2022年08月13日(土) |
台風のせいだろうか、早朝の東の空が燃え上がる。鮮やかなピンク色、そして黄金色。言葉にしてしまったらそんな簡単な言葉にしかならないのだけれども、そのピンクや黄金色は、これでもかというほど燃え上がり、ゆらゆらと燃え上がり、一瞬一瞬様子を変えた。見事な天空ショーだった。
そんなふうに始まった朝、整骨院に出掛ける日でもあり、いつもなら自転車でひょいっと駅まで走るのだが、さすがに今日はバスで出かける。雨が強まったりやんだり。落ち着かない様子の中、バスから電車に乗り換える。それなりに混んでいた気がするのだけれど、それ以上のことをもう思い出せない。整骨院に行った、ということはうなずけるのだが、それ以上のことを思い出せない。
ぼんやりと思い出せるのは、息子と一緒に近所のスーパーに卵を買いにでかけたその道中の様子の一部。私がついさっきまでの家人とのやりとりでかっかしていると、息子が「だよねー、僕もそう思う!」としきりにうなずいてきて、その頷き方につい笑ってしまった。
「私だって忘れちゃうわよ」と先日Yさんがそう言いながらからからと笑っていた。言いたいことは何となく分かるから、だから言い返しもせず、黙って聞いていたけれど、本当は、本当は、言い返したかった。あんたに何が分かる、と。
うまく言えないけど。ただ忘れてしまうことと、病気の症状として忘れてしまうこととは、やはり、根本的に違う気がする。彼女が私を励ます為に「私もしょっちゅう物忘れあって、あーって思うよ」との言葉も、「忘れちゃうことなんてたいしたことじゃないよ」と彼女がニコニコ笑いながら言うその言葉も。とてもよく分かる気がする。 でも。 そうじゃないのだ。私が絶望するのは、そこ、じゃないのだ。
私の「忘れる」「失う」には、解離が伴っていて、「忘れる」「失う」ということは、そのままそれだけの分量の解離をしていた、という証明でもあり。
解離なんて無縁、というひとたちから見たら、はてなマークが何百何千と頭の中跳ねまわるだろうけれど、でも、解離を生きている人間からしたら、この、頻繁に起こる解離は、絶望を招くのだ。
ああやっぱり、うまく言えない、言い表せない。まだ言葉にするには十分じゃない。それがなおさら、苛立ちとなって私に食って掛かって来る。
とりあえず深呼吸してみる。無駄でも何でもいい、とりあえずひとつ深呼吸。 |
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