幕夕(まくゆう)の海外旅行日記
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2001年05月19日(土) 35歳 ローマ→飛行機

 旅行会社で航空券の申し込みをしたとき、ローマ―パリのフライトを最初申し込んだものより早い時間に変更した。そのため、パリでゆっくり買い物できた。やはり早めたのは正解だった。



2001年05月18日(金) 35歳 ローマ(日帰りでバチカンへ)

 バチカン美術館は作品はすばらしいのだが、団体の観光客が多すぎて閉口してしまう。もっとも、システィーナ礼拝堂とラファエッロの間に固まっていて、ほかの所にはほとんどいない。
 ローマで帽子とお菓子を買って帰ろうと思って探したが、帽子屋も菓子屋も結局見つからなかった。
 現在は遺跡でしかないコロッセオより現在も実用に使われているアルルの闘技場のほうがいいかな。
 ピザと野菜だけでけっこうおなかいっぱいになった。
 ヒルトンの浴室の壁についている水道のコックを回したら、いきなり取れてお湯がすごい勢いで噴き出した。もちろん私の責任ではないので、損害賠償などはする必要がないが、浴室と付近の床は水浸し。



2001年05月17日(木) 35歳 ジェノバ→ローマ

 ユーロスター・イタリアは横幅は新幹線より狭く、それほど速いとはいえない。
 ローマの建物のスケールの大きさには圧倒される。ポポロ広場、ベネチア広場、サン・ピエトロ広場などすべて。これらに比べれば、トレビの泉など狭苦しい所に観光客がわんさかいて1度行けば十分。
 ローマも飲食店はあまり多くない。やっと見つけたレストランは客がほとんどいなくて、ウェイターも不愛想だった。



2001年05月16日(水) 35歳 カーニュ・シュル・メール→ジェノバ

 国際電話と両替がうまくできてよかった。
 フランスからイタリアに入ると、急に街が薄汚れた感じになった。列車も同様で、やはり国が違うとすべて変わってしまう。
 イタリア語は言いやすいし、聴きやすいから楽だ。
 ジェノバの街は至る所工事中だ。飲食店が意外なほど少ない。
 イタリアでの最初の夕食でいきなり注文をまちがえられた。
 まだイタリアの魅力がよくわからない。ローマに期待しよう。



2001年05月15日(火) 35歳 エクス・アン・プロバンス→カーニュ・シュル・メール

 カンヌはめちゃくちゃ込んではいなかったが、華やかな祭りの雰囲気だった。行きつけのマッサージ師の人がとても映画好きなので、いっしょに来たかった。スターが通るらしい所に見物客がいたが、自分は見てもわからないのが、残念。
 カーニュ・シュル・メールは観光案内所が駅から遠くて不便。シャトル・バスも降りる場所がわからない。でもホテルは最高。部屋からの眺めもレストランもエレベーターも部屋の広さも家具も。今回の旅行でいちばん高いホテルだから当然だが。



2001年05月14日(月) 35歳 アルル→エクス・アン・プロバンス

 アルルの銀行は月曜日も休み。使えないなあ。
 マルセイユでの列車の接続はよかった。
 エクス・アン・プロバンスは都会的で洗練されていて、もっと滞在していたい。ベルンやサンフランシスコのような感じ。
 サン・ソブール大聖堂は観光の名所というよりは教会そのものだから、異教徒の入る所ではない。
 セザンヌのアトリエは意外に遠かった。りんごやたまねぎは新しいものを置いているのだろう。



2001年05月13日(日) 35歳 アルル

 ゆうべのパスティスとワインのせいで今朝はしっかり二日酔いだった。パスティスは意外に強い。
 トラベラーズ・チェックではお釣りがもらえないそうだ。日曜日は銀行が開いてないし、フランスではけっこう不便だ。
 観光はスムーズにいった。円形闘技場に韓国人がいた。午後何かのイベントをやっていた。
 今日の夕食は昨日とは違って洗練されてはいないが、フランスの庶民の食事という感じ。



2001年05月12日(土) 35歳 飛行機→アルル

 アビニョンで1時間ぐらい時間があったので、法王庁宮殿まで行った。
 今日はバスに振り回された日だった。フォンビエイユ行きのバス乗り場がわからなくて、2:30のバスに乗り損なった。フォンビエイユではバス停が移転したという告知がはってあって、ドーデの風車小屋を見るどころではなかった。
 夕食はさすがにおいしく、サービスもよかった。




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