にぴしっとまとめてしかも過不足がない(「夢の場」まで出てきたことにびっくり!)ことに驚嘆。
ラストシーンは花組の『いろは四谷怪談』並みのロマンチックさだったし(ただ、あそこでお岩様がすすり泣くのはぼく的にはどうかなーという感じ)、今回のお客様たちへの吸引力はあったと思う。
加納の手練と、丸尾の演出力のなせる業であろう。
若い観客には、これぐらいのスピード感じゃないとダメなんだろうな。てか、年寄りこそ長い芝居は体力的につらいので、これには感心した(マチソワできちゃったぐらいだもんね)
もともと花組芝居もスピード感が売り物なんで、かつて花組を観た翌週に歌舞伎座に行ったりしてると、芝居のスピード感のあまりの違いにぶっ倒れそうになったこともある。
「歌舞伎を若い人に観てほしい、とか松竹や役者たちが盛んに言ってるけど、『若い人に観てもらう』工夫をお前たちがしてないんじゃないか」
と、思ったものだ。当時はぼくも一応「若い人」の部類だったので。
ただ、単純に話をはしょるだけ、話の展開を早くするだけではスピード感があるとは言わない。歌舞伎には歌舞伎たる「コク」がどうしても必要だし、古典は古典で残していかなきゃならないし。
こういうところにヒントがあるんじゃないかと思いました。
さて、洋装バージョンに結構感心したので、和装バージョンならもっと世界観に入り込めるかな、とソワレ 和装バージョンを観劇。
これがね。
(出た。必殺「行空け作戦」)
そうだった。
出演者、若いんだった。
ほぼ平成生まれなんだった。
(いや、昭和中盤生まれのぼくでも、自分ひとりで着られるのは、教則本と首っ引きで小紋が精々なんですが)
なので、和装バージョンでは衣装が全滅。特に女方の着付けがひどく、がっかりがひどかった。
そもそも衣装の色味や素材自体がひどいので、形にもなってないからしょうがない。
衣装の色味や素材が粗末なのは花組芝居も変わらんけど(こら)、役者がきちんと着こなしているからまだ見られる部分があるのでね。
むしろ立役の方々のほうが、ちゃんと着てた。男のまんまでいられるからその点楽だったのかも。
ともあれ、若い役者たちがこの難しい芝居に一所懸命に挑んでいたことは称賛に値します。
半端な気持ちで演ると「たたり」が怖いからねこの芝居は(そゆこと言うな!)
いやいや、見たところ無事千穐楽まで無事故だったみたいだから、お岩様も彼らの真摯さに感心したのだと思うよ。
公式サイトを見ると、伊右衛門を演じた平野君も於岩稲荷(田宮神社じゃなく陽運寺の方)にお参りしてるみたいなんだが、おいおい(汗)
※『四谷怪談』を上演するときは必ず四谷の於岩稲荷を出演者スタッフ一同がお参りするのがルールなのだが、伊右衛門役者はとりつかれるので()参らないのがならわし
ま、時代は進んでいる←
かたいこと言うなってか。
(適当な終わり方すんな!)
当公演の出演者たちの今後の作品に出合うことがあれば、それぞれに注目していきたいと思いました。
2018年03月18日(日) |
宝塚歌劇団花組公演『ポーの一族』(東京宝塚劇場) |
この作品の上演決定の一報を目にしたときのぼくの偽らざる心境は、
「お願いだからやめて(;;)」
でした。
これまで実にさまざまなマンガ原作を、あるときは歴史的名作にまで昇華させ、あるときは目も当てられないほどレイ○(すみれコード)してきた宝塚歌劇団。
でも、ぼくにとってはほとんど他人事でした。
だって、別に知らなかった作品ばっかりだもん(←エゴの塊)
だが今回ばかりは。
ぼくがこの長い()人生の中で、後にも先にも、絶対不可侵を守り抜いてきた不朽の聖域。
それがとうとう踏みにじられるのか(号泣)
(ちょっと待て。なんで失敗すると決め付けるのか)
だってさ、主人公は(見た目)14歳の美少年なんですよ?!
“美”部分は何とかなるのは分かってますからいいんです。
が、タカラヅカのトップ男役さんてのは、たいてい20代後半から30代ぐらいまでの「青年」を演じるのが常でしょ?
たまに回想シーンで10代時を演じたりするけど、それはあくまで別時空のものであって、どうしても子役芝居になる。
最初から最後まで「14歳」を不自然さなく演じることができるんですかっ?!
できるんならやってみろ!
できていました・゚・(ノД`;)・゚・←嬉し泣き
お見事でした
すみません。宝塚を舐めていて。
いや、明日海りおを舐めていて。
小池修一郎を舐めていて。
ほんとうに、ほんっとうに、すみませんでした!(本心)
まず小池先生をほめますが、「この作品を劇化するために宝塚に入った」と豪語するだけあって、美意識に頑ななほどの絶対的自信を持つ原作ファンの反感を、ここまで華麗にかわした才能、実におみそれしました。
これまで小池先生の“原作モノ”を観てきて、『銀河英雄伝説』みたいに説明役出されたら絶対やだなーとか、『るろうに剣心』みたいに、原作にいないキャラクター出されたらやだなーとか、心配は本当につきなかったのです。
それがなかったことが(まあ、「説明役」はいたにはいたけど、あれって原作にもちょっと出てくる人たちだから)とにかく嬉しい。
そして、あの長いストーリーをどうやってまとめるんだ?と思ってたんですが、その辺はこれまでの原作モノの数々で慣れてらしたようで。
アート男爵家のくだりをあんな短時間に大幅カットするとは、逆に大笑いでした。
なので、トップ娘役をメリーベルではなくシーラに当てた理由も納得。
確かに原作マンガは、最初のうちはエドガーよりもメリーベルが軸になってる王道の少女マンガで、そのうち「美少年ブーム」がきてエドガーに軸が移ったと記憶している(というより、エドガーというキャラクターが生まれたから美少年ブームが起きたとも言える)
そこを、すっぱりと短縮。
オンナコドモが観るのに(逆に、だからこそ)、主人公はあくまでも男、という宝塚歌劇のルールを遵守。
原作ではけっこう後になってから出てくる「エドガーがポーの一族である理由」を時系列でやったことも、舞台作品として正解だった。
ただし、二つだけどうしてもダメ出し。
一つ目。
「エドガーダンサーズ」出すな。←!
ああいうのはぼくはダメだ。
『エリザベート』の黒天使は、元々いる人たちなのでかまわない。
でも、「エドガーダンサーズ」は要らん。
シリアスな場面なのに、原作に思い入れのない人たちに笑われる感じが、どうしても不愉快(こら)でした。
何だろ、ああいう演出を何にも感じず見てしまえるときもあるんだけどねえ。
思い入れが強いと、どんな小さなことでも気になってしまうわけですな。
二つ目。
(ネタばれになるからボカします)あの二人を、クレーンに乗せるな。←!!
ガクガク揺れるお盆の上で歌わせるな。
興ざめですよ。オスカルの白馬(2006年『ベルサイユのばら』オスカル編)ぐらい失笑モノでしたよ(p;)
天空を駆けるイメージだったんでしょうけど、いかにタカラジェンヌが細かろうと、実際引力には逆らえぬ生身の人間ですぞ。
正直見ててヒヤヒヤしました。まあ、安全は担保してるんだろうけど、とにかくガクガク揺れるのが許せなかった。
さて、ダメ出しをしてすっきり()したところで、あとは賞賛一方となります。
とにかく、みりおが素晴らしくて・゚・(ノД`;)・゚・(←2回目)
子供時代(って、エドガーはずっと子供だけど。えー、書き直します。一族になるまえのエドガーね)の芝居も、さほどわざとらしくなく(贔屓目かしら?)
ぼくが一番好きなのは、(ここはもう一族になった後だけど)セントウィンザー転入初日に同級生たちに意地悪されて、
「この足だよっっっ!!!」
と蹴飛ばすところ。
めっちゃ子供らしいシーンで、みりおの声色も子供っぽいんだけど、なよなよしさが皆無。
原作を通して読むと分かるんだけど、エドガー(実はアランも)ってすごく気が強いんだよね。
言葉遣いが独特なので(「父さま」とか「〜ごらん」とか)なよなよしく捉えられがちなんだけど、実はまったく違うんです。
そういや、この辺の言葉遣い、あんまり耳につかなかったな。ぼくは原作オタだから感じなかったのかな。それか、初見の人たちがギョッとしないために、うまく薄めてたのかも。
そして、実はここを一番デカい字で書きたいのですが、ホテル・ブラックプールの螺旋階段にポーツネル一家が姿を現すシーンがもう衝撃的過ぎた。。
エ、エドガーがそこにおる!(@_@;)
実物大(エドガーって身長169センチかなあ?←)のエドガーが!!!!!
思わず「ぎゃっ」と声が出そうになったほどです。周りのお客さんに迷惑なんで出さなかったけど←
「マンガから抜け出てきた」なんてことをよく申しますが(いきなり落語?)、今日、初めてそれを現実に目撃しました。
何なの、あれは。あれは何だったの?(ておどるさん、しっかり!)
いやー白状しますが、最初のうちは、「ほぉー、みりお頑張ってるじゃん」ぐらいの生ぬるい気持ちで見てたんすよ。
若干の違和感は見逃してあげるからね。ぐらいの上メセで見てたんすよ。
それが、それが・・・・・・ううっ(>_<。)
もうこのシーン以降、「ああ、エドガーが動いてるよう・・・実際にしゃべってる(なぜか日本語で←コラ)よう・・・うふ、うふふふ」(だ、大丈夫?!/汗)と笑いを堪えることができない危ない人と化したぼく。
プログラム見るまで知らなかったんですが、今回みりお始め主だった役の生徒たちはカラコン入れて原作と同じ色の眼にしてたんですってね。
実は「そこまでせんでも」と思ってます(映像化するからそこまでやったのかな)
だって、客席からはそんなん分からんし、分からんでも、ちゃんとそう見えたから。
あの、ほっそりとした「大人になれない」元祖美少年の権化とも言える姿が、実際に目に飛び込んできたときの衝撃は、しばらく忘れないでしょう。
そうか、このせいなんだな、「エドガーダンサーズ要らん!」と思ったのは。
みりおと同レベルのスタイルじゃない子(お、お黙り!/汗)がチラチラ混じってたから耐えられんかったんや。
そして、14歳のエドガーを無理に子供っぽく演じていなかった点も重畳。実際、マンガの中のエドガーは大人っぽいしね(ブラックプール出現時点で約100歳だし←)
ここで前述の「この足だよっっっ!!!」が出てくるんです(笑)
こんな風にアンビバレンツなところが色気になる。鉄則ですね。
ただ唯一「うーん」と思ったのは、原作オタとしても「ここに一番気合をこめてほしい」と思った印象的なセリフ、
「おいでよ、ひとりではさみしすぎる」
を、薄笑いで言ってたところかな。
ここ、原作のエドガーは笑ってないので。
おそらくみりおとしては、アランが思わず引き込まれるようなエドガーの妖しさを出そうとしたんだろうけど、原作クラスタとしては、「そこはそうじゃない」と申し上げたい。
ここは、エドガー自身の、絶対的な孤独感が出ているシーンだから。
なんか『ポーの一族』全体を知ってると、アランてエドガーに比べて幼稚で問題児(実際そうなんだが/苦笑)っぽく感じるんだが、実はエドガーだってそれほど達観してるわけじゃない。
ここは、唯一と言っていいほど、エドガー「が」アランに頼るシーンなんだ、とぼくは思ってる。
だから、ここでエドガーは、一世一代のプロポーズ(たとえがダサいが)ぐらいの覚悟を持ってアランを誘ってるのである。そんな気合をこめて「おいでよ」って言ってほしかった。
・・・暑苦しいですか?ぼく(うん、多分)
さて、みりお以外の生徒さんたちの話はもうざっと(愛の濃さが・・・)にしますが。
今の花組、歌ウマ生徒が路線にそろってて本当に嬉しい(雪も宙もすごいけど)のだが、男役二番手が歌が弱いってのがプチ悲しい。
二番手ミキシングはしてもらってたようだけど、トップの二人や三番手(は、ちなつちゃんだとぼくは信じる)が段違いにうまいので、どうしても聴き劣りが。
そこはもう事前に覚悟してたので、とりあえず「原作クラッシュしてないか」という点に注目しました。
うん。この辺は大丈夫(そんなに感心はしてない様子)
アランてもっとはねっかえり(もっと言うならガキっぽい)なんだけどなあ。
カレー(柚香光)はどちらかというとノーブルな雰囲気を持っている子だから、組事情の弱点が出てしまった感じ。
だからと言って他の誰かがアランを演ったら、ちなつちゃん(鳳月杏)の絶品クリフォードはないかもしれなかったわけだし。
ただ、「ここは素晴らしい」と思ったのが、ほとんど終盤になってしまうんだけど、ガブリエル・スイスに転校してきた二人が登場するシーン。
下手でルイスがエドガーに話しかけてる隙()にアランがやや上手奥から現れるんだけど(ここはカレー贔屓には超ごちそうの場面です)、すっかり雰囲気が神秘的になっててゾクゾクしました。
も、もしかして『小鳥の巣』編、あり?!((◎▽◎o)))ワクワク期待と不安がフィフティーフィフティー
どうせやるならこの布陣で・・・と思うぞ。だが、あと何年みりおが(言わないで!/悲痛)
全然「ざっと」じゃねえな。
すみません。他の方たちのことは割愛させていただきます。
最後にまた小池先生の話になるが、セントウィンザーとかガブリエル・スイスとかの、「外国の学校の男子生徒たち」を描くのが妙に上手いね小池先生って。
『PUCK』ですでにその萌芽があったんだな今思うと。
というか、これが宝塚歌劇団という劇団の大きな特徴なのかもね。
モブシーンのまとまり具合がはんぱないという。
さて、ラストシーンででかい波紋を作ってくれました小池先生。
まあ、歌劇団て、「続編くるぅ?」と思わせといて結局やら(れ)ないということも多々あるんで(おい)
下手な期待はせずにぬるく見守りたいと思います。
2018年03月17日(土) |
ミュージカル『ジキル&ハイド』(東京国際フォーラム ホールC) |
もちろん傑作なんですが(ぼくの個人的意見では、ワイルドホーン作品の中では最高傑作)、上演の度に欠かさず観るほどでもない作品で(おいこら)
今回来たのは、やはり新キャストに惹かれたってのが大きい。
アターソンを(田代)万里生、ルーシーを(笹本)玲奈。これがデカい。(他のキャストの皆さん、ごめんなさい)
シャレ(?)的な部分では、エマ役の新キャストを宮澤エマちゃんが担当。彼女にもちょっと期待した。
で、実際に観た感想。
まず、田代万里生が上々吉。
アターソン役はなぜか上演されるたびにコロコロ変わっているのだが(石川禅ちゃんのみ2005年と2016年の2回登板)、アターソンを誰が演じるかでこの作品の面白さがガラッと変わると言っても過言ではないとぼくは思っている。ただしぼくは過去7回の上演のうち5回しか観ていなくて、しかもそのうち3回分しか断片的に覚えていないというけしからん客である。
だがその断片の中でも、禅ちゃん版アターソンを観たときに“初めて”「アターソン役って、大事なんだなあ」と思ったことを鮮明に覚えているので、それ以前のアターソンが誰だったのかとか調べないように!(こんなこと書くと逆に調べるだろが!)
で、今回の万里生アターソンも、適度にチャラくて()友達思いで、性格軽いくせに職務は有能で、特に今回のアターソンで一番グッときたのが、ジキルに頼まれてルーシーに「ロンドンから出ていきなさい」と言いに行く場面のジェントルさ。
よく考えると、マリオ君てさほど“主役俳優”ではないんだよね。やってる役、主役ばっかりではない(もちろん主役も多いが)。だけど必ずその作品をキリッと引き締めるお芝居をしている。
好きだっ!マリオ!!!(何故このどさくさで告白?)
次回作は久々再演(といっても、今度から甚だしく改作されるらしい)『マリー・アントワネット』のフェルセンか。
おおお〜!行かねば。
で、婚約者(エマ)からSM遊戯のお相手(ルーシー)に昇格()した玲奈ですが、とにかく心配だった「色気があるかどうか」(失礼な!・・・でもナットク←オイ)の一点ですが、そこらへんは意外に・・・というか、むしろ期待以上にアバズレ感があり、「そうか・・・玲奈ちゃんもすでにそういうお年頃(略)」と一抹の寂しさを味わったのでありました。
芝居を観るうえで俳優の私生活をいちいち重ねるのも実に失礼な話だが、ピーターパン玲奈ちゃんも実はすでにお子さんもいる人妻なのであるよな。それで色気がなかったらむしろやばい。
でも、おそらくぼくの思い込みであろうが、なんか“苦戦”してたようにも見えた。
なあんか違う。
マルシア姐さんからのハマメグ姐さんという、色気の権化のような()歴代ルーシーがこびりついてるからだろうか。
「おー、頑張って色っぽく歌ってるな」
という感想になってしまった。
あと、初演から振付(?)が変わってしまった「Dangerous Game」の演出が、なんかぼくは気に入らない。
情緒がないというか、下品な感じがして。
野獣男と娼婦のエロシーンなんだから、下品とクレームつけること自体おかしいのだが、それもこの作品の「格」みたいなものに関わってくるような気がするんだ。
ちなみにルーシーのビッグナンバー「A New Life」は、やっぱり「今歌ってる場合か!」という感想になってしまいました。残念。
エマちゃん役のエマちゃん(要するにこれが言いたいだけか)
・・・おかしいな、この人歌うまかったはずだよな。(えっ?)
なんか、予想を覆された。
いえ、別に下手ではなかったんですよ。
でも、そうね、ルーシーと拮抗するレベルのエマではなかった。
上手なエマだと、ラストシーン、ステキに泣かされるんですよ。
でも今回は「あー(ヘンリー)死んじゃった。かわいそ」程度の感想しか沸いてこなかった。
だけどね、実は今回、一番強い印象だったのは、大きな字では書けないので小さな字で書きますが、
石丸幹二さんが、思いのほか全然良くなかった
ということなんです。
なんかなー。
ぼくが思い描いてたジキハイとことごとくズレがあるという感じ。
ヘンリーの第一声「やーみのなかー♪」を耳にした瞬間から、
「あれっ、なんか違う」
と戸惑ってしまった。
なんていうか、「声が弱いなあ」と。
天下のイシマルカンジに向かって「声が弱い」とは恐れ入ったことだと思うのだが、多分これは、ぼくがいつも聴いてるジキハイCDが、Anthony Warlow版だからなのではないでしょうか。
めっちゃすごいんよ、この人の声。
Anthony Warlowの歌で覚えちゃったら、およそ誰のバージョンでも物足りなくなっちゃうかもしれないけどね。
いやあしくじった(妙な反省)
まあぼく的にはこのミュージカル、どっちかっていうとアンサンブルのナンバーの方が好みってのもあるんで、そういう意味では十分満足しましたけど。
事件♪事件♪(←これか)
あと、「Facade」の「稼ぐ以上に使う女〜♪」っていう歌詞も好き(笑)
高平哲郎先生は、つくづく天才ですな( ̄- ̄ )
2018年03月10日(土) |
『ドレッサー』(本多劇場) |
カトケン(加藤健一)さんのお芝居、もしかして初めてかもしんない。
ぼくの観劇趣味は偏ってますからな。
ところでしかし、この『ドレッサー』という作品は好きで、カトケンさんがノーマンを演じたという1988年バージョンはさすがに観られてないのだが、観劇歴についてはこの日(★)の日記に書いております。
んで、今回もこの作品が好きだから観に行ったわけだが、今回版のお目当ては、いわずもがな、ノーマンを加納幸和が演じるからというのが第一義であった。
で、実際に観た感想はというと。
・・・・・・(エッ?!)
・・・うん。
・・・なんだね、うん。←
そうだなあー。
感想書かない方が良かったかな。(だったら書くな)
いえ、つまらなかったとかではないんですよ、全然。
普通に期待通りの『ドレッサー』を楽しめました。
・・・ただ・・・(歯切れ悪いなあもう)
要するに、上の「★」のリンク先の上演が、とても良すぎたってことなんです。
それが、演出の差なのか、出演者の差なのか、はっきりとは分かりませんが、あの時に受けたほどの感動が、今回はなかった。
あ、そうだ。座長役の方の変遷(渡辺哲さん→橋爪功さん→加藤健一さん)からくる、座長というキャラクターから受ける性格の違いが面白かったな。
今回のカトケンさんの座長は、バックステージではほんとわがままで頼りなくてドスケベで、ってとこは脚本のとおりなんだけど、舞台上に出た瞬間にシャキっとなる「老いてはいるが未だ人気役者」って感じだった。
決して「もうすでにヨボヨボ」ではない。舞台に出ればお客さんが喝采する、まだ現役の名優。
(なんか、前者お二人が「すでにヨボヨボ」みたいな書き方してすみません。いやご本人がそうなのではなく、そういう役作りであった、ということで)
ぼくのお目当てのノーマンについては、加納さんのこういった役に対して、やっぱ戸惑いがあったというか。
いつも女方しか見てないからね。
いっそ普通のおっさん役だったら「今回はそうなんだ」と割り切って見られたんだろうけど、ノーマンて、果たしてゲイなのかそうでないのか(セリフはオネエっぽいのだけど、それはオネエだからっていうよりも、職業柄っていうのが前提みたいになってるから)よくわからないから、なんかソワソワするというか。
このお話の一番のネタバレをしちゃいますが、座長が書きかけのまま死んでしまう「自伝」の前書きにノーマンの名前がどこにもないことにうらみつらみを吐露するシーン、ここがノーマン役者の一番の“見せどころ”なのではないかとぼくは感じているのだが、加納さんはこのシーンで、あんまり怒りを爆発させてなかったように見えた。
それは、そんなに怒ってないってことじゃなくて、ノーマンという男が、こういう時に、周りが怯むぐらい怒るような性格ではない、あくまでオネエっぽい(なので怒り方も、なんか、高級クラブのママが、信じて付き合ってた男に大金持ち逃げされた時の怒り方みたいだった。例えが独特ですみません)、という加納さんの解釈だったように見えた。
そしてその点が、ぼくが考えてたノーマンとは違うように思えた。
ここのノーマンは、「散々世話焼いてやったのに!この恩知らず!」と座長を罵っているが、その言葉の中には、「何勝手に死んでるんだよ!なんで俺を置いていくんだよ?!」という感情がそこには潜んでいるようにぼくには思える。腐女子的発想かも知らんけど。
ノーマンは座長を演じる役者より若い俳優が演じるのが常なので、完全に「主と従」みたいに見えるけれど、映画版では実は同じぐらいの年齢の俳優が演じていたような記憶がある(今確かめたらそのとおりだった。ノーマン役のトム・コートネイは1937年生まれ。座長役のアルバート・フィニーは1936年生まれ。1歳しか違わない)
だから、この二人は“同士”であり“表と裏”であり“光と影”なんだと思える。
今回のお二人(カトケンさんと加納さん)は、そういう二人の関係性が見えるような座長とノーマンではなかった。そこがぼくには残念だった。
まあ、ぼくの考えが正解と言い切れるわけではないんだけどね。
あれ?今この作品について検索してたら、2005年にもパルコ劇場で上演されてるんだ。
座長が平幹二朗丈、ノーマンが西村雅彦さん。うおお、すごいキャストだ。
・・・これぼく観なかったよな?
観てるのに忘れてるのだとしたら、ほんっとぼくの観劇趣味なんて何の実も結んでないぞ。
・・・(確かめるのがコワイ)
ところで、今回の観劇での新しい発見としては、ノーマンがことあるごとに「アタシの古い友人」のエピソードを周りの人たちに話して聞かせるところ。
この「友人」て、本当にいるのかな?とちょっと思ってしまったりして。
困っている相手を慰めるために、また、頑なな相手を説得するために作られた、架空の「友人」なんじゃないか、と、ふと思う場面もあった。
だからってそれにどういう意味があるのかと言われても困るが。(なんのこっちゃ)
2018年03月06日(火) |
パーヴォ・ヤルヴィ&N響『ウエスト・サイド・ストーリー』シンフォニーコンサート版(Bunkamuraオーチャードホール) |
最初に言っときますが、ぼくには交響楽団の良し悪しは判りません。ほとんどコンサートに行ったことないですし。
ぼくの知識では、宝塚歌劇オーケストラよりはダットミュージックオーケストラの方が〇まい、というぐらいしか(黙れ)
なので、オーケストラに関しての感想は恐れ多くてできませんし、今回出演したソリスト(歌手)の皆さんのことも全然知らなかったので、ひたすら、プログラムへの感想のみ記します。
さて実は、ぼくはつい最近『WEST SIDE STORY』を観ている。
感想書いてないけど、1月中旬に、宝塚歌劇団宙組による上演を観に行った。
これが今頃感想書くと、めっちゃめちゃ良かった。
詳しく書くとこのコンサート版の感想を書く時間がなくなるので書かないが、「めっちゃめちゃ良かった」ということだけお伝えしておきます。
閑話休題。コンサート版。
『ウエスト・サイド・ストーリー』演奏会バージョンといえば、6年前に佐渡裕さんが振った東フィル版に行ったことがあるが、これは映画の映像に合わせてナマの演奏を聴く、というこれまたユニークな催しだった。
今回は、映像はなく、純粋に音だけで『ウエストサイド』の世界を楽しむというもの。
お話の中で音楽が鳴っていない部分はカットされてる(芝居部分はない)ので、全編1時間半ぐらいで終わるはずだったのだが、通常上演されるときと同じく一幕と二幕の間にきっちり休憩時間があり、2時間強かかった。これもお話の余韻を大事にしてるってことなんだろうか。
さて、そんなわけで聴衆であるこちらとしては、ナマの素敵な演奏を聴きながら、頭の中では各自お好みのキャストがダンスダンス(歌は舞台上でキャストの方たちが歌ってるので)しているというバーチャルな体験をいたしました。
すると興味深いことに、通常の上演形態で楽しんでいるときには気が付かなかったことにいろいろ気づくのだった。
「へーっ、ここでこんな楽器が使われていたのか」
とか、
「おおおー、このメロディはこの場面にも出てきてたのか」
とか。
“見る”ことに神経を使わない分、“聴く”ことに全神経を集中させているからこそ判ることが多々あって、非常に有意義な体験をさせてもらいました。
あー面白かった。
(料金)高かったけど。(最後になって文句言うな)
オーケストラを生で聴こうと思うと、高いのよね。
いや、エンゲキも負けず劣らず高いんですが。
2018年03月03日(土) |
ちょっと待ってください、まず情報を整理します |
うだうだしてるうちに3月に入ってしまいました。
春とともにやってくる強敵(花粉)の先発隊に一撃目をくらった予感がします。今とてもノドが痛いです。
といいますか、1月中旬のインフル擬態の感冒以来、ノドの痛みがほとんど治まっていません。20%ぐらいでしょうか。
ぼくの口調変ですか?
変ですよね。
誰かの口調に似てますよね。
先月の17日から27日あたりにかけて連日テレビでインタビューが流されている、金メダルを首に下げているあの人の口調に似てますよね。
ハンドマイク持ってジャンプの種類を説明している姿(日本外国特派員協会での記者会見)なんて、背景が黒板に見えましたよね。
若い講師が大学生に向かって講義しているようにしか見えませんでした。
こんなに理路整然とプレゼン(?)できる若手社員、ほしいですねうちの会社にも。
どの会社もほしいでしょうね。
まず、会場に入ってきたとき、席に座るとき、席を立つとき、会場を出るとき、必ず聴衆に向かって一礼するあたり、就職の面接試験なら百回受けて百回合格しそうですからね。
まあおそらく彼は就職試験なんて受ける必要はないでしょうが。
というわけで、仕事(とちょっとした悲しさ)のため視られていなかった、もろもろの記者会見(帰国翌日の27日は1日で5か所(!)を回ったそうです)や出演したテレビ番組の映像を、今日はほぼ半日、じっくり視て過ごしました。
1日5公演(違)の日は、彼もさぞお疲れになったことと思いますが、ひととおり時系列で映像を視たぼくも、かなり疲れました。
26日の日本選手団帰国記者会見から視た(それもぼくにしては珍しく、羽生君以外をトバすとかせず、全部ちゃんと視た)のもあって、かなり時間がかかりました。
質問が羽生君(と小平さん)に集中していたことに、「マスコミ自重しろ」と思わないでもなかったんですが、一般大衆の嗜好に鼻の利くメディアにしてみたら、仕方のない態度なのかもしれません。
ぼくとしてはカーリング女子LS北見の明るさに心が和みました。
レジェンド葛西紀明さんが北京も目指すと発言して場の空気を(略)していましたが(←こらっ!)
でも、年齢がハンデにならない競技ってステキだな、とも思いました。
で、翌朝の日本選手団解団式は、学校でいえば卒業式みたいなもんで、おごそかに粛々と式次第が進む、見ててもたいしておもしろくない()ものでしたが、卒業式よろしく選手の皆さんがJOC会長の竹田恆和氏から特別賞の表彰状を受け取るシーンを見ていて、やはり彼の所作の無駄のなさにひそかに感心しておりました。
いいんです。平野君みたいにぎこちなくてもいいんです(余計な事言うな!)。そういうのも、競技の特性を表してるみたいで微笑ましいじゃないですか。
スノボもフィギュアも「見た目の美しさ」が評価される競技。
ただその「美しさ」の基準点がちょっと違うだけの話で。
バレエとヒップホップダンスの違いみたいな。
でも、どっちもやはり「上手い」人が美しいんだよね。上手くなけりゃ美しくなりようがない。
その「美」に「点をつける」という難しさが双方にありますが、ぼくはこのテの競技が好きなので、今回も面白く観戦(テレビでだけど)しました。
そして、一般人に開放された日本選手団帰国報告会
松岡修造さんの独壇場(≧∇≦)以外の何ものでもなかったのですが、まあ、彼ぐらい全アスリートに対しての愛情が感じられるレポーターはいませんので、全編面白かったです。ここも、いつものぼくなら「フィギュアスケートのターンだけ視よう」と思うところなんですが、あまりにも修造さんが熱かったので、呼び込みから最後までじっくり視てしまいました。
そしてここでは日本人選手メダル第一号になったモーグルの原大智選手の、ちょっと昔の少年漫画系の明るさが印象に残りました。なんかいいぞ彼。じわじわくる←
ここでの羽生君に関しては「寝ぐせカワイイ」(←)の一言です(≧∇≦)就職試験ピンチ()
この次には羽生君は文部科学省に行って帰国報告をしたそうなんですが、その映像はニュースでちらっと見ただけなので省きます。
林大臣や役人の皆さんに、フィギュアスケートの振興のための助成をしっかりとお願いしていたらしいです。
こういう政治家、ほしいね。うん(というのは嘘で、ぼくは個人的に羽生君には政治家にはなってほしくありません。どんなに唆されても(オイ)立候補はしないでください)
次が、上にも書いた日本外国特派員協会記者会見ね。
就職試験百発百中の有望学生風ありーの、講義する若き研究者風ありーの、外国特派員の方々の質問の発想が日本人のそれとまた違うので、やけにストレンジ&ディフィカルトな質問の数々に困り顔もまた一興でした。
そして、視てる方のぼくが一番疲れのピークだったので、羽生君もそうだったかも、と思う日本記者クラブ記者会見
話し方が若干ふわふわしてるんだよね。
質問に対して一つ一つ長めに(それを言うな!)理論的に答えてるんだけど、何となく「それ質問に答えてないんじゃないか?」という発言がいくつかあった。
口調がもう完全に「先生」のそれなので、成績中の下の生徒気分でしたぞあたしゃ(それはナニか?宇野君みたいに眠←発言不許可!)
ていうか質問自体が意味不明なものが多かったのかな。この会見が視てて一番疲れたので、今度体調が良い時にもう一回視てみようと思います。
ふぅー、これでおしまいだ羽生君がんばれ(そしてぼく)のANA 金メダル獲得報告会
実はこれが一番良くて、本当に心があったまりました。
羽生君が「ただいま」と挨拶しただけのことがあって、会場の雰囲気が完全にホーム。
やっぱりメディア相手の会見なんかは、いくら顔見知りの記者がいようとも「アウェイ」なのかもしれないな。
そして、記者クラブの会見では若干スベり気味だった(そんなことない!)羽生君の発言も、ここではしっかりANAという会社の特性に絡めた内容で、百点満点でした。来年度ANAの入社試験を受けようと思っている皆さん、羽生君をお手本にすれば合格間違いなし!ただし二番煎じは見抜かれますのでご注意を(お前誰なんだよ?)
よーし疲れた←
テレビ出演なんかも何本か視たんですが、感想書く体力が残ってません。
感想書いてないてくてくも溜まる一方で、(1月分からのを)ざっとタイトルだけ書いとくと、宙組『WEST SIDE STORY』『黒蜥蜴』『ゴールデンボンバーニューアルバム「キラーチューンしかねえよ」 鬼龍院以外のメンバーも初聴き先行披露ライブ』『ぼくの友達』、藤間勘十郎文芸シリーズ其の三『恐怖時代』『多神教』、cube三銃士『Mon STARS Concert〜Again〜』(ゲスト・井上芳雄の日&中川晃教の日)
・・・・・・
遊びすぎじゃね?(自問自答)
・・・あんまり整理しない方が良かったかも・・・(もう遅い)
3月は少し自粛・・・しよう・・・か・・・な・・・(信憑性なし)
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