ささやかな日々

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2021年04月16日(金) 
通院日。朝からいらいらしてしまう。息子とやりあっているのを見かねた家人が、今日は早めにでかけたら?と提案してくれる。ありがたいのでいつもより1時間早く出掛けることにする。
道中本を読もうと努力したのだが、叶わず。もうこれは寝ろと言われているに違いないと空いた座席に急いで座り、眼を閉じる。脳内で気配がぐるぐる廻る。でも無理矢理眼を閉じ、見ないふり感じないふりをする。はっと気づいた時には自分が降りるべき駅を過ぎており。慌てて戻るという失態。何をやってるんだ自分は。
カウンセリングが始まり、カウンセラーと向き合う一時間。二週間前私が触れたことをカウンセラーにもう一度確かめ、その続きから始める。二週間に一度のカウンセリングのリズムにもだいぶ慣れてきた。覚えていられないのは仕方がない。だからカウンセラーに前回のカウンセリングの概略を、簡単に教えてもらう。はじめの頃はそれでも思い出せなかった。最近はだいぶ、沈んだ記憶を呼び出すことができるようになってきた。
「そういえば1997年、98年頃の日記を読み返したんです、そしたら私、結構憤ってることに気づいて。びっくりしました」
「そうなの? その頃はちゃんと怒ってたのね」
「怒ってたというか、どうして、何故、って繰り返し書いてありました。でもいつの頃からか私、麻痺してきたみたい」
「そうね、麻痺っていうか、もはや切り捨ててしか生き延びてこれなかったんでしょうね」
「そうかもしれない」
「そうすることで、何とかやりくりしてきたんでしょう」
カウンセラーと話しながら日記を思い出す。記憶は思い出せなくても読み返した日記は今覚えているから、何とか辿ることができる。
「憤るとかってエネルギー要りますよね。私、そういうのを持続できなかったみたい」
「エネルギー要りいますよ。それは大事なエネルギー」
「そうなのかも。でも私、長く保ってはいられなかった」
「生き延びる術だったのよ。悪いことじゃあない」
悪いことじゃ、ない。それは私なりに分かった。でも、怒りをうまく持てない為に、いや、思い出せない為に、私は、自分の被害にケリをつけることができないでいるんじゃないか、とも思えてしまったり、する。
「自分に加害行為をした直接の加害者に対してよりも、セカンドレイプ等してきた間接的な加害者への憤りの方がむしろ、私は大きかったような気配さえあるんです。当時の主治医は、ストックホルム症候群だと言っていました。加害者(直接の)が唯一の私の味方というか理解者というか、そんなふうに私は思っていたところさえあったような記述がありました」
「ストックホルム症候群、典型的なそれでしょうね。でも、あなたが受けた二次被害は、壮絶だったと私は思うわ。それを考えると、ストックホルム症候群に陥って当然だった気がしますよ」
「…」

私はやっぱり、自分自身を何より赦せないんだと思う。被害に遭ったことも、繰り返し凌辱されたことも、ストックホルム症候群に陥ったことも、これだけPTSDや解離の症状が酷く、また、長引いていることも。
自分が自分でなければ。こんなことにならなかったんじゃないのか、と、いつまでも自分を責めている。そんなの意味がないと、無意味でしかないと、頭では分かっているはずなのに。

帰宅すると、注文したプランターハンガーが届いており。くたくたに草臥れていたのだけれど設置してみることにする。コンボルブルスはもう茂っている。早く何とかしてやらないと。コンクリの、太い手摺に合わせ幅を調整し、ハンガーを設置する。コンボルブルスのプランターは大きく重い。よっこいしょ、と持ち上げてハンガーにはめ込む。その瞬間南風がびゅるりと強く吹き付けてきて、私の髪をぐわんと揺らす。髪の毛が、コンボルブルスの伸びた枝と一緒に揺れる。やっとコンボルブルスらしくなったな、なんて、ちょっと嬉しくなる。
それにしても。今日は草臥れた。思い出したくないことを自分からほじくったりすると、たいていこうなる。でも、それをしないと私は私を解けない。
ホワイトクリスマスの蕾がだいぶ大きく膨らんできた。ラベンダーの蕾はもうきっと数日のうちに開く。アメリカンブルーは植えたそばから花を開かせ始めている。植木を眺めているうちに気づいたら日がぽとり、地平線の下に堕ちて行った。ぽとり。まるで音が聞こえて来そうなくらいの呆気なさだった。


浅岡忍 HOMEMAIL

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