てくてくミーハー道場
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2008年07月27日(日) |
別冊少年☆新感線(特別増刊号) |
※前日に見てきた芝居の感想です(エンピツでは1日に2回エントリできないため)
SHINKANSEN☆RX『五右衛門ロック』(新宿コマ劇場)
タイトル通り、まんま束(厚さ)が10cmはありそうな分厚い少年マンガ誌の読み切りそのものな内容だった。
ぶっちゃけ中身は大して深くもないのだが(出てくるキャラクターの造形なんか、みんな良く知ってるあのキャラクターをパクりまくりなんだが)、その解りやすい「正義」「情熱」「友情」(これまたどっかで聞いたことがあるスローガン)が、どストレートに迫ってきて、心地よくお腹いっぱいになる。
分厚い少年マンガ誌と同じで、これを電車の中で堂々と読む(エンゲキで言えば、「こういうのしか観ない」)のは“いい大人”として恥ずかしいに違いないのだが、こういうのをハナからバカにして全く知ろうとしないというのも、人間として寂しいと思う。
新感線作品(というか、ぼくにとっては「中島作品」てことなのだが)て、そういうものである。
観客に小難しく考えさせるというストレスを与えないために、作ってる側はかなり重度な頭脳+肉体労働をしているのがありありと判るところも嬉しい。
奉仕されるの大好き( ̄ー ̄ )←なぜ今S宣言?
そして、いつものことながらいのうえ演出には脱帽しっぱなしなぼくなのである。
(こっから先、暴言)「あんまり実力ないけど美貌は抜群の女優」と「新感線作品にでも出てなけりゃ、若い観客は観に行こうなんて思わない大御所俳優」を、こんだけ最大限にカッコ良く創り上げる技は、今回も天下一品であった。
松雪泰子は新感線作品は2回目で、前作『吉原御免状』でもいい女っぷりだったが、今回は“まんま峰不○子”←意味ないけど伏せ字
松雪自身、ホントはすごくいい女優なのかもしれないが、代表作『フラガール』を(例によって)観てないし、すぐ比べるのが悪いクセだが、『キャバレー』のサリー・ボウルズは大して良かったと思えなかったので、少なくとも「舞台女優としての松雪泰子」を上手に使えるのは、いのうえひでのりの方が秀でているのではないかと思う(←腰が引けた表現するな!)
そしてなんつっても北大路欣也。
白い犬になったり、千葉にしか見えない(こら)ニューヨークで田植えしたりと、最近一体どうしちゃったのか謎な大御所俳優なのだが(もちろん、“華麗なる”正統派大御所ぶりも発揮しているが)、はっきり言って、この「クガイ」という役は、彼の輝かしい仕事史の中に、今後もぜひとも略さず刻み込んでおいていただきたい。俵源五郎はいいから(こらっ、おいっ!!/怒)
このクガイというキャラこそ、別冊少年☆新感線を厚さ10cmの「特別増刊号」たらしめているスーパーキャラなのだから、そんじょそこらの小劇場役者が(こら、なんで差別的な書き方するだ!)単純に老けづくりしてできるような役ではないのだ。
北大路欣也ほどの(特に時代劇における)キャリア、存在感の持ち主だからこそできたのである。
まさに動く等身大「ラオウ」(ビジュアルは違うけど)なのであった。
さらに、江口洋介。
チラシで、出演者だけ判ってて配役がまだ判らずにいた頃、まさか(色んな意味で)こんな役とは思わなかった。
実は、彼が「五右衛門」役だと思ってた。芸能界の序列的に。(←貧しい発想)
ところが、案外脇筋の(といっても、重要度は高い)役なのであった。
そう、松雪が不○子なら、江口は完全に銭△なのであった(*^^*)
なので古田新太は、「五右衛門なのにル▼ン」という、楽しくもややこしい話なのであった(^^ゞ
ゲスト俳優なのにカッコつけた二枚目じゃないのだが、銭△がそうであるように、要所でカッコいいこと言ったり、得意のギターを弾いたり、おいしさ抜群の役を楽しそうに演じていた(重畳重畳)
そう、江口もなのだが、再度新感線登板の森山未來、お初の川平慈英、濱田マリと、ゲストには全員「得意分野」を遺憾なく発揮できる見せ場(ダンス、タップ、歌)が用意されている。
ここに、「役者に親切」「観客に親切」「興行主に親切」というシェイクスピア&河竹黙阿弥なみの「いのうえひでのり三親切」精神が表れており、感動させられる。
ただ、ここまで褒めちぎっといてアレなんだが、こうしてビッグプロジェクトになってしまうと、元々の団員は、何となく(決してザコ扱いではないのだが)「手駒要員」な感じに見える。
それは作品にとっては決して悪いことではないし、全員その力量及び地位にふさわしい役に付いてはいるのだが、どうしても役の付き方が「ゲスト偏重」になってるのは否めない(考えてみれば当たり前である。団員が演じて済む役なら、ゲストを呼ぶ必要はないのだから)
「劇団☆新感線の本公演」というのを、しばらく観てないな──と、ふと思った。
つうか、ぼくは純粋な「本公演」なんて観たことあったんだっけ?(『いんど屋敷』あたりはそうかも)
つうか、「本公演」なんてのを、今後やる気はないんじゃないかな? こういうのが新感線の今後の本道なのだ、と思っといた方がいいのだ、きっと。
そして、久々に中島×いのうえ作品を観て実感した。
(完全にぼくの「好み」で言うのだが)いのうえ演出には中島脚本、中島脚本にはいのうえ演出が、やはり一番なのだ。
名作ではないけど(だから、一言余計だっつの)大傑作でありました。
2008年07月26日(土) |
なぜ今かは置いといて |
もし『J album』が本当に『KinKiが歌うジャニーズ名曲集』だったら・・・と考えてみた(というのは、今日たまたま入った店の有線で、米倉利紀兄さんが歌ってる「Natural Thang」を聴いて、「カバー流行っとるなぁ」と思ったから)いや、兄さんのはカバーっつうか、自作曲リターンなのだが
モチロンKinKi向けのアレンジをしてあるという前提です。
では早速。
KinKiで聴きたいジャニーズSong:「ぼくの瞳に君がいる」
ま、正直ジャニーズ(ジャニーズ事務所のアイドル第一号の、あのジャニーズ)の曲って、笠置シヅ子先生どころじゃないくらい「なんじゃこりゃっ?!」っつー曲調です。
かろうじて今でも普通に聴けるのは、昔少年隊がよく歌ってた「太陽のあいつ」か、『TOK10』に入っていた「涙くんさよなら」ぐらい。
でも、毎度こればっかじゃつまんないので、KinKiには別の曲を歌っていただきたい・・・と、必死に“笑いがこみ上げないで済む曲”(こら!)を探しましたところ、これがいいんじゃないかと。
原曲はビッグバンドジャズ調なんだけど、先入観なしでメロディーだけ聴いてみると、バラード調にアレンジすれば「永遠に」と大差な(断!)
何曲か聴いてみて分かったのだけど、ジャニーズって声がおっさんぽいんだよな。・・・しろうと上がりの悲しさというか、プロのアイドルの歌い方ができてない(最初はみんなそうなの!)
でもまー、「たよりにしてまっせ」で堂々の(ある意味)デビューを果たした我らがKinKiさんですから、この際「ぼくのでっかい袋」だろうが「可愛いあの娘と乗る電車」だろうが、歌いこなせてしまうのではないかと。(←ムリ)
KinKiで聴きたいフォーリーブスSong:「あなたの前に僕がいた」
単純に、フォーリーブスの曲の中でぼくが一番好きな曲だから(^^ゞ
歌唱力にかかわらず4人ユニゾンで歌うのがアイドルとしてのお約束だったフォーリーブスが、初めて「プロの歌手として」のプライドを発揮して、唯一まともに歌える青山孝をフィーチャーした画期的なシングルでございます。(←いちいちトゲがあるぞ発言に)
えーと、ということは、この曲はソロ☆\(−−;)ダメじゃん!(怒)
まぁフォーリーブスの場合、「踊り子」「ブルドッグ」など、今誰が歌ってもカッコ良くなりそうな名曲があるわけですが、わざとそれははずした。
「夏の誘惑」もかなりいい曲なのだが、前に同じ企画で少年隊が歌っちゃってるので、惜しいけどはずしました。
KinKiで聴きたい郷ひろみSong:「花とみつばち」
ヒロミGOはヒット曲が多すぎるのでこれも迷ったのだが、一応「ジャニーズ時代」に限定すると、意外と限定された。
ホントのところ、「よろしく哀愁」に優る曲はないのだが、これはみんな歌いすぎてるからね。
いっそ、思いっきりアイドルアイドルしてて、それでいてちょっと色っぽい曲がいいなと思った。
そういやこの曲は2003→2004のカウントダウンコンサートでもKinKiが歌ったヒロミゴーSongだったし、『新堂本兄弟』にヒロミゴーが出た時にも歌ってたな。
縁を感じる(←気のせい)
次点は「誘われてフラメンコ」
・・・改めて聴き直してみたら、初期の郷ひろみの曲ってのは、あの中性声を最大限に利用した、おもいっきりショタ心をくすぐる奇妙にエッチな曲が多いことに気づいた。
金脈を掘り当てたような気が(←だから、気のせいだ!/汗)
まー、KinKiよりミヤケンが歌った方が似合う気がするが(やはり?)
さて、普通はこのあとたのきんへと移行するのだが、是非ともKinKiさんには伝説のJJS(ジャニーズジュニアスペシャル)に挑戦していただきたい!(*^^*)
(葵テルヨシ、川崎麻世は、残念ながら曲をよく知らないのでパス。豊川誕は、フォアグラさんの許可が下りないこと必至な#※☆)←気にしないように!
やっぱ「ベルサイユのばら」とか?
・・・狙いすぎかな。
JJSの曲も、あんまりよく覚えてないんだよな・・・。(じゃあ、やめとけよ)
KinKiで聴きたい田原俊彦Song:「恋=Do!」(≧∇≦)☆\(−−メ)古傷をえぐるな(参照『アイドル・オン・ステージ』)
まぁそれは冗談で。
何がいいかな。さすがにトシもヒット曲ぞろいだから、迷いますな。
「さらば・・・夏」とか、いいなぁ。
結局、KinKiに歌わせたい曲って、バラードになっちゃうんだな。
発想力が陳腐でごめんなさい。
単純にカッコいい曲ってことで「It's BAD」あたりが聴きたい気がする。
さて、これ以降は選ぶのに時間がかかりそうなので、ここでちょっと休憩。
当然土日ともがっつりお仕事なのだが、まずは土曜日、こないだ行けなかった舞台をリベンジ。
寝坊したら悔やんでも悔やみきれないので、おやすみなさい(って、もう夜が明けとるがな!/慌)
今回の地震は、震度の大きさに比べて建物の倒壊がヒドくなかったという変わった地震だったようだ。
キラーパルスとかいう言葉を初めて知った。
もちろん、そういった地震のタイプにもよったんだろうけど、東北の方の家の建て方(天然木のどっしりとした柱を多用)も、幸いしたのだそうだ。
「備えあれば憂いなし」(この使い方でいいのか?)
実家に様子見舞いの電話をしたら、逆に「最近東京は無差別殺人とか物騒なことばかり起こってるから気をつけろ」と心配された。
んー、親心はありがたいのだが、無差別衝動殺人(通り魔)には、気をつけようがないんだ・・・。
ニューヨーク帰りの知人に昔「日本人て、ほんとボケボケ歩いてるよね」と言われて、「平和な証拠じゃん」と反発した(テメェもコテコテ日本人のくせに、ちょっとアメリカに住んでたのを鼻にかけた言い方だったので)ことがあったが、悪い意味で東京はニューヨークに近づいてきたのだな、と暗然としている。
ただぼくは少なくとも、人ごみを歩く時はボケボケはしてないつもりだ。
それでも、避けられない災害はある。
自分ちで、ただアイスクリーム(それも、決して固くない溶けかけたヤツ)食ってただけなのに、前歯が折れるとかね(←(◎_◎;))
実話です(T_T)
実は、20日の深夜のエントリに書いた「体の一部の一大事」とは、このことでした。
歯っ欠けババァ(+鈴木Q太郎ヘア/涙)状態で東京ドーム2連チャン行ったんす(−−;)
別にいいっす。向こうからこっちは見えてないから(負け惜しみ)
ただ、この3日間、固形物が食べられない状況です(夏場なので、余計に食欲ない)
おかげで、3日で2キロのダイエットに成功しました!←やけくそ
このダイエット法は、お勧めできません(あたりまえだ!)
お腹が空いて辛いので、寝ることにします(いつまでも起きてんなよっつー話だが)
本日は徹夜決定で(楽あれば苦あり/達観)夜食を準備しようとしたら、気のせいかゆらゆら。
まっ、まさか夏バテでめまい?!
と怯えたら、東京地方、微震でした。
震源地は岩手県沖だそうで、東北北部では大きな被害が出ているらしい(仕事に集中しなきゃ、と思いつつもテレビに釘付け)
ぼくの実家の方はたいした揺れじゃないみたいだし、夜中なので連絡していないが、おふくろが地震大嫌いなので、ちょっと心配である。
夜が明けるまではどうしようもないので、仕事に勤しみます。
そんなわけで、今日はノー天気なエントリは遠慮しておきます。
被災地の被害が少なくて済みますように。
★一応、昨日の記事のタイトルのタネ明かし★
「すっごく楽しい!」は、光一さんがMC中にいつまでも真島茂樹ダンスをやってたり、挙動がおかしくて次の曲が歌えない状況になった時、つよっさんに「酒飲んでないですか?! それやったら怒りますよ!」と叱られて、「飲んでないよ! 今、すっごく楽しいんや」と答えたのが、身をよじるほどいじらしかったので、引用させていただきました(それを受けてつよっさんが「それやったらええよ」と・・・ええんかい!/笑)
「生きてきて良かった」は、『ベルサイユのばら』のアンドレの有名なセリフではなく(コラ)、最後の曲前の挨拶だったかで、つよっさんが「今日は、今まで生きてきて良かったと何度も思いました」と言ったので。
楽しさや幸せが伝染するように、心配や優しさが人を救えればと思います。それではm(_ _)m
2008年07月23日(水) |
「今、すっごい楽しい!」「生きてきて良かった」・・・ぼくもです(T_T) |
本日つくづく思ったのですが、
ぼくがこの世で一番好きなモノは、KinKi Kidsです!(今さら?)
いや、実を言えばそれなりに見栄とかカッコつけとかあって、ジャニーズ歌舞伎タカラヅカその他の歌舞音曲を中心とした芸術全般、文学、歴史、その他もろもろ、ヒト様に「教養ありますねぇ」とか言っていただけるモノコト色々がまんべんなく好きなつもりだったんです。
でも、今年後半は(おいこら、今ゆった口で限定すんな)、間違いなくKinKi Kidsでいこうと思います。
なんなんだしょ(?)・・・どうしてこんなに楽しいの? この人たち
どうしてこんなに愛らしいの?
(もう一つ実感したのは)コンサート=“生”の魔力ってヤツなんでしょうかねぇ。
まぁ、モチロン今日も、双眼鏡片手に天然記念物観察状態100%だったわけですけど、去年のイベントの時にも書きましたが、きんきっずという人たちは、あんだけ広い東京ドームに、ほんと、自分ちのリビングみたいなノリで存在しちゃえる人たちなんです。
見ず知らずの55000人(こらぁ、プレッシャーかけるなぁ!)にぐるりと取り囲まれているのに、なんであんなにだらだらリラックスできるんでしょうか?
やっぱアレですか? 二人だからですか?(←すかさずタダれたな?)
まー、正直、ダメ出しはないわけではないですよ?
いくらなんでもMC長過ぎだろ、とか。(−−;)まじでひっぱったよ、今日は。いやいいんだけどさ、それだけ長く二人といられて嬉しいんだけどさ、そろそろ歌が聴きたいんだけどなー、って、思わないでもなかった。そんなにしゃべりたきゃ、いっそ、1曲歌うごとにMC入れろ、と思った(←それじゃ去年のイベントみたいになっちゃうだろ)
あと、光一さんは油断すると音程が迷走しまくるし(あっ、ぼくにも神が降りてきた)←だから、行った人にしかわかんないことを書くな!
(解説 本日のトークで、間違った相づちをうっちゃったり、お客様に向かって暴言を吐いたりするたびに、「神が降りてきた」で責任逃れ(笑)しようというお約束ができあがっちゃったのであります)
音響は昨日に引き続き、最悪(席のせいか、エコーがすごくてびっくりした)でしたし。あぁ、まともな音響のコヤでもう一度観たい・・・(と、ほのめかす)
つよっさんは、『33分探偵』のネタバレしすぎやろ! とか。
良かったことと言えば(?)つよっさん、今日もアンコールで見事に脱いだのですが、昨日思ったこと→「あ、脱げるくらいやせたんだね。良かった」(オイ)
今日思ったこと→「なんてエッチな体つきなんだ!」(−−;)大主観!
な、なんなんだ、その曲線はぁ! はぁはぁ(←警備員さん! そこの中年つかまえてください!/慌)
あ、ハダカといえば、昨日のエントリに書いた「鬼怒川温泉」というのは、ちょー懐かしのKinKi夏うたシングルのPV(もう既に方々でネタバレしまくってると思いますが、眩しい十代のいたいけなハダカが出てくるあのPVです/笑)に合わせて、今の二人がふざけたアテレコをするというコーナーが今回ありまして。
これが昨日はぼく一番のヒットだったので、ついタイトルにしてしまいました(^^ゞ
で、そのアテレコが終わると、新しい衣裳にチェンジした二人が登場して、その曲を実際に歌う、という流れになるんですが、本日、コンサートも前半中の前半というのに、光一さん、いきなり上半身ハダカで登場してくれました(*^^*)
ボトムは装飾有りの破れデニム。
本来(昨日)のトップスは、白いタンクトップ+チェックの半袖シャツという、よく『堂本兄弟』でしてるような、衣裳衣裳してない、さわやかな服装でした。
で、今日はハダカ。
ぴょん、とステージに飛び出してきた時、どういうわけか「後輩の誰かが出てきた?!」と思っちゃった(◎_◎;)どう見ても「30手前」の男に見えず!
近くで見たらどうかわかんないけど、遠目で見ると、ホントにきゃしゃですこの人。
ガリガリにやせてるわけでもないんだけど、何となーく、「男の体」じゃないんだよな。
もっと言うと、人間の体じゃないんだよな(え?)
遠目で小さくしか見えないせいか、フィギュアみたいだった。
KinKiのそういうとこ(ってどういうとこ?)が、おいらの「ある趣味」に合致しちゃってるのかもしれんな(そんなオチ、やだ/涙)
タダれた感想はともかく、コンサートの流れがびろ〜んと伸びてだらけてしまうほどトークがズルズルだらだらしていても(あ、また神が・・・/汗)「た〜のしいよ〜♪」としか思えないくらいぼくはKinKiに盲目であることが、本日実感できました。
それは当然、本人たちが言っているように、「KinKiには佳曲が多い」ということによること大ですし。
何よりも、本人たちのたたずまいの可愛らしさが、『アイドル・オン・ステージ』で「○○○に○○○。○」(←なんつー伏せ字だ?!)を歌ってた時代から(そりゃ見た目は年とったよ?)何ら変わらないということにも起因するのかと思う。
最後にヘンなこと書いちゃうが、二人とも、付き合うとメンドくさい男かもしれん(何よ急に?)
だって、自分がノリ始めたら、時間なんて関係なく話し始めると終わんないんだもん(ま、“相手による”のかもしれないけどね。・・・ね。・・・ね!)←オマエの方がうざいわ!
あと、つよっさんとあわよくばお付き合いしたいと思っているお嬢さん方へ朗報(?)
つよっさんは、「53キロ」(誰かさんの今の推定体重)までなら、軽々お姫様だっこしてくれますよー( ̄ー ̄ )良かったね(←おばさん感じわる〜い!)
(今日なんて、タカラヅカも真っ青の「リフト」してたぞ)
・・・うーん、ホントはね、このブログに移ってからは、語る対象を自分流のニックネームで呼ぶのとかやめて(基本、姓を呼び捨てで行きます。歌舞伎役者の場合は、下の名前呼び捨てです)、なるべく主観的でない文章にしていこうと思ってるんです。
KinKi Kidsに関するエントリも、なるべく品格のある文章で(ムリに決まってる)真面目に語ろうと思ってるんだけど・・・(←正気か?)
やっぱ「ておどるスタイル」になってしまったな(^^ゞ
2008年07月22日(火) |
ジェットコースター鬼怒川温泉ロマンス |
行ってきたぁ〜(*^^*)鬼怒川温泉にじゃないよ?(←あたりめーだろが)
でも、例によって頭が頭痛だぁ〜!(−−。)何とかしろその体質
でも、楽しかったぁ〜〜〜!!!\(^^)/新曲も歌ってくれたぁ〜♪(ただし、東京ドームは例によって音響最悪で、どんな曲かさっぱり判らず)
今日はとりあえず、小学生の作文並みの感想でゴメン。
あっそうだ、これから行く人へ。
(もし持ってたら)1993年11月から1994年秋頃にかけてのビデオを予習して行け( ̄ー ̄ )(『アイドル・オン・ステージ』推奨)
・・・(今まさに私、視ております)いけねぇ、徹夜してしまう・・・(←いい大人失格)
いやー、久しぶりに『新堂本兄弟』(ゲスト/青山テルマ)を視たら、右の司会者さんは絶好調で、左の司会者さんは、それが可笑しくて可笑しくてたまらない様子でゲストは放置しまくるし、このままでは眠れん!
と思ったんですが。
(あら? どうしたの?)
・・・人間ムリは禁物。
実は本日終電帰宅ですし、明日も普通に仕事です。
しかも、夜中に一人で笑ってたら(←不気味!/違うって。だから、『新堂本兄弟』視てたんだって)、突然、体の一部に一大事が起きました(×_×)
命に別状はないのだけど、あまりのことに力が一気に抜けましたので、今日も早めに(どこがじゃ!)寝みます。
・・・起きたらこの夏一番の嬉しさが待っている。
がんばるぞ。
やぁぁぁ !!!(すいません今回もまたパクってしまいました)
(『新堂本兄弟』の感想は、後日きちんと更新します・・・つもりです)
あっ、肝心なこと書き忘れてた。
オメデト、11歳♪
失速(−−;)
初日からがんばりすぎました。←学習能力ゼロ
ちょっと休ませていただいて、明日(も)がんばる。
2008年07月19日(土) |
改めまして。新生花組 |
2か月も経ってから(これを書いてる本日は、実は9月15日)の感想なので、ほんとに「憶えてる部分」しか書きませんが、そういう感想の方が、実はある意味“的を射ている”んじゃないか、などと言い訳しつつ。
まず、本編。
宝塚ミュージカル・ロマン『愛と死のアラビアー高潔なアラブの戦士となったイギリス人ー』
タイトルを初めて聞いた99%のヅカファンが、『アラビアのロレンス』の舞台化なん? と思ったに違いないのだが、何と違っておりました!
ローズマリー・サトクリフという人の小説『血と砂』が原作だそうで。
で、この『血と砂』というタイトルを聞いて、「昔、月組でやったアレか?」と50%ぐらいのヅカファンが思ったかもしれない(ぼくもそうです)のだが、それも違ってた(あっちの『血と砂』はイバニェス作。ルドルフ・ヴァレンチノ主演で映画化されたのも、こっちの方)
例によって、原作本をめんどくさがって読んでないのだが(全然読書家じゃないんだよなぁ。よく出版関係の仕事やってられるよなー我ながら)、原作が好きな人には、ちょっと、申し訳ない舞台化だったんじゃないか・・・、と(根拠なく)感じた。
主人公の性格が、タカラヅカの主人公丸出しなのだ。
カッコいい。カッコ良すぎるのだ。
一点のシミもなく(タイトル通り)高潔で、誠実で、強くてハンサムでりりしくて。
あまりにも欠点がなさ過ぎて、何だか好きになれない感じまでする。(←ひねくれ者め)
演じているまとぶん(真飛聖)自身の、陶器のような美貌のごとく「つるん」としてて、人生の機微とか、男の年輪とか、全く感じられない人物像だった。
申し訳ないが、それは100パー谷(正純)先生のせいだと思う(←出た! 決めつけ)
だって、まとぶん自身は、そういう手触りの希薄な男役ではないからだ(今まで演じてきた役々から判断して)
まー、谷先生を責めるのも気の毒だと思う。
「新生○組」の出帆作では、どの作家先生でも、めったに主人公をダーティーヒーローにしたりはしないからだ。
また、それまでどんなに「影のある役」「輝く闇を持つ悪役」が得意だった男役でも、トップ就任作では、その試金石として「真っ白な役」に挑戦するのがセオリーみたいなとこがあるし。
とにかく、周りみんな浅黒いアラビア人に囲まれて(ヒロインすらも黒塗り)、一人ぽぅっと真っ白い顔を浮き立たせているトマス・キースは、まさに「掃き溜めに鶴」(男なのに)
そういうふうに、したかったんだろう、多分。
だが、むさ苦しい(つっても、あくまでもタカラジェンヌが演じる、という冠詞がつくが)男たちの中で、一人白鳥のごとく美しく佇むトマスを見てると、何だか「衛兵隊の中のオスカル」みたいだった。
タカラヅカの雛形は、やはり『ベルばら』なのかな。
単にぼくのヅカ蓄積が、貧弱なだけなのかもしれないが。
一方、主演娘役としての貫禄充分になってきた桜乃(彩音)でございますが、主人公(トマス)があまりにも潔癖なお方に描かれている関係上、全然色っぽさ発揮できず。
大正時代の女学生よろしく(何だその例えは)「心からお慕い申してオリマス、お兄サマ」とトマスにしなしなと寄りかかるのが精一杯で、お人形さん以上メイド未満であった(役割としても、彼女が演じたアノウドは、元は裕福な商人の娘なのだが、砂漠で盗賊に襲われた後、トマスに助けられて自ら望んで彼の“ハシタメ”になるまでしか描かれてない。史実ではこの人、トマスと結婚したらしいのに・・・)
どんなに「清潔に」愛し合ってても、「夫婦」になるまでは描かないのが谷セオリーなんだったか?
久々の谷作品だったので、よく思い出せないのだが、ハシタメで終わる方が、なんか・・・と思ってしまった。
ただ、「谷作品は、いつも大虐殺で終わる」という批判を本人も気にしたのか、「新トップ就任作品で、それはいかん」と思ったのか、トマスの死刑シーンを出さないで終わったのは良かったのだが、トマスとアノウドが美しく寄り添い合って幕、となった瞬間、客席のほとんどが「ぽかーん」だったのは事実ですよ?
隣りのお姉さん、明らかに「え? これで終わり?」って呟いてたからね。
ぼくは一緒に観てたヅカ友さんと、「(主人公が)死なないで終わったねー!(谷先生なのに!)」と顔見合わせて思わず苦笑いしたくらいです。
さて、本作品から花組に異動してきたゆーひちゃん(大空祐飛)
歌劇団は、彼女をトップにする気があるのかないのか全く読めないのだが(ぼくは基本的には、歌劇団の人事に関してあれこれ考えない客)、今回の役はゆーひちゃんにとってはさほど役不足でもなく、本人もしっかり演じていたし、良かったんじゃないかと思った。
次回以降、ゆーひちゃんをきちんと使えるかどうかで、今後の花組(プロデューサー)のクオリティが知れるような気がする。
逆に、よく分からん使い方をされてる感じのそうちゃん(壮一帆)
『メランコリック・ジゴロ』でスタンをやらされた(この件についてはコチラをご参照)のは、気の毒というか身に余る光栄だったと思うのだが、今回演じたトゥスンは、思ったよりなかなか天真爛漫な感じがちゃんと出てた。
顔立ちがヤンさん(安寿ミラ)に似てるせいか、影のある役向きかと思っていたが、案外邪気のないタイプなのかもしれない(ヤンさんも、けっこうコメディエンヌではあったが)
悪く言えば軸が定まらない、でも、良く言えば、何でもできるオイシイ立場、それが二番手。これでいいのかも。
ちなみにトゥスンて人は、トマスとは「実の兄弟以上恋人(?)未満」の関係だったらしい。
タカラヅカでよくあるパターンだが、「トップ男役と娘役のコンビ」<「トップと二番手」の典型である。そんな、タダレにはたまらん関係だったらしい(\(−−;)自粛!)
でも、ヅカだから、ちゃんと「清く正しく美しい」たまらん関係でした(何のこっちゃ)
そんなタダレのアホ嗜好よりも、みわっち(愛音羽麗)演ずるドナルドとの最後の別れのシーンの方が、ぼくの好きなタイプの「男同士の濃い友情」を感じさせて(多分に浪花節っぽかったが)良った気がする。
次、ショー。
グラン・ファンタジー『RED HOT SEA』
南の海です。
サンバです。
ラテンです。
草野(旦)です(笑)
黒塗りです。
スパンコールギラギラです。
極彩色の羽根です。
草野です(2回目)
以上(オイ!)
・・・いや、だって。
これ以上の説明はムリ(・・・疲れてきたな?)
つうか、完全に「いつもの草野ショー」なんだもの(・・・あんまり好きじゃないな?)(あんまりはっきり書けないが)ご名答
正直、既に内容をよく憶えていない。
ぼく自身が個人的に大好きな黒燕尾と白ドレスの総踊りだけは憶えてるが(しかも、ここも例によって「草野ショー名物」のパーティ→酔っぱらい大会)
まとぶんが「崖の上のポニョ」のメロディで「は〜なハナハナ、花組よ〜♪」と歌ったことしか憶えてない(−−;)
全体的(本編もショーも)に「何だかな」的な作品ではあったのだが、お披露目って大抵こんなものであったと思う(それに安住するのもどうかと思うが)
んで、花組次回作は、ヨン様ドラマであるところの『太王四神記』。一応(←失礼発言)話題作ではある。
ご存じ大長編なのであるが、題材的にタカラヅカにぴったりなので、何の躊躇もなく楽しみにしたいと存ずる(←言葉遣いが既に変)
ドラマで予習する気はさらさらないが(←無礼者め)
みなさん、そわそわしてますか?(*^^*)
ぼくはしてます(笑)
今日もうだるような暑さの中、駅から職場までの15分強をだらだら歩きながら、せめてもの暑気払いにとiPodで“冬の名曲”「Harmony of December」を(作為的に)聴いておりました。
ふときーづーけーばぁいーつも〜♪
ドキッ!( ̄▼ ̄;)
思わず変 質 者のような笑みがこぼれてしまい、思わず挙動不審になってしまうぼく(←それが既に変質/断)
・・・気を取り直して。
♪何度もキ(以下略)←略早過ぎ!
い、いかん・・・顔が、顔が火を噴く(#∇#)
一人で何やってんだか(←急に冷静)
あぁ、この三日間、ぼく大丈夫でしょうか?(知らん)
戯言はともかく、ちょっとだけまじめにてくてく感想を1本書きましたので、良かったらどうぞ。 ↓ 『かもめ』(赤坂ACTシアター)
とりあえず今日は、一寝入りして目覚めたら仕事だ・・・気が重い(−−;)
2008年07月17日(木) |
乗り切ってみせるさ! |
とりあえず、今回のBIG WAVEを乗り切り、明日はちょっと寝坊できることに♪
30分番組1本なら、何か視ても大丈夫だよね、何視ようかな? とワクワクしてたらアナタ!←(いつもながら)誰?
KinKi Kids様、11か月ぶりの新曲発売決定!
の情報が\(^^)/やっほぉ〜い♪
JE公式サイトによりますと、関わっているミュージシャンの面々が、もうコレ、期待せずにはいられない面々。
「ミステリアス」で「疾走感あふれる」という煽り文句が真実かどうかは実際に聴いてみるまで定かではないが(何で疑うんだ?!/怒)、この面々なら、「あのテの(って、どんな?)大人の夏曲」が充分に期待できるではないではないですか(←コーフンしすぎやぞ)
ただ、8月下旬にリリースということは、ツアーのアタマの方ではご披露があるのかないのか、ちと微妙な感じですな。
でもいい。ここまで待ったのだから。待つぞ、おらぁ(←放置され慣れてるきんきっずらばー/哀愁)
そんな感じでドーパミンを噴出させておりましたら、コーディネーターのお姉さまがいそいそと、
「ておどるさん。この三連休は」
えっ・・・(◎_◎;)な、何?(怯)
「どこかへ行かれるのですか?」
・・・・・・(×_×;)お、脅かすなよぉ(汗)
「えぇ、ちょっとキンキ・・・」
「まぁ、京都に旅行とか? それとも奈良ですか? いいですねぇ」(←確かにそれもいいけども(^^ゞ)
「いえ、東京ドームのキンキ・・・」
「エ? 東京の近畿・・・?」
漫才として0点ですよ、この会話。いや別に漫才をしたかったわけでもないし。
「実はですね、この三連休は」
・・・ううう、聞きたくなかった(−−。)
なんで平日三日間以上の仕事を持ってくるだ・・・(×_×)今からへたりそう
でも、おらぁ諦めんぞ。
やってみせるさ。
ミーハーの底力を見せてやる!(←どうなんでしょうかそれも)
ばあちゃん(お盆が近いので、今年も交信開始)、やっかんない!(訳 じっちゃんの名にかけて!)←大嘘
三日にあげずてくてくしてくるつもりだったのだが、うまいこと仕事のキリがつかず(どうせ今日中に終わらなかったし、締め切りもあさってだったので、途中で帰っちゃっても良かったのだが)、ぐずぐずしているうちに開演時刻が過ぎてしまったので、チケット代をドブに捨てました(T_T)
そうこうしてるうちに、体調に異変が!(そんなたいしたもんではないですので、心配しないでね)
今日てくてくしてしまったら、後日地獄を見るぞよ、というミーハー神のお告げってことにして、急いで帰宅しました。
・・・なのに、なんにもしてないのに、もうこんな時刻(実はもう午前1時40分)
アホか、自分(×△×)ホント、自己管理が下手すぎ・・・
申し訳ないので(誰に?)少しだけKinKiの話をしようか。
去年の今ごろ、2007年7月中旬は、CDデビュー10周年記念日まであとわずか、という時期だったのに、お茶の間的には今ひとつ盛り上がりに欠け、ぶつぶつ言ってた気がする。
ところが、ちょうど丸10年が終わる7月20日、『ミュージックステーション』で「愛のかたまり」が披露され、『僕らの音楽』が放送されると、ゲンキンなもので、俄然ぼくの体内KinKi時限爆弾が動き始め、21日になるやいなやオンエアされたJEの特別バースデーCMに心はとろけ、ラッキーにも行くことができた22日の『39』イベントで、大輪の五尺玉がドッカンと花開いたのでした。
それからしばし休憩はあったが、「永遠に」や『Φ』発売に連動したテレビ出演でまたぞろ盛り返し、冬の二大ドームコンサートでまたもや六尺玉がドッカン。
しばしあって(この「しばし」は、ずいぶん長かった気もするが)現在に至る。
・・・もう1年経つんですから、早いもんです。
でも、またもうすぐ二人に会えると思うと、生きてるってすばらしい、という気にさせられます(ぼくが言うとふざけて聞こえますが、本心です)
その間、ろくすっぽ『新堂本兄弟』の感想を書いてない自分を思うと、怠け者ってすばらしくない、ということにも気づきますが。
こないだのも、その前のも、ちゃんと視てないからな。・・・たしか、宇多田ヒカル以降、ちゃんと視てない(そ、そんなこたぁないだろ!?)
今の締め切りが終わったら、ぼく的「11周年前夜祭」でも催そうかしらん(単に、今までの『新堂本兄弟』を編集するってことだが)
KinKi Kidsの11歳の誕生日と、それからの1年間が、10歳の1年間以上に楽しく充実したものになりますように。
ミーハーの神様、よろしくお願いします。
スケジュールが遅れに遅れて、この土日は仕事をしなくて良くなりました( ̄ー ̄ )うっへへ
さー、何を視ようかな?(と、DVDレコーダのHDDの中身を物色)←オイ
とりあえず、藤原竜也クンが出た『食わず嫌い王決定戦』だけ視た(遅過ぎ)
大杉漣さんが、転形劇場出身だったことを初めて知った。
当時ぼくも観ましたよー『水の駅』(^^ゞ難解なものを、解らないくせに観るのが好きなお年頃だったの
『恋の確定申告』のオチには、心からトホホだったが(−−;)時の流れは、硬派演劇青年を、オヤジギャグ好き中年に変えてしまったか(←こら)
そうこうしてるうちに雷が鳴りはじめたので、ヤバいと思い、自転車で用達しに駆け回り、録画鑑賞中断。
夜には、何となく興味があったので『ホームレス中学生』を視た(原作本は未読)
これが、なかなか良かった。
田村裕そっくりの主演・黒木辰哉くんの力演によるところ多し。
顔が田村にそっくりという点で既に100点なのだが、それだけじゃなく、演技自体もすばらしい。
田村そっくりなのに(くどいですか?)、素直で心優しい少年がひとりで頑張ってるさま、周囲の温かさに支えられて、ちょっとひ弱な心を克服していくさまは、すごくかわいく、応援したくなる瑞々しさに溢れていた。
田村裕のホームレス生活は、実は中二の夏休みの一か月足らずで(それでもとんでもない話だが)、その後、周囲の助けで兄弟三人貧しいながらもきちんと暮らしていくのだが、そういったセンセーショナルな部分だけじゃなく、その後、裕がどうやって成長していったかまでをじっくり描いていた(高校合格までだったが)ところが良かった。
吉本の芸人が大勢カメオ出演していて華を添えていたが、やはり突出していたのは(吉本芸人じゃないけど)西平のおばちゃんを演った高田聖子。
まんま、大阪の人情に厚いおばちゃんでした。
で、この話、映画になると知って二度びっくり。
映画(こっちは麒麟結成後まで描かれるらしい)では、田村少年を小池徹平が演じるということだが、正直、
「え──っ?!」
である(みんなもそうだよね?←こら)
いくら童顔だからって、中学生・・・(いや、それ以前の問題だろ)
ドラマ版ではお兄ちゃんを二枚目の田中圭が演じていたが、映画ではキングコング西野亮廣だそうでございます。
・・・うむむ(←何だその反応)
2008年07月10日(木) |
3軒茶屋婦人会 第3回公演『ウドンゲ』(ベニサン・ピット) |
今日出るゲラは15ページ、と担当者に言われていたので、早朝出勤して18時には終われるな・・・と思って行ってみれば、なぜか机の上にはその約二倍のゲラがドン!
う、嘘つきぃ〜っ!(怒)
嘘つきは針千本飲まされるんだぞ! と、約一名のオペレータが机につっぷして失神(徹夜だったらしい)しているオフィスで、孤独にわめく。
まぁ、一人で怒ってても仕方がないので、しぶしぶ取りかかりました。
案の定、夕方になってもまだ半分しかできない。
早く帰りたい(本日、てくてく予定)オーラを盛んに醸し出していたら、
「明日の昼まででいいんで・・・」
と、すまなそうに言われたので、とたんに満面の笑みを浮かべ、定時に退出した我が輩なのであった。
(ここまで、長い前フリ)
さて、本日のてくてく。
前回(つっても、もう2年半ぐらい前)の『女中たち』をうっかり観逃して(『ヴァニティーズ』はもちろん観てる)、当時も軽く後悔していたのだが、今回の公演を観て、その後悔がさらに大きくなった。
映像化されてないか?! 是非観たい!『女中たち』!!(切実)
・・・ま、観逃した公演のことはさておき、今回の感想。
今回は書き下ろしで、ジャニオタ的には「三宅健と仲がいい」というイメージのある(笑)赤堀雅秋の筆による作品。
この人の芝居はぼくは今までほとんど観ておらず、どんな感じなのか知らないで行った。
正直に言うと、最初にお三方が登場した瞬間に、「あー、そういう話か? きっとな。多分な」と思った、そのとおりの話だった。
あんまりいい感想じゃないみたいな書き方をしてしまったが、そう悪くもなかった(←この書き方自体、全然良さそうじゃないが)
ひたすら、お三方の芝居力(しばいぢから)に快く浸れたのが、一番の価値、だった気がする。
いや、決してホンも演出も悪くなかったよ?(←そうやって、あえて書くから逆に/略)
まあ、何といいますか、今「おばちゃん」を演らせたら日本一、二、三の「おっちゃん」たちなので。
リアル度が半端じゃない(^^ゞ
登場人物たちも、なにせこっちとジャスト同世代。
三人三様の暮らし向きなわけだが、とりあえず、この“Around50”(アラフィー? ・・・アルフィーみたいだが。あ、アルフィーのお三方もアラフィーか←何をごちゃごちゃ言っとる?)たちの誰かしらに当てはまると言っても過言ではない。
誰しもに身に覚えのある「居心地の悪さ」が舞台上では展開しているのだが、やはり何つうか、演じているのが本当は男優さんたちなので、その「居心地の悪さ」が、優しくフィルタリングされて届いてくるのだ。
そのくせ、演じているご本人たちは、絶対におっさんの加齢臭なんぞしなさそうな(コラ)
いや、決してキレイキレイというんじゃなく(別の意味で「超越した」ような可愛らしい男おばさんたちなんだけど/笑)、きっと彼らいや彼女らが放つニオイは、ひなたに天ぷら油を置いたような「男の加齢臭」ではなく、お皿の上に一晩放置されたプロセスチーズ(こらっ)にファンデーションの匂いが混ざった「女の加齢臭」なのではないか、とさえ思わせた(いや現実には、全然臭ってないんですけど。イメージね、イメージ)
とにかく、これが赤堀脚本の基本的スタンスなのかとは思うが、何かが起きそうなのに「結局思ったとおり」何も起こらない。
でも、「何かが」見えないところで起きていた、という終わり方だった。
だがしかし、正直ぼくの感想では、アラフィー世代(勝手に決めんな)の物語としては、「何かが起きた」と思わせるには弱すぎるエピソードばかりだったんじゃないかと思わなくもない。
アラフォー以下のいじらしくも可愛らしいお嬢ちゃん方と違って(「アラフォー」を「お嬢ちゃん」と言ってしまうあたりで観念してほしい/笑)、アラフィー世代は、悲しくなるほど逞しく、心の面の皮も分厚い(←それはアナタ個人のことなのではないのですか?)( ̄^ ̄;)うるせぇ
すんごい「分厚い」感想で(赤堀)青年の夢(勝手に認定──といっても、『ウドンゲ』というタイトルをつけたあたりから察して、やはりこのドラマに彼はある種の「夢」を込めたのだと思える)を砕いて悪いのだが、
「薫が言ってたようなこと(近々また会おう)は、結局ないだろうな」「この後、この三人が次に会うのは、やっぱり絵美が言ってたみたいに、誰かの葬式なんじゃないかな」「いやもしかしたら、三人が揃うのは二度とないかも」
と思った。
きっと、三人がアラサーだったら、確実に「近々会う」と思うのよ。その後何かドラマが起きる起きないは関係なく。
でも、なんつーかな・・・。「自分の生活を持っちゃった」人間て、そう簡単に変わらないんだよな。
特に女は。
あらゆる部分が「分厚く」なっちゃってるからねぇ(−−;)自分で書いてて悲しくなってきた
でも、実はそれをあんまり悲しいとも思ってないとこが、アラフィー女が世に疎まれる(こらっ! また!)原因なのであろうな・・・。
でも、こうも思う。
会わなくたって、それはバッドエンドとは言えないんじゃないか?
会わなくったって、やはりハッピーエンドだったんじゃないか?
ラストシーンの、澄子の「女子高生のような」トーンの声。
あれがハッピーエンドでなくて何なんだ。
これでいいのだ。
(まとめに入ろうとすると、ボキャブラリーがとたんに貧困になるのは何故なんだ? ておどるよ)
・・・ああ、やっぱり『女中たち』を観とくべきだった(>_<。)だってさ、『ウドンゲ』のパンフ見て知ったんだけど、「奥様」を演ったのは深沢敦だったんだって! こんな反則技ないよなぁ〜(感涙)
2008年07月09日(水) |
カリカリすんなよ!(←古い) |
最近ぼく愛用のMacが、キーボードを打つたび、マウスをクリックするたびに「カリカリカリカリ」言って、単純にテキストを打つ作業さえもやたらと時間がかかるようになった。
特に、テキストを漢字変換する時など、異様に時間がかかる。
サイトの表示なんかは、さらにその10倍ぐらい時間がかかる。
一体これはどうしたわけか。
Macはデフラグの必要がない、などと言われてきたが(そもそも「最適化」っていう機能がMacにはついていない。「必要ないから」だそうだ。でも、どうしてもデフラグしたい場合は、一応ソフトがある。金とられるあたりがムカつくが。しかも、OS Xの場合は、むしろNortonなどのソフトを使うと、逆におかしくなる、とも言われてきた)、それにも限界はあるということなのだろうか。
それか、もしかして、5年目にして、初ウィルス感染?(うわぁあぁあ〜! ラーメンズ!/怒)←八つ当たり
さあて、どうしようか。
こんなだと、ブログを更新するのもメンドくさくなるな(言い訳)
とにかく、怖くて(文字変換に時間がかかって、せっかちなぼくはすぐエンターキーをバンバン叩くから、さっきからしょっちゅう変換ミスしているのだ)長文が打てない。
てくてくの感想は勢い長文になるから、書く前から気が重い(言い訳その2)
しかも、毎日のように『どんなもんヤ!』を録音失敗するし(そこは、お前が学習しろよ/叱)
だってですね、一日が24時間じゃないんですよ(言い訳その3)
休日昼前に起床→家事をちょっとやって、てくてく→職場へ直行(徹夜で仕事)→翌日昼前に帰宅して就寝→夕方起床→短時間だるだるしてまた就寝→翌朝から夜まで仕事(ここでやっと世間と同じに)→帰宅して就寝→早朝出勤、夜まで仕事(今ここ)→始発で出勤(予定)
・・・あれ? 意外と寝てる?(不本意)
まあ、先週はもっと昼夜がヒドいことになってたわけだが。
わあぁ、あと2時間半で家を出る時刻ではないか。
寝なくちゃ。
2008年07月05日(土) |
『かもめ』(赤坂ACTシアター) |
(2008年7月18日深夜記す)
キャストがホリプロ主体の「王道」だし、なんかイヤな(こら)予感はしていたのだが、演出が、例の『ロマンス』の栗山民也。
ひょっとしてひょっとするかな? と淡い期待をして出かけたのだが、・・・やっぱり「王道」(良くない意味で)だった(−−;)
まぁ、図らずも“正統派”(←この形容詞の意味は、コチラの記事をご参照)な『かもめ』を観てしまったわけです。( ̄□ ̄;)エッ? で、でも・・・
そうでございます。そんなん実は“正統”じゃない! というのが『ロマンス』の主張だったにも拘らず、であります。
一言で申し上げて、実に重っくるしいチェーホフ作品でした。
いや、笑える部分がなかったわけではないのよ。
でもなんだろう、その笑える部分って、厳格な親戚の伯父にお盆に帰ったとき挨拶に行って、「上がっていきなさい」「ビールでも飲むか?」とか言われて、うわー肩こる・・・と思いつつもお酌してたら、ほろ酔いのせいか、それとも年とって丸くなったのか、伯父が「ぽそっ」と意外にも面白いこと言って、「ははは・・・(力のない笑い)」みたいな、そんな感じ(ヒドい感想ですねておどるさん)
だってね、ホントそうだった。ぼくにとっては。
別に、劇団☆新感線の舞台みたいに笑いたいわけじゃないので、別にいいんだけど。
それに、笑えなかったからダメな舞台だったとは言ってない。
ぼくのドひいき役者、藤原竜也と麻実れいの初タッグ、というのもあったし、それに実力派の面々が絡んでくるので、重っくるしいながらも、ずんずんと引き込まれていったのも事実だったし。
ただ、あの『ロマンス』を演出した栗山民也が演出する『かもめ』が、これなの? という、ちょっとダマされたような(こらこらこら!)感じがしただけだ。
役者についてだが、「翻訳劇」独特のセリフ回しを、まるで「普段からこうやってしゃべってます!」ぐらいの勢いで“自分の言葉として”しゃべってる麻実を始め、鹿賀丈史、それから中嶋しゅう、藤木孝などの面々には、もう、感心するほかなし。
特に、中嶋の「いかにもベテラン新劇俳優」といった声の渋さにはヤラれた。ドルン医師ってキャラは、一人達観して他の登場人物たちを俯瞰から見ているような感じがある。その感じに、その声がぴったりはまってる。
そのドルンに密かに言い寄るポリーナの藤田弓子。そうか、ポリーナって、実は「くずれた色気の熟女」じゃなくて、一見害のなさそうな(おい)おばちゃんなんだ。そういうおばちゃんがこうやって恋に突き進むから、危険な香りになるんだ、と分かった。
この辺の方たち、さすがであった。
で、さりげに今名前の出なかった若い女優二人だが、決して悪かったのではなく、むしろ、特筆したい。
まず、今回パンフを見て「なんでトレープレフ(藤原)の名前が最初に出てるの? 『かもめ』の主役って、ニーナじゃないの? タツヤオタ寄せ?(黙れ)」とぼくは思ってしまったのですが、そのニーナを演った美波。
やっぱそうじゃん、ニーナが主人公なんじゃん。
そう思わせました。
うーん、美波、すごし(*´-`)
実は彼女の舞台を観るのは、今回が初めてではなく(『エレンディラ』は見逃したが)、2005年に上演された『贋作・罪と罰』で智(主人公・三条英の妹)を演じていたのが、この美波だったのだそうです。
「だそうです」と書いたぐらい、ぼくは(この芝居、ちゃんと観たのに)全然知らないでいた。つまり、誰が智を演じたか、全く記憶に残っていなかった。
すまんこってす。
だが去年、テレビドラマ化された『有閑倶楽部』を視て、「うーむ、“たった一人だけ”原作のイメージどおりのキャラがいる」と思った。その“たった一人”が、剣菱悠理こと美波だったのであります。
だから、その実力は遅ればせながらも認めていたのだ。
そして今回、このニーナを観て、その実力は本物だったと再確認した次第。
実のところ、前回(1999年)『かもめ』を観た時には、ラストどうしてトレープレフが自殺すんだろう? いや確かに岡本健一のトレープレフは、のっけから自殺しそうな神経質さマンマンではあったけど(コラ)・・・と、チェーホフがトレープレフに託した役割が、今イチつかめないでいたのだ。
でも、今回の『かもめ』の第四幕を観て、「あーこれはトレープレフ、死ぬわ」と、すんなり分かった。
藤原竜也が“いつもの”(今回はこのフレーズ、褒め言葉として使いません)憑衣芝居でどんどん「絶望」方面に突き進んでいく様子は相変わらず見応えがあったが、それを「一人で突っ走ってる」感じじゃなく、ちゃんとそのトレープレフを(意識的にではないのだが)ニーナが追いつめてる、と伝わってくる二人のぶつかり合いが、すごかった。
楽しみな女優を、また一人めっけてしまいました(*^^*)
続いて、マーシャ=小島聖
観てて、すっごくイライラした(爆)
マーシャという女そのものが、イライラするんです。ぼくには。
なんつーか、はっきり言ってしまうと恥ずかしいんだけど、「田舎に生まれて、平凡な人生しかありえない女なんだけど、そこそこ美人に育ってしまい、ちょっと人よりも頭も良い(根拠なく、周りの人間がバカに思える)んじゃない? と自分で思ってる女」──それがマーシャ。
そして、それが、どうも昔(田舎にいた頃)のぼく自身に似ている(「そこそこ美人」てとこで笑うの禁止!)・・・だからイラつくんだろうなぁ。
「私の人生はもう終わってるの。これは、私自身の喪に服しているの」とか言って、毎日黒い服着てる・・・イタくてとほほな女ですわな。
実は最初、ぼくは小島自身にイライラしてるのかと思ってた。
なんか、セリフがすべってるというか、最初の方に書いたような、「いつもこうやってしゃべってます」のスゴい役者陣に比べて、小島だけが「私、セリフをしゃべってます」って風にしゃべってたので。
でも、それがマーシャなのだ、と判ったら、今度はすごくぞっとした。
好きなトレープレフには全く相手にされず、バカにしきってるメドベジェンコと結婚して、不幸を全身に背負ってるような顔してるけど、それを選んだのはアンタでしょうが、と。
この悪態は、ぼく自身に向けられた悪態なのだ(いや決してつれあいがどうとかでは・・・もごもご)つまりアレですよ、けっこうどんな女性でもちょっと抱いてる「本当のアタシは、こうじゃないのよ」というシンデレラ・コンプレックスっての? いつか王子様が。いつか誰かが。私の魅力ないし才能を見つけてくれる・・・みたいな。あ、これは女性に限らないな。
ただ、これは演出への文句なのだけど、マーシャがコカイン中毒っていうのは・・・なんだか、過激すぎる気がした。アル中で充分じゃん(どっちが本当に過激なのかは知りませんが)
あと、メドベジェンコ役のたかお鷹が、そぉーんなにみんなにバカにされるほど「冴えない男」になってなかった(人の良さそうなおじさんにしか見えなかった)ので、マーシャが必要以上に性格悪く見えた。
あれじゃ「年寄りだから」いやがってるみたいじゃん。
メドベジェンコは、もっと若くて、でも、なんか存在自体がウザい男って方が、台本に合ってるんじゃないかと思うんだが。
と、長々と書いてまいりました。
このように、哲学的に分析するには充分に“重厚な”『かもめ』でございました(皮肉?)
・・・でもな、この感想、だいぶ日にちが経ってるから書けたのであって、正直、観劇当日は「・・・失敗したかな?」と思っていたと告白してしまいましょう。
ことに、観に行った目的その1の藤原竜也に対して、
「この人って、寺山修司でも、三島由紀夫でも、シェイクスピアでも、チェーホフでも、同じ芝居なんだなぁ」(ただし基本、とにかく上手いんだけど)
と思ったことが大きく印象に残った。
がっかりしたようでいて、全然そうではないんだが。
それより、舞台ではこうして次々に伝説を残していくのに、なぜ出る映画出る映画、(『デスノート』は別として)怪作(こらっ)ばっかなんだろう?
そっちの方がやけに気になる竜也フリークなのであった(^^ゞどうする?『カメレオン』(←だからヤメなさいって/汗)
この平均体温が低めの中年が最も嫌う季節がやってまいりました(>_<;)
今年初の真夏日でござる(エアコンの掃除、まだなのによ〜←それかよ? 問題は)
・・・ところで関東地方、梅雨明けはしたのでござるか?(四国地方はしたらしい)
暑いのは少し我慢するが、「暑い」+「湿気」は、どうにも我慢できない。
あ、グチりに出てきたのではなかった。
先月26日で終了した「旧版てくてくミーハー道場」に、とうとうアクセスできなくなりました(母体の「BLOCK BLOG」が完全閉鎖)
中身のテキストは一応とってあるんだけど、このブログにインポートするかどうかは思案中です。
くだらん(←私見)日常ネタはもうどうでもいいので捨ててしまおうと思っているのだが、一応「てくてく記録」だけは残しておきたいなと。
サイトの方に新しいページを作って入れるか、このブログに、日記とは別にテキストを格納しておける場所があるので、そこにしまうか今考えております。
って、職場でこそこそとアップ(^^;)←大胆
(だって、今日は「朝までコース」なんですもの。終わったら、本日てくてくしてきたネタを書きます。脳が膿んでなければ/怖)
この歳になって「連続覚醒時間」40時間の記録を打ち立てるとは思わなかった(×△×;)
まあ、それもこれも、計画通りに仕事をしない自分の責任100%なのですが。
土曜日2時(もちろん「午前」)過ぎまで仕事をして、日曜日の午前11時に起きてコクーンへ(売店のさつま揚げ、うまかったなぁ〜♪←最大の感想が、それかよ/呆)
芝居を観終わって職場に行ってゲラを持ち帰って午後6時からお仕事スタート。
『新堂本兄弟』のため小一時間休憩して、また明け方までお仕事。
1時間仮眠をとって(寝とるんやないか!)またお仕事。
始業時間に職場に着いて、1本目のゲラを返して直ちに2本目に取りかかり、夕方までお仕事。
ご飯を食べて、とりあえずできる限り(この時点では、終電前には終わるつもり)仕事を進めるが、全く終わらず(T_T)
昼間、あんなに眠かったのに、夜になると眼が冴えてくる自分が不思議(^^ゞ
結局、赤ペンを置けたのが、午前3時。
椅子に座ったままぐぅぐぅ寝ている担当者(ご、ごめんよう待たせて/涙)の机にゲラをそっと置いて帰ろうと思ったが、この時間帯は電車が走ってないので、あと1時間半、時間をつぶすことに。
かつてぼくは同じような事態に陥った際、タダレ小説を書いて時間をつぶしたが、今回脳が発酵寸前でそんな余裕はなし(×_×)
漫然とネットサーフィンしてたら、あっという間に時間はすぎました。
東京のオフィス街(でもないが、うちの職場辺りは)というところは、深夜よりも早朝の方が閑散としていることを毎度ながら実感する。
コンビニは開いてるのだけど、ゆっくり座って早すぎる朝食を楽しめるカフェはもちろん、ファミレスも24時間営業じゃないので、どこも開いてない。
寂しくスズメやカラスの鳴き声とともに帰宅してお風呂入って即行寝ましたのさ。
連続睡眠10時間!(昔KinKiがやってたパナソニックのCMみたいですな)
夕方カラスの鳴き声とともに(カラスばっか)起きて、夕飯の支度をして(もう、この辺からおかしい)食べて、また眠くなって寝ましたとさ(えっ?)
連続睡眠12時間(寝すぎ!)
すっかり朝でございます(でも、4時半ぐらいにちょっとだけ目が覚めた。これが噂の「老人性早朝覚醒」ってやつ?)
慌てて支度して、またもや出勤。
明らかに、ぼくだけ丸一日抜けている。
7月になっていることを、すっかり忘れてあたふたしてしまった。
しっかり昨日から待機していたお仕事に半日遅れで取りかかり、結局本日も徹夜決定なわけです(学習しろよぉ〜/叱)
・・・二日連続で『どんなもんヤ!』は録音失敗するしさ(なんだあの甚だしい延長! 文化放送に文句言ってやる!/嘘。そんな勇気はございません)
そんなわけで、これからまたお仕事です。こんな生活があと4か月ほど続きます。
・・・KinKiちゃんたちのツアーと同じスパンかしら?(←嬉しいの?)
キミらもがんばれ。
おらもがんばる(一方通行的エール)
2008年07月01日(火) |
『道元の冒険』(Bunkamuraシアターコクーン) |
(14日深夜記す)恒例の週末頭痛はするし、口唇炎はできるしで散々なのだが、このままだとどんどんブログの意味がなくなっていくので、できる限り更新します。
2週間ぶりに、またもやコクーンへ見参。
ロビーの雰囲気ががらっと変わっていることに「色即是空」を体感しつつ(←嘘だろ)厳かな心持ちで鑑賞いたしました(そんな重たい作品ではないですよ?)
井上ひさし×蜷川幸雄 at シアターコクーン第三弾ということで、前二作(両方ともちゃんと観させてもらってます)『天保十二年のシェイクスピア』『藪原検校』との完全姉妹作な造り。
ただし今作では音楽担当者が宇崎竜童から伊藤ヨタロウに変わっていたのだが、正直それに起因する「変化」は、あまり感じられなかった。
内容は、曹洞宗の開祖・道元禅師の半生をミュージカルタッチで描きつつ、現代(ただし、改作されてはいたが、中身的にはやはり井上がこの戯曲を著わした当時の「現代」つまり1970年代初頭)の社会情勢とリンクさせたラジカルさを持っている。
禅宗の坊さんの半生などという、抹香臭いというか、よほどマニア(何の?←あとで出てきます)でもないと興味持てないような題材を取り上げてしまうあたり、井上ひさしという人の芸術的体力を実感するわけだが(それこそ、70代の“今”じゃなく、30代の時にこういう題材を書いた、という意味で)
実を言うと、ぼくの実家の檀那寺が曹洞宗なので、昔から道元さんには少々親しみがあった。
ヘンな話だが、寺がくれる道徳の副読本みたいなパンフレットが家の仏壇に置いてあって、活字中毒だったぼくは、信仰心とは全く関係なくそういうものを熟読するクセがあったので、中国に留学(?)中の道元クンと椎茸坊主のエピソードなどを、なぜか昔から知ってたりしたのである。
だから、この作品の主題に対するアレルギーとかは別になかったのだが、実際観てみて、正直「思ったほど面白くない」と思ってしまった。
井上×ニナガワに対して、何と無礼な、傲慢な感想かと言われればそうかもしれないが、実のところ、観てて一番ストレスを感じたのが、“音楽の入り方がカッコ良くない”という点にだった。
(つまりナニ? 井上×ニナガワではなくて、伊藤ヨタロウに対する批判か?)
いや、そうとばかりも言えなくて、実を言うと、前二作も、「音楽が、何だか“いまいち”」という感想を抱いた。
特に『天保十二年〜』の時は、以前いのうえひでのり演出、岡崎司音楽のものを観てしまっていたので、なおさら作品全体を貫くリズム感(役者たちの“演技リズム感”も含めて)の違いに、いちいちストレスを感じてしまっていたのである。
宇崎竜童や伊藤ヨタロウのリズム感を「なんか、ダサくね?」と思ってしまうとは、いかにも音楽偏差値の低い人間の感想かもしれないのだが(好きな洋楽も、70年代ハードロック→リズム&ブルース止まりで、そのルーツである黒人ブルースやジャズまで辿り着けてないという事実がある)、事実そう思ったので正直に書いておく。
ちょっと話が大きくなる。
今、こんだけミュージカル上演がさかんになっている現代の日本演劇界であるが、その実、上演され人気を博しているのはほとんどが外国製ミュージカルの翻訳物であり、正真正銘“日本人作家”と“日本人作曲家”と“日本人演出家”と“日本人俳優”による、純日本製ミュージカル(詭弁だが、この場合宝塚歌劇団や劇団四季のオリジナル作品は除く)の成功作がほとんど見られない以上、日本は未だ「ミュージカル後進国」だと思っている。
だけど、噂に聴く(観たことないから)『日本人のへそ』(1969年初演の井上ひさし作品)は、それこそ、宮本亜門の『アイ・ガット・マーマン』よりも、自由劇場の『上海バンスキング』よりもずっと前に上演され、傑作の名高い「日本初の和製ミュージカル」だという。
これを、是非、観てみたいものだ。
と、思ってたら、(プログラムによると)蜷川は、『日本人のへそ』を上演したいと切望していたらしい。
劇場側の諸事情で『道元の冒険』(と、秋に上演される『表裏源内蛙合戦』)になってしまったそうだ。
何だかすごく残念に思うと同時に、結局『日本人のへそ』もこの調子で上演されるのだとしたら、(都合により中略)と思ってしまっ(もごもご)
何より一番理解しがたいのは、これらの「井上ミュージカル作品」に対する考え方が、制作者側(作者ご本人も含めて)と受け手のぼくたちとは全然違っていて、一般的に考えられる「ミュージカル」とは、全然思ってないのではないかというフシがあるところだ。
というのも、「ミュージカル」という時には、何よりも大切なのは「ナンバー」であり、それらの楽曲が徹頭徹尾大事に扱われるのが当然というか通常のミュージカルオタクの考えなのだが、井上ミュージカル作品では、何と、上演されるたびに「作曲担当者」(当然、ナンバーも)が変わっちゃうのである。
つまり、「この曲」ってのが、残らないのである(その代わり、“歌詞”はすごく大事にされ、一字一句変化せずに残される)
「ナンバー」が大切にされていないので、当然、歌い手も「歌唱力」を重視されない。
今回『道元の冒険』を観ながら一番不満に思ったのも実はこの点で、出演者たちは明らかに「言語的及び身体的演技力」だけを重視され、「歌唱力」にはほとんど重きを置かれていないキャスティングだった。
これは、蜷川(及び製作陣)が、この作品を「ミュージカル」だとは全く捉えていない証拠である(まぁ、『覇王別姫』(この作品に関するてくてく感想はコチラ)なんか観てても、蜷川作品では何が重要視され、何が軽視されているかだいたい判るので、今さらこんな文句を言うのもおかしいのだが)
だが、行きがかり上とはいえ(いや、違うだろう! 言い過ぎだろお前)「詞」を「曲」に乗せて提供している限りは、「言葉」を話す説得力と少なくとも同等以上に「曲」を表現する歌唱力の持ち主に、「曲」を歌わせてほしい。それが観客に対する礼儀ではないのか、と強く抗議したい気分である。
台本に書かれたセリフを、教科書の朗読みたいにただ「間違えずに読める」だけのヤツを俳優とは言わないように、歌を、ただ楽譜から“あんまり”ズレずに歌えるだけのヤツを歌手とは言わない(あれ? なんか、すごーく話が大きくなってきた気が)
何のために、メロディを、リズムをつけるのか。
歌詞の内容を、より直截的に観客に伝えるためだろう。
歌詞そのものの「辞書的な意味」だけでなく、その言葉の持つ響きによって、作者が観客に与えたい感情を、さらに増幅するためだろう。
そんなことを全体的に思いながら観てしまった。
ただし、これ以外の部分では(それこそ、言語的、身体的演技力に相当優れた俳優たちによって演じられたので)、かなり満足のいく部分も多々あった。
キャスト陣は(歌唱力はともかく/クドい)皆実力派で、特に、木場勝己の存在は、それこそ「大船に乗ったような」気分でいられる安心感があった。
彼が中心となって回る場面は、とにかくどれもこれも面白かった。
“芝居力(しばいぢから)”で言うと、やっぱりフィールドの違いからなのか、阿部寛、栗山千明、横山めぐみの三人のパワーが弱めに感じられた(これは、ぼくのいつもの偏見かもしれないが、とにかく、映像畑の方たちは、「声」が聞こえねーんだよ、舞台に出ると)
阿部寛は、確かに背のでかさという点では迫力があるのだが、意外とテレビドラマに出ている時に感じる「迫力」や「濃さ」が、後ろの方の客席にまで届いてこなかった。
前の方の席で観たら良かったのかもしれないが。
栗山千明は、最初、彼女だと全然判らないで観てた。だからむしろ偏見なしで観れてたと思うのだが、最初はどこにいるのか判らん感じだった(まあ・・・他のキャストが濃すぎるってのもあったんだけど)
だが、少年道元が、絵に描いたような美少年で、花丸(←ショタ?)(−−;)黙れ
横山めぐみは、なぜかすごく山本カナコに似ていた。正覚尼が、いつも山本カナコが演ってるような役だったからかな(コラ)
なんか、散々好き放題書いてきたが、やはりラストシーンの「わー!」感(なんのこっちゃ)はニナガワ独自のものだったし、墨衣の坊さんが10人も舞台をうろうろしてる絵は、何かフェティッシュ(は、ここでやっと何「マニア」かが明かされました)で、けっこうなものでございました。
しかしなんですね、人は何故に坊さん(洋の東西を問わず)と軍人という、ある種両極端な職業に同じようなフェティシズムを感じるのでしょうか?(え? ぼくだけ?)
禁欲的だから?
はたまた、どっちの職業も、「死」に関わりが深いから?
そんなんどうでもいいですけど(こら)
井上戯曲の深遠さ(もちろん、言語的面白さも含めて)には、文句の付けようはなく(多少の古さを感じたのは、書かれた年代もあるので、完全許容)
実は、宗教者たちの権力闘争を背景にしている点や、ある男の人生が、もう一人の男の夢であり、またその逆もという枠組み(それが次第に浸食し合っていくところも含めて)が『火の鳥−太陽編−』にすごく似ているところが気になったのだが、成立年を調べると、『道元の冒険』の方が先のようである。
手塚治虫がこの戯曲を知っていたのかどうかは定かではない(もちろん、単純にパクったとはとうてい認定できないほど、『火の鳥』自体、ストーリーは独創的であるし、オリジナリティという点でも秀でている)
天才ってのは、似たところに目線が届くものなのかもしれない。
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