1991年08月13日(火) |
25歳 パリ→飛行機 |
旅の最後が最悪になってしまった。機内預けの荷物の中から現金を抜き取られたのだ。英国航空かヴァージンアトランティックかはわからない。結局、空港の職員にも泥棒はいると思えということだろう。そして、これがヨーロッパの現実なのだ。 機内では特に何もない。いろいろ考えてたのだが、最後の盗難事件でどこかに吹っ飛んでしまった。
ついに最後の夜が来た。ヨーロッパとも今日でお別れ。すばらしい旅だった。 ルーブルはやっぱりすごい。もともと美術館として建てられた物じゃないから、すごく豪華な所があるのだ。絵の大きさにも圧倒された。 今日行くまで、ポンピドゥー・センターは何の建物なのか知らなかった。現代芸術の総合センターなのだ。ルーブルとここを見ることでバランスが取れた。 トロカデロ広場にはまた来てしまった。やっぱりエッフェル塔は最高。 グランド・アルシュを見た感想。「よくこんなもの作ったな。」しかもシャンゼリゼ通りからまっすぐ進んだ所に立っているのだから、改めてフランスのすごさを感じてしまう。 最後の夜はモンマルトル。やっとサクレ・クールの前に来た。ここも結構高い位置にあるのだ。最後のレストランでもバーでもシャンソンが流れていた。クライマックスにふさわしい。やっぱり僕はフランスとパリが好きだ。
1991年08月11日(日) |
25歳 ニーム→パリ |
TGVに乗るのはこれで二回め。リヨンを過ぎてから、ぐんとスピードを出す。 ホテル選びはちょっと失敗したかもしれない。はっきり言ってぼろい部屋。でも夜しかいないんだから、別にいいが。 パリは確かに絵になる街。今まで大都市というのはあまり好きではなかったが、ここぐらい魅力的なら許せる。至る所に噴水があるし、凱旋門もエッフェル塔もとにかく絵になるのだ。 暗くなるのが遅いので、ついつい遅くまで歩き続けてしまい、疲れてしまった。地下鉄が不便なのが不満である。
1991年08月10日(土) |
25歳 マルセイユ→ニーム |
ニームは相当田舎かと思ったら、結構住みやすそうな町だ。ホテルもなかなか気に入った。典型的なプロバンスの田舎町という感じ。 バス乗り場に行ったが、どのバスに乗ればいいのか、わけがわからない。先に市内を見ることにした。 結局今日は一日ローマの遺跡を見て回ったことになる。ここはイタリアではないが、確かにローマの都市だったのだ。闘技場は現在も使われているらしい。 バスの本数が少なくて、本当に行けるかどうか不安だったが、ポン・デュ・ガールにも行けた。よく一番上を歩いたもんだと思う。手すりも何もないんだから、落ちたらアウトだ。しかし、やっぱりローマ人もすごい。 今日の夕食は「典型的なニーム風料理」。魚のソースをかけたパイがおいしかったが、あまりオリーブ油とハーブは使ってなかったようだ。
1991年08月09日(金) |
25歳 ニース→マルセイユ |
マルセイユは確かに大きな町だが、近代的な都会というのではない。人口は多いのだが、生活のにおいがする。貧困を感じさせる所だ。また、夜は確かに危ないと思う。 この旅で、キリスト教文化圏に来ていることを感じたのは、ノートルダム・ド・ラ・ギャルドに行った時が初めてだった。フランス人はキリスト教徒なのだ。改めて実感した。聖堂の中は日本の寺や神社のようなもの、街の眺めは日本の城からの眺めのようなものというべきか。しかし、プロバンスの屋根はどれも同じ赤茶色をしているのだ。 ブイヤベースは期待通りだった。実は食べる時、失敗してしまった。スープをかけてもらうまで待たなければならなかったのに、すぐに食べ始めてしまったのだ。
1991年08月08日(木) |
25歳 列車→ニース |
いよいよコート・ダジュール。旅も後半に入ってきた。列車から見える地中海はすばらしい。 ホテルを予約してもらう時、予算110フランと言ったら、大学の寮を紹介された。チェック・インは三時からとのことなので、海岸を見に行く。 プロムナード・デザングレは期待通り。海岸の反対側には豪華なホテルがずらっと並ぶ。ネグレスコもすごいが、他のホテルも負けてはいない。Tシャツと雑誌を買った。昼はマクドナルド。他の店はばか高い。アイス・コーヒーを頼んだつもりだったが、ホット・コーヒーが出て来た。 やっとチェック・インを済ませ、海水浴に行く。地中海の水はやっぱりきれい。海水浴よりも浜辺でトランプをしているおじさんがおもしろかった。 ニースでは何としてもニース風サラダを食べたい。食べてみると、ボリュームのあるツナ・サラダという感じ。ちょっと辛かった。 ここまで来たからにはモンテカルロへ行くしかない。カジノは駅から遠くてわかりにくかった。豪華な宮殿の大広間にルーレットが置いてある。賭け金の最少額が20フランなので、すぐ終わってしまう。結局80フランの損。 駅に着くと電車が出たばかりで、次の電車は一時間以上あと。結局ホテルに帰り着いたのは0:30。冷汗ものだった。
1991年08月07日(水) |
25歳 ベルン→列車 |
ベルンの街は典型的な中世ヨーロッパという感じ。街中に泉がある。熊公園まで行ってきた。街頭チェスをやっていたおじさんに日本語で話しかけられた。大伴家持の短歌を教えてあげた。帰国したら手紙を書こう。 ローザンヌは坂の多い街。大聖堂まで登って行った。途中、ケバブの昼食を食べたが、オレンジ・ジュースと合わせて11フラン。意外と高くついてしまう。でも、トマトと桃はとてもおいしかった。 モントルーはレマン湖畔の高級リゾート。水泳や日光浴ができる。シヨン城は遠すぎるのであきらめ、途中まで湖岸沿いに歩くことにした。ベンチで松葉杖をついたおばあさんに話しかけられた。日本のことなど話した。 今日は大噴水は上がってなかった。英国公園で花時計を探すのに一苦労。最後の食事をして、40サンチームしか残らなかった。やはりスイスは食べ物が高い。 でもスイス人は本当に親切で友好的。こういう国に暮らしているからそうなるのか、それともレベルの高い人々がこんなすばらしい国を作るのか。
いよいよフランス語の世界。期待と不安が入り混じってる。 ディエップからパリまでイギリスに留学している日本人といっしょに行った。 リヨン駅の構造はかなりわかりにくい。標示もわかりにくいし、設備も充実してない。でもロンドンよりは洗練されている。黒人の店員もすてきだった。 TGVの中は睡眠時間。一番速い区間はずっと寝ていた。日本と違い、窓の外の景色にはほとんど人工の物が見当たらない。 ジュネーブ駅ではクシェットの予約でずいぶん待たされた。どこかのおじさんが延々20分以上もかけて切符を買っていた。 ジュネーブは結構暑かったが、美しい町。建物の屋根にはスイスの国旗がはためいていた。レマン湖へ行く途中で老人に話しかけられた。「日本人はとてもエネルギッシュ」、「人間の価値」というようなことを言っていた。 大噴水はすごい。でも、列車から見えるレマン湖はもっといい。 ベルン駅は設備がよく、わかりやすかったが、公衆電話をかけるのに手間取った。また雑誌を買ってしまった。 以前いっしょに日本語の教え方を習った人が、今ベルンに住んでいて、今夜はその人の家に泊めてもらった。チーズ・フォンデュをごちそうになる。本当は冬の食べ物だそうだ。ワインの酔いも手伝い、食べ終わるとすぐ寝てしまった。
1991年08月05日(月) |
25歳 エディンバラ→船 |
エディンバラは本当に魅力的な所だ。ホーリルード宮殿はスコットランド王国の宮殿。ウェイバリー・ショッピング・センターはとても洗練された所。日本のショッピング・センターみたいで居心地がいい。また、やっとフィッシュ・アンド・チップスが食べられた。とてもいい味。 セント・ポール寺院は大したことなかったが、ビッグ・ベンはさすがロンドン。ビクトリア駅まで歩いてしまった。 ニューヘイブン・ハーバーで降りそこなった。次の駅は無人駅。猫が遊んでいた。かえってよかったかもしれない。ニューヘイブンでは何もすることがなかったから。 ニューヘイブンは何もない所。ただ、トイレの中にコンドームの自動販売機があった。1ポンド吸い込んだまま、何も出て来なかった!(プンプン)
1991年08月04日(日) |
25歳 ロンドン→エディンバラ |
エディンバラに来て、やっとヨーロッパに来たんだという感じがした。ロンドンはかなりアメリカ化していると思う。エディンバラは「魔女の宅急便」のコリコの町そのもの。本当にカモメが飛んでいる。 レストラン・ブリッジズのウェイター、ウェイトレスもよかった。こういう所でなら、何度も食事をしたいし、チップも弾みたくなるもの。
一日歩いて疲れた。ロンドンは緊張する町だと思う。黒人の数が意外に多いせいかもしれない。 大英博物館……よくまあ、こんなにエジプトやギリシャから持って来たものだと思う。でも、これがロンドンにあること自体、近代史を象徴していると言える。ヨーロッパの古代の展示も充実している。ケルト人やアングロ・サクソンの遺物など。
1991年08月02日(金) |
25歳 静岡→ロンドン |
本当にロンドンに到着した。嘘みたいだ。第一印象はどこの都市も基本は同じだということ。東京との違いを予想して来たので、逆に同じところが目についた。 他の日本人旅行者を見ていると、何も知らずに海外に来ている人が多いことに気づく。とても危ないと思う。京成スカイライナーで一緒だった四人組は論外として、ホテルまで一緒に来た四人も、イギリスの通貨のことを何も知らなかったらしい。私がいなかったら、ホテルに着くのも一苦労だった。 観光旅行にはスーツケースは合わないとつくづく感じた。明日以降、あの人たちはどうするのだろう。
|