ささやかな日々

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2022年03月29日(火) 
去年だったか、派手に階段落ちしてしばらくした3月頃から通い続けている整骨院、今日もその日で。K先生の施術はとにかく痛い。痛い箇所を先生の指先がすぐ見つけ出す。先生の指の腹に眼でもついてるんじゃないかと思うくらい的確に見つけ出す。見つけ出してそして、そこを解しにかかる。最初から痛むのではなく、しばらくして痛みが浮き上がって来る感じなのだ。先生の指の眼が見つけ出した痛みが、先生の施術によって浮かび上がって来る、そんな感じ。今日も、右脇の筋や前腿、足の付根等、次から次に痛みが浮かび上がってきて、そのたび「痛い!」と声を上げてしまった。
でも先生の指はぎゅうぎゅう押しているわけじゃない。むしろちょっと触ってる程度なのだ。ただ、痛みが浮かび上がって来てるから私には猛烈に痛いように感じられるだけのこと。それが不思議でならない。
でも、施術が終わるとそれまで左右のバランスも完全に崩れて歪に歪んでいたラインが、まっすぐに矯正される。そして、それを維持するためのケアとしていくつかのストレッチを先生が教えてくれる。私は次回の診察までそれをせっせとこなす。その繰り返し。
最初ここに来た時にはふらふらだった。身体が悲鳴を上げていた。二日おきくらいに通わなければならないくらい酷い状態だった。それが一週間に一度になり、今は二週間に一度のペースになってきた。確実に自分の身体が軽くなっていくのが分かる。痛みでひぃひぃ言っていたのにいつのまにか言わなくなったし痛み止めを飲む頻度も格段に減った。身体のケアって大事なんだな、と、K先生が実際に私に示してくれた気がする。
たかが身体、されど身体。
被害に遭ってからというもの、心優先で突っ走ってきたところが私にはある。身体になんて構っていられなかった。そんな余裕はなかった。生きるか死ぬかの毎日だった。
でも、身体はその心の容れ器なのだと、頭では分かっていた。分かっていたが、余裕がなかったから身体を大事に扱う、ケアする、なんてできなかった。階段落ちして骨折し、あちこち強烈に打撲し、実際にずたぼろになってもうどうしようもなくなってはじめて、どうにかしないとと思えた。
頭で分かっていても、実際にそれを為すかどうかは、別なんだ。本当に。
この一年、怠け者の私が、K先生の出す宿題については少しだけやるようになった。先生の宿題=指定されたストレッチを為すと、調子がよくなると実感できたからだ。実感がなければ、ここでも挫けていたに違いない。そのくらい私の精神はメゲ易い。身体に関しては容易に放棄する面倒くさがりだ。たぶん先生もそれが分かっていたに違いない。絶対これこれをやれ!とは言わなかった。あまりやってない週も、先生は何食わぬ顔をして施術を淡々とこなしてくれた。
身体の痛みが少しずつ少しずつ軽減されていくのに従って、頭痛の頻度も減って来た。毎日のように襲われていた頭痛。もう頭痛がすることがデフォルトのようになっていた私。だから処方される鎮痛剤の量は半端なかった。友人が呆れるくらいの量や強い薬を毎日毎日飲んでいた。それが、この半年くらいの間に、週に2、3日頭痛がする程度にまで減って来た。長年つきあってきた頭痛だったのに。まさか自分が、鎮痛剤を飲まなくても大丈夫な日があり得るなんて、想像もしないくらいだったのに。
身体を一緒にケアしてくれるひとがいるって、本当にありがたいことなんだな、と今は思う。伴走者、みたいな感じだ。ともに走ってくれるひと。道を指示してくれるだけじゃなく、こちらの身体の声をいちはやく読み取って、それをさりげなく伝えてくれるひと。こんなありがたいことは、なかなかない。

身体は心を容れる容器。
分かってはいたけれど。大事に扱う気持ちになれなかった。身体なんて木端微塵になってしまえばいい、とあの日からずっと思っていた。ずっとずっとずっと。
被害に遭って、繰り返し凌辱されるという経験を経て、それでもそんな身体を愛せと言われたってそれは無理ってもんだ。とてもじゃないが愛せない。穢れてしまったことをいちいち思い出させる己の身体を憎みこそすれ、愛するなんてできなかった。
でも。
身体があったから、私はリストカットを繰り返し、そして夜を越えてこれた。身体があったから、娘息子をこの世に産み出すこともできた。身体があったから、会いたいひとにも会ってここまで来た。身体が無ければ何一つ、できなかった。
いや、分かっている。頭ではずっと分かってた。ただ、身体=穢れ、としかどうしても思えなかったのだ。ずっとずっと、ずっと。
この身体さえなければ私はあんな被害に遭わずにすんだかもしれない、と思ってしまうから。
大きい胸、大きい尻、派手な顔の作り、そういったもの全て、嫌悪の対象だった。嫌悪、憎悪の。
そんな私自身からの嫌悪や憎悪を一身に引き受けて、それでも私の身体は生き延びて来た。相当忍耐強い奴なんだろうな、と想像する。そうでなければ、とっととあの世に逝っていたに違いない。
身体は心を容れる容器。だから、もういい加減、ケアしてあげよう。私は十分に歳を取った。私の嫌悪・憎悪を引き受けてくれていた身体も歳を取った。ここからは、私が、ちゃんとケアしてあげなくちゃいけない。死が私に訪れるその日まで、ちゃんとつきあっていけるように。

心も体も、どちらも大事なものだ、と、ちゃんと私が笑って言える日が来るように。


浅岡忍 HOMEMAIL

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