ささやかな日々

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2021年05月08日(土) 
クロアゲハの幼虫を息子が学校から連れて帰ってきてからというもの、我が家のテーブルのど真ん中に虫籠が鎮座している。息子はことあるごとに虫籠を注視し、私に状況を報告してくる。「今みーちゃん(脱皮して緑色になった幼虫のこと)が僕のこと見た!」「黒助(まだ脱皮も済んでいない子のこと)がばくばく葉っぱ食べてる」「あ、うんちした!」。何から何まで報告してくる。
私は幼少期、母の庭に産み付けられたアゲハやクロアゲハの卵を段ボール箱に集めて、それを育てていたことがあった。弟と二人、やっぱり四六時中見つめていた。息子の今の姿を見ていると、その頃のことをありありと思い出す。
「ねぇ母ちゃん、この子寄生虫されてないかな、大丈夫かな」心配性の息子は脱皮したばかりのみーちゃんを指さして言う。「大丈夫だよ、黒助の頃からここに入って安全だったから」私は台所で洗い物をしながら彼に応じる。
みーちゃんがまだ黒助で、脱皮をするその瞬間を、私たちは見守った。それまでむしゃむしゃ葉を食べていたのが動かなくなり、じきにもぞもぞ、と身体をくねらせ、ゆっくりゆっくり脱皮した。母ちゃん、すごいね!すごいね!息子のその時の目の輝きは、100万ボルトと言っても過言じゃないくらいだった。考えてみれば彼にとって脱皮を見守るのは初めてのことだったかもしれない。なるほどなぁと彼の後頭部を見つめながら思う。今彼の頭の中ははじめてのことだらけでぐるぐる渦巻きができているに違いない。心の中はどきどきわくわくが溢れ返っているに違いない。そんなことを私は想像しながら、彼と虫籠をじっと見守った。
「母ちゃん、脱皮終わっても、全然動かない。食べない。どうしちゃったの?」
「ああ、脱皮はさ、すんごく疲れるんだよ、体力使うの。だから今休憩中なんだよ」
「ほんと?死んでない?」
「ほんと。全然大丈夫」
今、緑に脱皮した子は二匹。他十匹近く幼虫がいる。学校のみかんの樹にも幼虫はまだまだいて、おかげで葉っぱが全然足りない。「先生がこれ以上とるなって言うんだよ。どうすんだよ、この子たちのご飯」。息子が心配する。
考えた末、実家の母に電話をしてみる。かくかくしかじか、説明をすると、「この間キンカンの樹は剪定しちゃったけど、まぁいいわよ、少しならあるから」とのこと。明日息子とふたりで葉っぱを分けてもらいに行く予定。その間にも幼虫たちはせっせと葉っぱを喰らう。

Nが保護入院になり、連絡がとれないまま日が過ぎる。身体が痛い。心の痛みがそのまま身体の痛みとなって噴出している感じだ。テニスボールでいくらケアしても足りない。じんじん身体のあちこちが痛む。痺れる。
その一方で、私の眼の前、虫籠の中に命がたくさん在る。みな無心に蠢き、喰らい、眠る。命の営みが淡々とそこで行われている。
Nは今頃やっぱり、私がそうだったように、「生き残らさせられた」とい思っているかもしれない。生き残りたくなんてなかった、きれいさっぱり死にたかった、と思っているかもしれない。それでも。
私はあなたがせめて、生きて在ってくれて嬉しいよ。ねぇN、私はいつもここに在るから。忘れないで。


浅岡忍 HOMEMAIL

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