ささやかな日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2021年07月21日(水) 
日記をつけられない心持ちの時も、早朝の空の写真だけは続けていた。我ながら頑張ったと思う。
午前4時過ぎ、毎朝毎朝ベランダに出て、空を見つめ、そうして写真を撮る。自分が見ている空がそのままきれいに写真に再現出来ていたりするととても嬉しくて、同時にほっとした。大丈夫、私はまだやれる、とそう思った。
そんなふうに自分を励ましながら、日々過ごしていた気がする。

友が、根気強く私に話しかけてくれる。そのたび、ありがたいなあと思う。でも、ありがとうという言葉以外に浮かばなくて、結局ありがとうを伝えるので精いっぱいになってしまったり。
それでも時は容赦なく過ぎ往く。飛ぶように去って行く。ちょっと気を抜くと、「今」を逃してしまうから、必死に食らいついてゆく。

ラベンダーの一株が枯れてしまった。時々夏にやらかす、こういう失態。その隣のプランターでは菫が律義に咲いて、種を飛ばしている。挿し木した薔薇の枝も、半分近くダメにしてしまった。でも、花束でもらった紫陽花の挿し枝だけは、何とか保っている。このまま根付いてくれるといいのだけれど。

夏休み初日。息子と「竜とそばかすの姫」を観にゆく。映画を観る前にインターネット上での評判を見てしまって、そこに「内容詰め込み過ぎ!」とか「話が無理矢理っぽい」とか、読んでしまって後悔した。読まなきゃよかった、って。
でも、映画が始まったら、あっという間に引き込まれて、気づいたらぼろぼろ涙が零れていた。特に、主人公の女の子が歌を歌おうとするのに嘔吐してしまう場面や、自分のリアルの姿を晒す場面。身につまされて、思わずこぶしを握り締めていた。容赦なく涙が零れた。
映画が終わってから、帰り道息子と「もう一回観たいねー!よかったねー!」と言葉を交わしながら歩いた。
帰宅してインターネットをちょこっとだけ覗いた。相変わらず、正義の名を盾にして足の引っ張り合いが垣間見られて、胸がぎゅっとなった。意見を交わすのは大事、でも。もはや意見を戦わすだけなら、相手が潰れるまで相手を潰すまで意見を乱射するだけなら、インターネットなんて場は意味がなくなってしまうと思う。そもそもインターネットという場はなぜ生まれたんだろう。今その、純粋に、それが生まれた時のことを、思い出せるひとはどれだけいるだろう。

最近世間を賑わしている事柄を少し距離を置いて眺めていると、思うのだ。「今ここ」を十二分に生きてるひとってどれだけいるんだろう、って。そして、失敗しないで一生を貫けるひとなんて、果たしているんだろうか、って。
誰もが被害者に、同時に加害者に、なり得るこの世界において、被害者にも加害者にもならず、挫折もせず失敗もせず生きていけるひとなんて、本当にいるんだろうか。そして、一度被害者ないし加害者になってしまったら、生涯被害者/加害者と烙印を押されて生きていかなくちゃならないなんて、そんな社会、そんな世界、息苦しくないんだろうか。
少なくとも私は、息苦しい。


浅岡忍 HOMEMAIL

My追加