ukatanka
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なぜ、なんのために短歌を詠んでいるのか。 →自分のため。感情や思考や出来事をコンパクトにかたちにするため。
だったし今もそうなんだけど、ひとりでこつこつやっていても張り合いがない。というか、意味を見出せなくなることがある。 だから見てもらう場を求める。
見てもらえる場に出したとしても、反応がなければ見てもらえるのかわからない。 したがって「目に見える反応をもらえたら嬉しいな」という気持ちになる。 承認欲求と言われればそうなのかな。そうなのかもしれないな。そのあたりの考え方や思いは人それぞれだろう。 これが承認欲求だとして、承認欲求を満たすことに否定的な意見をたまに見るが、よくわからない。 読んでもらえて、何かを感じてもらえたら嬉しい。それがいいものだともっと嬉しい。反応をもらえたら更に嬉しい。だから私もTwitterでは素直に♡を押す。いいなと感じた歌や日々に、話しているようにぽんぽんいいねを押す。
ほぼ毎日短歌をつぶやいていて、ほぼ毎日♡をくれる方々がいる。 私は、小説でも芸術作品でも、ひとりが生み出した複数のもの全てが好き、ということはまずない。大好きな作家でも、そんなに好きだとは感じない作品はある。 だから、毎日♡をくれなくてもいい、本当に琴線に触れた時だけでいいのにな、と申し訳ないような気持ちでいた。 でもそのうち、短歌を続けることへのねぎらいや応援、お疲れさまの気持ちなのかなと思えてきて、支えられている。
私の歌を好きだと言ってくださる方もいる。とても嬉しい。 調子の良くない時は、申し訳ないとも思う。
ここで冒頭の話に戻る。 なぜ、なんのために短歌を詠んでいるのか。 自分のためのはずのに、ひとのためという気持ちも混ざってはいないか(いる) それがどう表現に作用するかが肝心なところだと思う。
好きなことを好きな言葉で読むのは大前提だ。 しかし、読んでもらえる場に出すからには、伝わらないと意味がないのではという気持ちがよぎることがある。 それで表現に迷うこともある。が、結局は自分にしっくりくるようにする。 見失いたくないなと思う。
調子が一定でなく、いつも思うように詠めるわけではないことなどにも言及したかったけれど、今日はここまで。
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