てくてくミーハー道場

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2008年11月30日(日) 内容充実!

死にものぐるいで行ってきました!(大袈裟)


体力が、ちょっと、やばいっす(>_<;)


そんなわけで、とりあえず、明日のためにその1・・・じゃなかった、寝るっす。


体力回復したら、感想書くっす!





でもせっかくなので、一番印象に残った点について、ちょっとだけ。

最後の挨拶での、

「トークは内容がなかったけど、内容のあるライブだったよ」

というつよっさんの言葉に、光一さんとともに心からうなずいた55,000人でした。

最初の方は、ぼく個人としては、「なーんだ、セットリスト変わ(ネタバレにつき略)じゃん」(わがままだけど、完全に新しい構成──年末仕様──にしてほしかった)と少々がっかりしていたのですが(途中からちょこちょこ冬仕様になってた。この辺には大満足)、ライブとしてのまとまりがすばらしく、MCも、成り行き任せのぐだぐだトークではなく(こらっ、問題発言)、プロっぽく調整しつつも楽しさはしっかりとあり、毎年のドーム公演での「初日感」に近い雰囲気のライブでした(全体的に脱線感のないコンパクトな感じ。初日マニアとしては、こういうの実は好きなんす)

それとですね、例によってぼくは天井席(一般発売分だから、しょうがない)だったのですが、幸いなことにステージど正面の天井席だったので、存外(ドームにしては)音響が良く、KinKiコンの音楽的なクオリティの良さも、しっかりと堪能できました。ありがたかったです(しかし、ダンスと聴こえてくる音のズレズレ感、たまらんかったなぁ〜←皮肉)

あ、結局ずるずる書いちゃってる。

自粛自粛・・・。


2008年11月29日(土) 島田歌穂 with 島健ポップスオーケストラ「My Favorite Songs」(青山劇場)

本日首都圏は暖かく、グッズ買いに東京ドームへお越しのみなさんも、今日は楽なお買い物ができたのじゃないかとお喜び申し上げます。

ぼくも行きたかったのですが、販売時間帯にちょうど別件がありまして、断念しました。明日は混雑するんだろうな・・・まいったな(今からビビるんじゃない!/叱)



で、その別件。

ロビンちゃんこと島田歌穂ちゃんのコンサート。今回で4回目なんですが、去年の3回目の時に、ゲストが井上芳雄くんだったので初めて行きました。

その時に歌穂ちゃんの「うたぢから」に圧倒されて、今回もいそいそと出かけました。

今回も、全ての曲で酔いしれたのですが、一番感じ入ったのは「キャバレー・メドレー」

このミュージカルは、ぼく自身さほど好きでないんですが(今まで何度か書いたけども、主人公のサリーという女の子の性格や生き方(男の愛し方を含めて)に、若干思い入れ不可能)、今日歌穂ちゃんが歌う「Maybe This Time」(だったと思う)を聴いて、

「この人のサリーなら、ハマれそう!」

と思いました。

これが「説得力」ってやつなんだろうな・・・(今までのサリー役さんたちには申し訳ないが/しかも、ライザ・ミネリ版さえも観ていないという、とんでもない客です)


さて、今回のゲストは『ライト・イン・ザ・ピアッツァ』で共演した小西遼生くん。

実は同作品を観ていませんし、彼がマリウスを演じたバージョンの『レ・ミゼラブル』も観てない。

非常にすんませんm(_ _)m

マリウス→クリス(『ミス・サイゴン』)路線を狙っている(半分ネタの半分本気っぽかった/笑)そうだが、唄声を聴くと、彼はクリスよりもトゥイ向きじゃないかなと思った。

トゥイもいい役だぜ? 小西くん。←お前はプロデューサーか?!



さて、明日はいよいよ2008年を締めくくる「My Favorite てくてく」です( ̄ー ̄ )ワクワクドキドキ♪

でも、その前にお仕事が・・・(←(−−;)だんだん力が抜けてってる・・・?)



お仕事終わらせないと、行けないんす。・・・がんばります(涙)


2008年11月28日(金) 宝塚歌劇星組公演『外伝ベルサイユのばらーベルナール編ー/ネオ・ダンディズム!』(さいたま市文化センター大ホール)

昨日はムンバイで起きた同時テロにショックを受けて更新できなかった・・・というのは30%ぐらいで、今日は自主的に早朝出勤だったので、早く寝たのでした。


昨日観てきた芝居は『月の輝く夜に』(ル テアトル銀座)

え? そのタイトルって・・・と思った方、正解です。

シェールがアカデミー賞主演女優賞を獲った“あの”映画を、翻案してストレートプレイとして上演してみました、というもの。

ル テアトルでの8日間の上演を皮切りに、これから全国を回るそうなので、ネタバレ感想は、こっそり昨日の日付でやっときます。






閑話休題。

今日は早朝出勤して早退し、さいたま市浦和区まではるばると(←毎日さいたま市から都内に通勤してる人に対し失礼発言)星組全国ツアー公演を観に行ったっす。

実は、さいたま市文化センターの最寄り駅・南浦和は、十数年前までぼく自身10年間住んでいたところなので、勝手知ったる駅前風景。

昔はあんなに長いこと電車に乗って通勤していたのだなあ・・・と感慨にふけってしまいました(またもやさいたま市民に失礼発言)

えー加減本題に入りましょう。

昨今のスピンオフブームは、歌劇団にまで波及しており、今年後半は、雪→花→星と、名作『ベルサイユのばら』の外伝三部作(とかいいつつ、来年は宙組が「アンドレ編」を上演するのだが、これは勘定に入ってないらしい)が、連続上演されたのであります。

全部観ることができ、満足。

個々の作品も、さすが原作の世界観がしっかりしてるだけあって(深い意味にとらないでね)それぞれにしっかりよくまとまっていたのだが、三作続けて観ると、この「完結編」のラストシーンに、思わずじんわりとした感動が。

植田先生のホンは、相変わらずほとんどが「説明ゼリフ」なのだが(こらっ)、本筋をてっとり早く客に理解させるには、まぁいたしかたないのかもしれない。

三部作それぞれの主人公は、ベルばら四大中心人物(オスカル、アンドレ、アントワネット、フェルゼン)を除いて人気投票したら絶対トップ3になるであろう「三大いい男」のジェローデル、アラン、ベルナールだったのですが、今回の上演に非常に意義があった点は、この三部作が単なる「三大いい男のスピンオフ」ではなくて、「革命後(つまり、オスカル亡き後)のフランス」で、しっかりと有機的に絡み合ってドラマを形成していた点。

実はぼくは不明にして、池田理代子先生の『エロイカ』を読んでいないので、最初「えっ?!」と思ったのですが、この三人というのは、全員が「ナポレオン暗殺未遂事件」に関わっていたという縦糸があったのだった。

後で『アラン編』の感想に書きますが、実のところぼくは、アランが革命の後、そんなに出世していたとは、全然知らなかったのであります。


とにもかくにも、「生まれてから死ぬまで完全に貴族」を貫いたジェローデル、「貴族なんだけど、全然その恩恵を受けなかった」アラン、「半分貴族だけど、心は完全に平民」のベルナールという三者三様の三人が、結果同じ場所(ナポレオン暗殺計画)へ向っていくというのが、いかにも皮肉な感じがした。

作劇としては、一番ぼく好みだったのは「ジェローデル編」でした。

完全に“滅びの美学”で。

萌え(おいこらっ)・・・あ、いや、えーと、ふ、フランス貴族に対して変な言い方だけど、「あいつは、最後のサムライだったよ・・・」みたいなエンディングで。

歌舞伎チックだった、というか。

植田先生のホンも歌舞伎っぽいのだろうけど、ちかちゃん(水夏希)の芝居が、完全に「時代物の主人公」だったのだ。義太夫の糸に乗ったような、すばらしい“武士(と書いて「もののふ」と読む)”っぷりだった(以下詳細は、これまた後日にします)


さて、やっとベルナールの話になりますが、この人は、要するに三部作の最後に登場するということは、「ラストシーンを引き受ける」という役割を持ったキャラクターだというわけなんです。

古き良き時代を抱きしめて死んで行くジェローデルや、暗鬱な現状への諦めをもって死んで行くアランと違って、未来への希望を託された人物としてベルナールは描かれている。

しかも、ベルナールは、あとの二人と違い、軍人でない。

ジャーナリスト(論客)なのである。

それこそ、「ペンは剣よりも強し」を象徴しているキャラクターなのだ。

このあたりに、個人的感情ではあるが、かなり「ぐっ」と来てしまった。


実はこの作品には、三部作全部の共通シーンとして、かの有名な(ベルばらと言えばコレ! という)「バスティーユ」のシーンがある(ただし、いつもの『ベルばら』でやる、オスカルを中心として踊りまくるあのバスティーユではなく、別の構成)

今日、このシーンを観て、というか、その前に、実はベルナールであるところの“黒い騎士”が、近衛隊から武器を窃盗した、というストーリーに、ちょっと、暗然としたものを感じたのだ。

そう、インドのテロ事件が引っかかっていたのである。

やってる本人たちは、「正義だ」「革命だ」と思っているのかもしれないが、ターゲットにされた当事者にしてみれば、「暴力沙汰」という点では、テロと何ら変わりないのでないか。

220年経った今だからこそ、バスティーユ襲撃事件は「革命」だったのだ、と世界中の誰もが認めているのだが、その当時にパリにいて騒ぎに巻き込まれた人にとっては、その時点では、どっちが正義かなんて判断つかなかったのじゃないか。

もちろん、何の力もない市民たちが暴力沙汰も辞さないほど、当時のフランスの支配者たちの横暴ぶりは限度を超えていたのだろうけど。

でも、できる限り物事は「話し合い」で解決できんものだろうか・・・と、切実に思うこの一両日だからこそ、この『ベルナール編』に感じ入るものがあったのは確かなのである。



さて、出演者に対して。

とうこ(安蘭けい)も、先日とうとう退団を発表しまして、・・・まぁ『スカーレット・ピンパーネル』が来た時点で、みんな予想はしていt(☆\(−−;)言うな!)

で、何でか退団が決まった人ってのは、憎らしいほど(?)に艶めいて輝いているのが常でありまして。

まるで寿退社の決まったOLみたいに(ま、紛らわしいこと言わないでっ!/慌)キラッキラしてるのである。

今日も、カーテン前で一人で主題歌を歌ってるとうこの水も滴る美丈夫ぶりには、我知らず感動と寂しさを覚えたのであった。

実は正直に言えば、ぼくは今までそんなにとうこを“買って”なかった。

歌が上手い、という点は断然買っていたのだが、歌が上手い人にありがちな、踊れな(☆\(−−;)言うなPart.2)

そして、昨今の男役としては華奢すぎる体格。

ちっさいんだけど妖精系ではない、という弱点(でも「少年系」ではあったが)

頼りがいのある大人の男って役どころ(それこそ、かつて演ったフェルゼンとか)には、しばしばどうにもムリを感じた。

石川五右衛門を演じた時に意外と線の太さが出てて、「こういう系の役だと結構いいのかも」と思えた。佐々木小次郎も良かったし、やっぱ雪組出身だけあって、日本物が似合うのだった。顔立ちは洋物っぽいのに(そのくせ、トップ就任時の日本物のショー『さくら』での、白塗り化粧のひどさったらなかった! ま、あの時は星組全員ヒドかったが・・・)

でも、ティリアン・パーシモンで(ぼくの原作オタっぷりもいけなかったのだが)再びがっかりさせられ(お前のニンはニコラだっ! と心の中で叫んでしまった(^^ゞ)

「適材適所。無理して大人の男なんてやる必要ない! 自分に似合ったものをやればいいんだよ! それがトップになった人の特権なんだから!」

などと、勝手に思っていた。

ところが今回。ベルナールが「大人の男」の範疇に入るかどうかは分からないが、理想に燃えている男の純粋さやロザリーに対する包容力が実に見事で、「男役十年」とは良く聞く言葉だが、「トップ三年」というのも、ある意味、確かにあるのではないかと思った(とうこはトップになってから、まだ丸二年だが)

「真ん中に立つ人の貫禄」ってのが。

いつの間にか備わっていたのだ。


そして、やはり歌唱力という点で、今、歌劇団内で彼女に敵う者はいないのではないかと思った。

いや、「歌の上手な子」は、今けっこういるのである。

でも、とうこの歌唱力は、何か独特なのだ。

ここ15年ぐらいで「歌が突出したトップ」と言われた涼風真世、一路真輝、姿月あさとなど(香寿たつき、春野寿美礼は、「歌だけ」ではないので、またタイプが別)と、ちょっと違う部分がとうこにはある。

それは、「歌うトップ」にありがちな、大声量でわ──っと歌い上げる「上手さ」ではなくて、別段声を張ることもない、ちょっとした節回しがえも言われず旨いと言うか、巧みだという点である。

今日の『ネオ・ダンディズム!』でも、色々歌いまくってくれて嬉しかった(このショーの初演ではとうこは二番手で、その時はこんなにいっぱい場面をもらってなかったので、今回の再演にバンザイって感じである/笑)

だが、やはり何といっても圧巻は、当時この公演で退団する子たちのダンスシーンのための出語りソロとして大階段で歌った「All By Myself」を、再び歌ってくれたことであった。

この曲は、過去にも色んな生徒が歌っているし、一般の歌手の人たちが歌っているのもいくつか聴いているのだけど、ぼくが知っている限りでは、とうこの歌唱がダントツで一番である。正味、オリジナルのエリック・カルメンより断然上手い(^^ゞま、あちらは「味」で勝負なんですが

特に、誰もが注目するサビではなく、歌い出しの低音が、何とも言えず心地よいのだ。

言ってみれば、「タカラヅカっぽくない」上手さなのである。

ジェンヌにしては珍しく、こぶしも回るしビブラートもきく、それがとうこの歌唱なのである。

今からこんなこと言っちゃって何なんだが、ン年後には、とうこのエリザ(略)・・・かもしれない(\(−−;)ま、待ちなさいって。気が早すぎる)



さて、とうこの話ばっかじゃなく、あすかちゃん(この子も退団するのね/涙)始め他の生徒のことも色々話したいのだが、そろそろ寝ないとまた明日(もう「今日」ですぞ)のてくてくに響くので、とりあえずお寝みなさい。


2008年11月26日(水) 『海外公演座談会と舞踊のひととき』(歌舞伎座)

おととい銀座で観た玉さんと、昨日浅草で観たなかむら屋父子に、本日東銀座で再会。

前半の座談会は、まあ特にコメントするようなものでもないので(コラ)

「舞踊のひととき」の方に、大変収穫あり。



まず、勘太郎&七之助による「三社祭」(素踊り)

二人とも前日まで浅草にいたからってわけでもないのだろうが、隅田川の香りがしました(笑)

とにかく、素踊りなのにこんなに面白い! と瞠目。

最近は兄弟の実力が拮抗してきて(昔は圧倒的に兄貴の方が上手かった)よろしおす(なんで京都弁?)


次も素踊りで、お父さんの勘三郎による「二長町」

これは、菊吉全盛時代に市村座のあった下谷二長町(現在の台東一丁目あたり)の風俗を描いた新作舞踊だそうです。

一人の踊り手が六代目菊五郎と初代吉右衛門それぞれの当たり役を踊り分ける、という、さりげにウルトラ難度な踊りでしたが、これはもう現在のところ、歌舞伎界広しといえども勘三郎にしか許されないわけだわ。(←口調が奇妙)

それはもちろん、「技量」という点でそう言ってるわけなんですが、もう一つ、観てる途中で「あっ!」(これまたでかい字で(_ _ ))と思ったのが、

勘三郎って、六代目と大播磨の“両方の”血を引いてるんじゃん。

ってことです。

六代目は、母方のおじいちゃん。

大播磨は、父方の伯父さん。

つまり、

六代目の娘と結婚した先代が、偉い。

ということ(☆\(−−;)コラ)

まぁそれもあるんだけど、何か、一瞬、ぞっとしてしまったのでした。いい意味で。

ただし、「血がつながってる」ぐらいで何とかなるほど芸道というものは甘くないのはご存じのとおりでありまして(べ、別に深い意味は・・・しどろもどろ)←それが、余計なコメントだっつーの

踊りに話を戻すと、素踊りなのに、出てくる役出てくる役「その役の扮装」してるように見えるのが、さすがなかむら屋だったのであるが、逆に言えば、素踊りだからこそ、熊谷が一瞬にしてお小姓弥生になれるんだわな。

獅子の毛振りまで、素踊りで見せたのには、むしろ、振り付けの発想の素晴らしさに感心しました。


トリを飾った玉さんの「鐘が岬」

これは衣裳つけて踊った。引き抜きのサービスもあり。

この踊りは、昔日生劇場で玉さんが「玉三郎舞踊全集」みたいなシリーズものの舞台をやった時に観た記憶がある。

他のもの(「鏡獅子」とか「楊貴妃」とか)と比べて、地唄舞なので、動きが少なく「心眼」で観なくちゃいけないのが辛かった(はっきり言うと、たいくt/略)ような記憶があったので、今回も覚悟したのだが、それどころか、(いつものように)「何でこんなに完璧に美しいのだろう?!」と、あわあわして終わっちゃった(←いつもながらアホ客全開)

どこの席から観ても、どのタイミングでも、美しい。

人間が「きれいだ」と感じる要素を、全て揃えてある。

玉さんて、素顔は、確かに端正で上品な方ではあるが、造作自体は、正直言って、そんなたいしたハンサムでもないn(コラ!)

い、いや、褒めるんです。これから褒めるために言ってるのです。

顔(歌舞伎メイクのこと)して衣裳つけると、人間じゃなくなっちゃう。

「美」そのものになっちゃう。(はい、そろそろ信者のタワゴトが始まりますよ〜)

そしてさらに、動き出すと「人間の肉体」じゃなくなっちゃう。

普通に生きてる人間の動きじゃなくなっちゃう。

普通に生きてる人間だと、年とってくりゃ筋力落ちて、普通に座ってても股開いちゃうし、猫背になるし、歩き方もペタペタとか、のしのしとか、なっちゃうし(それどころか、若い女でも、そういう人いっぱいいる。街中でしょっちゅう見かけるもん)

実を言うと、現在「人間国宝」である方の中にも、女方やってる時だっつうのに、なんか、どっか衣裳が引っ張られるのかしら、座る時に、一旦「ガッ」と股開いちゃう方がいて、一瞬にして“醒める”(か、見なかったフリする)ことがある。

玉さんには、それがない。

そういうことをしないために、日々鍛錬してるんだろうな、と思うと、嬉しくてたまらない(また出たドS観客意見)


やっぱ、『覇王別姫』の蝶衣は、玉さんが演るか、演技指導すべきだったよな、と再認識したのだった。

よし、録りっぱなしだった北京公演の「牡丹亭」(映画の『覇王別姫』で、蝶衣が、日本の軍人の前でちょっとだけ演じる演目)を、近々視よう。


2008年11月25日(火) 職場滞在17時間(−−;)

そんなつもりはモチロンありませんでした。


昨日、勤労感謝の日の振り替え休日は、昼間、玉さんのトークショーに行き、嬉しさを噛み締めながら半徹夜覚悟で仕事場に向かいました。

そして、何となくまだまだ余裕がある錯覚に陥り、だらだらしてるうちに、いつの間にか夜中。

やばい! 一旦家に帰らねば、と、ダッシュで駅へ。

わずか30秒の差で終電に乗り遅れ(ちょっとぐらい待っててくれたっていいじゃないかJR東日本!/激怒)、豪雨の中仕方なく再び職場に戻れば、玄関閉められてるし(T_T)←12時過ぎてんだから当たり前

管理室に電話をして入れてもらい、結局「朝までコース」





みんなが出勤してくる前に自分の仕事終わらせて、(引き止められないように)早朝帰宅をしようともくろんだのだが、見事に9時半(始業時刻)ぴったりに仕事が終わってしまった(_ _ )

コーディネーターのお姉さんが、「あのーておどるさん、今日はこの後・・・」と言う言葉を聞こえないフリして、「じゃ、わたくしはこれで!」と脱出。(←なんて身勝手な仕事っぷり)

そのまままっすぐ向かえれば間に合った平成中村座だったのですが、チケットを家に置いてきてしまったので、結局一旦帰宅。なんやかんやしてるうちに浅草に到着したのは、開演後1時間半経ってからでした.:*・゜(T△T)゜・*:.。.

でも、悔しいから入場。

もうほとんど後半。野分姫&権左衛門殺しの場と、「双面」だけ観ることができた。

詳細はまた後日書きますが(またか?)、ラストシーンが、また今までの串田版『法界坊』と全然違ってて感動。



3時間ばかり浅草で時間をつぶして帝劇へ。

今期3度目の『エリザベート』であったが、来月のことも考えて、これで打ち止めにしようと決意(おや? そんな程度だったの?)

・・・そういう訳ではないのだが、とりあえずダブルキャストを網羅したので。

カナメ×武田×禅ちゃん×カンノさん×彼方、カナメ×山口×綜馬さん×イーちゃん×殿下、コム×山口×綜馬さん×カンノさん×彼方という組み合わせで観て、一応満足した。

禅ちゃんのフランツをもう一回ぐらい観たかったけど、・・・まぁ、いいや・・・(←さほど熱意ないな?)

いえ決して・・・ただ、とにかく12月に観ようと思ってる演目のスケジュール調整をしてたら、『エリザ』の入る隙間がなくなっていたのです、それだけです。



と打ってる間に、またもや連続覚醒40時間を樹立しそうなので、やばいので、早く寝よう。


2008年11月23日(日) 歌舞伎座滞在10時間

先週は演舞場に昼夜分けて行き、昨日は国立だったので、今日、歌舞伎座の昼夜を通しで観た。

明日は半徹夜で仕事しないといけないので、今日の感想は残念ながら書けません。←もう聞き飽きたぞ





今月は抑えた・・・とか言っときながら、今冷静になってスケジュール帳を見たら、先週木曜日から12月1日まで、12日間連続でてくてくの予定が入ってしまっている(×_×)我ながらやりすぎ

先月は、7日間連続のち3日休んで(ただし、その3日間は、ちゃんとお仕事)また7日間てくてく、というのがあって、それはさすがに自分でもヤバイと思ったのだが。

・・・悪いナニカ(って何?)に取り憑かれてるのか?



片頭痛がする・・・まじでヤバイ(−−;)寝よう


2008年11月22日(土) 『江戸宵闇妖鉤爪ー明智小五郎と人間豹ー』(国立劇場大劇場)

ずいぶん国立劇場に行ってない(先月の『大老』には必ず行こうと思ってたのだけど、前売りも買わずに千龝楽に行ったら入れなかった・・・甘く見たバチだ/涙)

久々に観たのがこのような変化球公演だったが、意外と掘り出し物というか、実に面白かった(だが正直、再演するような気はしない←おいっ!)

ソメソメ(市川染五郎)、上出来だった。

この作品を企画したこと自体も上出来だったし、演者としても上出来。

体が良く動いていた。役の性格的なものも似ていたからかも知れないが、なんか、かつての(スーパーカブキを一所懸命やっていた頃の)猿之助に近いパッションを感じた。





原作は江戸川乱歩の『人間豹』

正直、知らない作品でした。

あの有名な『黒蜥蜴』と同時期に書かれた作品らしいのだが、向こうは、かの三島由紀夫が脚色した芝居の素晴らしい出来のおかげで(←乱歩先生に大失礼発言)、かなりの人気作ではないですか。

でも、こっちは相当な乱歩ファンじゃないと知らないんじゃないか? と思われる作品なのではないか?

ぼく自身、あんまり乱歩を読まないので、この『人間豹』という作品が、ファンの間ではどの程度の人気なのかも全く知らない。

だいたい、タイトルがおかしくないか?『人間豹』って。(ん? なぜに?)

『豹人間』じゃないの? 正確には(それじゃ『仮面ライダー』に出てくる怪人だろが)あっ、そうか(^^ゞ(←自己解決)



とにかく、まっさらな状態で芝居に臨みました。

読後感ならぬ観劇後感は、

「あれ? なんか、『オペラ座の怪人』に似てるなあ」

でありました。

むしろ、「和製『オペラ座の怪人』」と言ってしまっても苦しゅうないのでは?(いい意味で)と思った。



生まれながらにまともな人交わりのできない男が、次々に猟奇殺人を犯す。

そして実は、恐ろしい犯罪者である恐ろしい姿の怪人よりも、もっと恐ろしいのは、われわれ人間の差別心・・・みたいな。(←身も蓋もない独断)

言わば、ベタなラブロマンスのロイド=ウェバー版ではなく、ヒューマンドラマ的なコピット&イェストン版に近い感じ。

『オペラ座の怪人』も、原作は単におどろおどろしい怪奇ミステリーであって、「ファントムを作り上げてしまったのは、我々なのだ」みたいな御高論は、ミュージカル化された時になって初めて出てきたものである。


今回の作品も、原作の『人間豹』は、ただひたすらおっそろしい凶暴な“豹男”と、知的でスマートな我らがヒーロー・明智小五郎とのサスペンスに満ちた対決に終始しており、「世間は獣の姿をした人間豹を恐ろしがるが、人間の姿をしながら獣の心を持っているヤツらは、この世にごまんといる。そいつら方がよほどタチが悪いんじゃないのかい」みたいな哲学的なセリフは、脚色に際して付け加えられたものらしい。

そんな意味で、今回のこの戯曲化は、むしろ大々的なファンタジー化に成功していたと思う。

「ああ、わかるわかる」みたいな感じだった。

乱歩がこの作品の舞台にしたのは、昭和初期の東京。生活が「ハイカラ」になり、西洋文化を享受しながらも、昭和の大恐慌の後遺症が残り、もうすぐ日中戦争が起こるという、享楽的でいながらどこか不穏な時代。

歌舞伎化にあたって、舞台として選ばれたのは、尊王攘夷運動が吹き荒れる動乱の江戸末期。

そして、現実にこの芝居が上演されている現代は、「不況」という言葉にもう人々がうんざりしていて、自殺や、ありえない理由での無差別殺人などが頻発し、人の心が迷走している時代。

この三つの時代に共通する、「人々の心に、知らず知らず『不満』と『不安』という二つのマイナス要因が、少しずつ積っていってる」──そんな気味の悪さ。

そんなマイナス要因が、「怪人」じゃなかった(わざと間違えたな?)「人間豹」を作り出した──そんなことを制作者たちは表現したかったんだろうな、というのが、ストレートに伝わってくる作りでした。

“人間豹”恩田乱学は、ストーリーの中では「生まれつき人間と豹のミックス」みたいな、遺伝子学的にありえない存在として描かれているんだけど(いや、そうじゃなくて、赤ん坊の頃に、むりやり改造手術されたんだっけか←ショッカーかよ! つうか、それも遺伝子学的に不可能だから!)、まあ、もしファンタジー的要素をすべてとっぱらって、「論理的」に作劇してたならば、いわゆる「人殺しを何とも思わない、精神的に病んでいる天才犯罪者」みたいな描き方をしたんだろう。

でも、そういうのは、心理的にきめ細かく描ける(そして、細かいところまでちゃんと描かないとボロが出る)映画にはふさわしいけど、等身大の迫力で魅せる「演劇」の場合は、それよりは見た目で恐ろしさを表現できる、今回のような「半人半獣」の人間豹のような描き方の方が、やっぱ良かったのだと思う。



ところで今回の主人公(だよね?)の人間豹。

体はヒョウ柄ではなく、真っ黒の「黒豹」なのであった。

・・・・・すると、恩田乱学こそ、あ、あの“江戸の黒ひょ☆\(−−;)最後に来て、なぜそういつもオチをつけたがる?


2008年11月20日(木) 久々の一人コント

リンリンリリン♪ リンリンリリンリン♪ リンリンリリンリンリリリリン♪(←ぼくのケータイの着メロ『恋のダイヤル6700』です)

「はい」

「わしじゃ」

「あっ、アナタは40年近いおつきあいの、ミーハーの神様!」

「小学校5年生でフィンガー5にハマって以来、わしの申し子と言っても過言ではないておどるよ。最近はずいぶん好き勝手しておるようだな」

「ハイ、もう人間生きてるうちが花ですから」

「なんでそんな刹那的になっとるんじゃ?(今に始まったことじゃないが)」

「なんででしょう?(他人事)行きたい舞台をチェックしてたらいつの間にかこうなったんす。これでもけっこうセーブしてるつもりなんですが」

「どこがじゃ?!」

「いえね、ずーっと仕事してるとストレスがたまるんですよ。で、家にじっとしててもストレスがたまるんですよ」

「・・・末期じゃな」

「でも、お芝居観てると楽しいですよ♪」

「・・・そこが『末期』だというんじゃ。ま、でもわからんでもないが。寂しい私生活・・・」

「(さえぎって)あ、シアタークリエの『私生活』、意外にヒットでした! あんまり期待してなかったんだけど、うっちー(内野聖陽)が・・・」

「(さえぎって)寂しい女じゃ!」

「(無視して)あー、先月今月は、歌舞伎が充実してたなー。一時はもう歌舞伎はいいかと思ってたんだけど、観続けて良かった♪」

「・・・?『今年後半はKinKi Kidsでいきますっ!キャピ♪』とか言ってたのは誰じゃ?」

「キャピ♪ なんて言ってないすよ!(逆ギレ)い、いやモチロン、KinKi Kidsサイコー!(←とってつけたような元気)大分2DAYSは無事に終わったのかなー? 行きたかったなー。でも、もうすぐ東京ドームで会えるもんね、キャピ♪」

「(唖然)」

「まぁ、10月に罰当たりなほど遊んでしまったので11月は控えようかと思ったんですけどね、イースタン・トレジャー(直訳してください)はダブルキャスト、トリプルキャスト大作戦で客の金を搾り取ろうとするし・・・。『ミス・サイゴン』なんて、結局2回しか行けなかったんですよ、ぶつぶつ」

「(聞かなかったふり)『RENT』にはそんなに想い入れないんだから、一番観たい組み合わせで1回でいいんじゃないか? 『エリザベート』だって、うまく組み合わせれば2回で済むじゃろが」

「いやだって、カナメシシィ×山口トートと、コムシシィ×武田トートを観たら、当然逆の組み合わせも観たくなるでしょーが」

「その『当然』の意味がわからん・・・。来月どうなっても知らんぞ?」

「あっ、『愛と青春の宝塚』も4回行かなきゃだしなー」

「正気か?」

「アレとアレとソレとアレもチケット確保しないと・・・あっ、先月『平成中村座』に4回行って達成した気になっちゃって、今月の『法界坊』行くの忘れてた──っ!」

「それはもう諦めろ」

「いやだ──っ! 絶対行く──っ!!」

「・・・もうワシの手に負えんな」

(そこへ突然)「心配するな、ミーハー神よ」

「おや? お前は誰じゃ?」

「貧乏神じゃ。こやつが調子に乗っているとすかさず現れるワシこそ、こやつの病を止める特効薬じゃ」

「なるほど、お主に取り憑かれたら最後、どんなわがまま勝手な人間でも、身動きがとれなくなるのは必定」

「じゃからな・・・(ひそひそ)というわけで、もう少しの辛抱じゃ」

「なるほど。・・・ククク、お主もワルよのう」

「ヒッヒッヒ・・・♪」

「ワッハッハッハッハ・・・!」





世にも不気味な笑い声をたてて、二柱の神(?)は去って行ったのであった。つづく☆\(−−;)めっちゃ中途半端!

おかげで今年は、例年はぐんとヒマになるはずのこの時期になっても忙しいです。

だから、ストレス発散(?)のため、半日ヒマになれば、何か「観て」しまうのです。

まあ、そのうちKinKiちゃんたちが年末の長時間歌番組なんかに出始めたら、早く家に帰ると思いますが。



今日は久々にブログを更新して、調子に乗ってしまいました。

真面目な(つっても、いわゆる芝居の感想だけど)内容で更新するのは、らいねん(ワッハッハッハッハ・・・!←おや? 「何か」が笑ってる)


2008年11月12日(水) またまたメンテナンスするっす

またぞろ1か月以上更新が空いてしまい、申し訳ないと思っております。


先月の「芸術祭月間」は、シアターゴアーの名にかけて! ここぞとばかり遊んじゃったので(1か月に18本の芝居と1本の映画観て2本のコンサートに行っちゃったへへへ←呆)、今、その反動でイヤになるほど仕事しております。



そしたら、またこの@wordが、今度の土曜日夜10時から翌日にかけて、大規模メンテナンスをするんですって。

その間、またアクセスできなくなります。

(またヘンにならないだろうな・・・。当分新しいOSになんかできないんだぞ・・・/涙)




そんなわけで。

KinKiが東京に帰ってきたら(つっても、今だって二人とも東京にいるんだろうけど。そのつまり、大分、鹿児島公演が無事に終わって、「KinKi you コンサート第二弾」が東京ドームで幕を開けたら、ってことね)、またお会いしましょう。(それまで更新しない気?!)


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