ささやかな日々

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2022年03月30日(水) 
クリサンセマムが次々咲き乱れる。ベランダが日々賑わっている。ありがたいことだ。花が一輪咲いてくれるだけで、それだけで気持ちが救われる時というのがある。一輪どころか今は右を見ても左を見ても、花の姿がある。イフェイオン、ビオラ、宿根菫、アメリカンブルー。ただ、アメリカンブルーは葉の様子がやっぱりおかしい。近々母に訊いてみようか、何の病気なのか私では分からない。
ビオラの下に隠れて、葡萄の芽が小さな小さな本葉を出しているのだけれど、そこからいっこうに動く気配がない。頼むから枯れないで、と祈りながら、葉をそっと指の腹で撫でる。育て、育て。声を掛ける。先日植えたミモザ、大きな大きな、樽みたいに大きなプランターの中、元気そうな姿を見せてくれている。この子はこれからどんな成長を見せてくれるのだろう。
洗濯物がよく乾く。朝のうち雲が空を覆っていたけれど、いつのまにか陽光が降り注ぐ天気。

Pちゃんが教えてくれた。時効が来ると、時効成立の連絡は、紙きれ一枚なのだと。その日が来ると紙切れ一枚が送られてきて、時効が成立しました、とぽそぽそと書いてある。それですべてが終わるのだ、と。
Pちゃんの被害は、顔見知りからの被害である私のケースとは違って、見知らぬ人間からの暴行も加わっての事件だった。警察も動いてはくれた。でも結局、犯人は見つからずじまいで、時効が来た。
もし自分の事件がそんなふうに、紙切れ一枚で終わりを告げられたら、私はどうだったろう。考えても、想像さえ働かない。そのくらい、ショックだ。
でも。Pちゃんは、もうやれることはやった、終わった、と、ぼんやり思ったのだとか。その言葉に、掛けられる言葉何一つ思い浮かばなかった。

今日友人の案件が、不起訴処分の連絡が来た、と。嫌疑不十分で不起訴決定だと。友人が、連絡を呉れた。声は淡々としていたけれど、きっとしばらくしたら反動が来るんじゃなかろうか、と、そう思えるくらいの淡々さで。心配しても、いや、心配するくらいしかできなくて、彼女の声に相槌を打つくらいしかできなかった。
嫌疑不十分って何なんだろう。相手も加害を認めているのに、それでも嫌疑不十分って。まるで真っ暗な深い穴を見せられているような気がしてくる。底なしの穴。社会の不条理がこれでもかってくらい詰め込まれた穴。
「三年、よく頑張ったって自分に言ってあげたい」と。いや、本当によく耐えた、この三年。毎日が途方もなく長い一日だったろうに。越えるのがどれほどしんどかったろう、毎夜毎夜。明けない夜はないとよく言うけれど。そういう時は何処までも夜が続いていくんじゃないか、終わらないんじゃないかと思えるんだ。本当に。一日が永遠に続いて、何処までも続いて、終わりがないんじゃないか、って。恐ろしいほどの暗闇。
振り返れば、私にもそういう、越えることが難しい夜が幾つもあった。幾憶もの夜をそうして越えなくちゃならなかった。もう終わらないんじゃないか、夜明けはこないんじゃないかとそのたび思いながら、空をじっと見つめたものだった。あの川沿いの、10階の北側の部屋、リビングにぺたっと座り込んで、虚空をただ、じっと見つめる他できなかった日々。もう二度と戻りたくない、そんな、日々。

どうして被害を受けた人間が、そんな途方もない夜を幾つも、越えて生き延びなくてはならないのだろう。終わらない夜を幾つ越えれば、光溢れる穏やかな朝を迎えられるようになるというのだろう。加害側は、たとえば嫌疑不十分、不起訴、という結果を得れば、一段落つくんだろう。しかし被害側は? その場に取り残され、ただ、呆然と、過ぎ行く時やひとたちを呆然と、眺めるくらいしか、できない。
いつだって被害者は、その場に取り残される。
そうして、ひとりで、たったひとりでそこから、立ち上がり歩き始めなくてはならない。いつだって、そうだ。いやそんなことはない、差し伸べられる手だっていくつもあるだろう?とひとは言うかもしれない。確かにそれはそうだ。しかし。
歩き出すのは、いつだって、被害者その人、だ。
いくら手が差し伸べられようと、いくら声が掛かろうと、結局、その場から歩き出すのは、当事者本人でしか、ない。
当事者の人生を肩代わりしてくれるひとなど、どこにもいないのだから。


浅岡忍 HOMEMAIL

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