| 2021年05月16日(日) |
加害者プログラムに出席した土曜。瞬く間に終わった。一緒に参加してくれたCちゃんが突然ぼろっと「あなたすごい、ほんとに対話してるんだもん」と言うので逆に私がびっくりした。「だって対話しに来てるんだもん、当たり前じゃんね」と笑うと「私、躊躇うところがあったかも」と。 確かに。それが普通なのかもしれない。Cちゃんも一被害当事者。元がつこうと何だろうと目の前にいるのは加害者に他ならない。でも、私は、彼らと対話するためにここに来たし、ここにいる。そういう気持ちが私にはある。 設問の立て方がよかったのか、今回は活発な議論ができた。彼らがいつも繰り返し使う詫びの言葉が、登場する回数が少なくて済んだ。彼らの、使い古した詫びの言葉など別に聞きたくはない。そんなことより、今何を考えているのか思っているのかを知りたい。その為に来ている。 彼らは。謝罪の言葉を使い慣れ過ぎてしまっている。自分が加害者になった直後から、あらゆる場面で求められる言葉。だから仕方がないともいえるけれど、慣れてしまってはいけないと私は思う。それは違う、と。 そのことも今回伝えた。
帰宅すると、何と虫籠の天井に蛹がぶら下がっているではないか。え、何故どうして、こんな場所に、と、仰天する。一体どうやってここに彼は昇ったのか、どうやって糸を掛けたのか、あれやこれやはてな印が頭の中ぐるぐる廻って、でも、何だか可笑しくて笑ってしまった。ガンバレ蛹。 最初に蛹になった子は、無事蛹らしい形に変化している。こちらもぐんぐん変わっていっている。生きてるんだなあ、と思う。
生きることは、死ぬことに直結している。いかに生きるかはそのまま、いかに死ぬか、だ。潔く、笑って死にたいと思う。そう思うから、一瞬一瞬、今ここ、を十全に生きたい。その連なりこそが、納得のいく死に繋がると思うから。
このところ身体の痛みが半端ない。ぎしぎし痛む。頭痛も頻発している。負荷がかかりすぎてるんだろうなと思う。でも、今止まるわけにもいかない。
Nから連絡が来る。退院したこと、声も出るようになったこと。ごめんなさい、と。加害者と鉢合わせしてしまってから、ありとあらゆる周りの人が敵に思えるようになってしまったこと。その思いで頭が占領されてしまったこと等。 私と違って、彼女には加害者に対する憎悪と怒りとが、明確に、強烈に、在る。最初から。私はぼんやり、それを、羨ましいなと思ってきたところがある。でも、同時に、しんどいだろうな、とも。 Nがそれらから解放される日は果たして来るんだろうか。その為には、と考えると、私は言葉を失ってしまう。 被害者が怒りや憎しみから解放される日って、いつなんだろう? 私のように、それらを抱けなかった人間はさておいて。抱かざるを得なかった被害者たちは、それらを手放せる時って、本当に来るんだろうか。
しんどい、な。 |
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