ささやかな日々

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2022年05月10日(火) 
渦巻くような雲が空を覆っていた。東空にぱっくり割れ目があり、そこから光が漏れていた。今朝のこと。確か今朝のこと。でも、今それを思い出そうとすると、とてつもなく昔の光景のように感じられる。
息子に朝食を作り、洗濯をし、植木に水やりをして、あっという間に朝は過ぎたと思う。息子に何度も、あと何分で出る時間だよ!と言われた記憶がある。私がぼんやりしていたから。世界が遠くて、何もかもが遠くて。息子の声さえもが遥か彼方から降って来るかのように遠かった。
そういう時は必ず、降りるべき駅で降り損ねる。出口に向かってひとが流れてゆくのをぼおっと見送ってしまい、自分が降りることを忘れてしまう。そして扉が閉まってしばらくしてから我に返るのだ。
時間、間に合うかしらと時計を見ながら逆算する。たぶんぎりぎりだけれど予約した時刻には間に合うはず。階段を駆け上がり、逆方向に電車に乗り込む。
二十日ぶりに先生の施術を受ける。先生の指が痛みを浮かび上がらせる。そこまで痛いつもりはなかったのに、要所要所で思い切り「痛い!」と声を上げてしまう。でも先生の指は一度痛みの箇所を見出すと絶対逸れない。しつこくそこに留まって、痛みのしこりを解し終えるまでそれは続く。頭部もずいぶん浮腫んでいたようで、途中鉛の分厚い兜を被せられてるような鈍く重い痛みに襲われる。ああこれこの前もそうだったなと思い出す。きっと残っていたのだ、ずっと。あの時からずっと。
そんなこんなで、終わった時には私は汗だくになっていた。でも脚も腰も、頭も軽い。痛みが少ない状態がこんなに軽くて楽なものなのだと改めて思う。

やるべきことが幾つも溜まっている。書かなければならない原稿も、読みたくて買った本も、幾つも溜まっている。やらなくちゃ、と思うのにその一歩が出ない。集中力も途切れがちで、気が散って仕方がない。と、愚痴ばかりになってしまうこともまた、自己嫌悪を増幅させる。
帰り道、ホームに立ち、空を見上げる。薄水色の空がくっきりと広がっている。世界では白い光が乱反射して、眼を覆いたくなるほど眩しい。時々思う。確かに今私は世界の色をちゃんとカラーで認識できている。でも、本来の世界の姿は私にとっては色の洪水で、頭の芯がくらくらする。十数年モノクロの世界の住人だったからなのか、カラーのこの、あるべき世界の姿は、こちらが罪悪感を抱くほどに美しく眩しい。
ふと、昨日Yさんが描いていた太陽を思い出す。彼は一番最後にそれを描いた。他の箇所は色鉛筆の筆圧もうっすらなのに、その太陽だけはくっきりと強く、艶々と色塗られていた。いつかこんな人間に自分はなりたい、という願望というよりももはや強い意志がそこから感じられた。
今その太陽を思い出しながら空を見上げる。私の眼は太陽を捉えられないけれど、何だかあの、Yさんの描いた太陽がそこに、在る気がした。

夜、家族が寝てしまった後、自分の為だけに珈琲を淹れる。この間父が買って持たせてくれた珈琲を。いくらでも飲めてしまいそうなすっきりした後口のこの珈琲。もう、あと一回分しか残っていない。
飲みながら、一頁だけでもいい、本を読もう。好きな音楽をかけて、本を読もう。唯一ひとりを存分に楽しめる時間。
私の、贅沢。


浅岡忍 HOMEMAIL

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