ささやかな日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2021年01月12日(火) 
珍しくマサラチャイを淹れる。二十代三十代の頃はよく淹れていた。濃いめに淹れるのがコツ。今日はジンジャーチャイとマサラチャイの茶葉をブレンドして淹れてみる。

記念日が近いせいだろう、あれやこれや要らないことを思い出す。たとえば、昔よくバスの中や電車の中でぶっ倒れていた時のこと。唐突に身体ががくがくしてきて、手すりに掴まっていても耐えられなくて結局後ろにばたんと倒れる。でも誰も助けてはくれない。声をかけてさえくれない。だから私はいつだってひとりで身体を持ち上げたんだ。
ペンを握る手もがくがく震えたものだった。あまりに震えが強すぎて字が書けない程のこともあったっけ。
副作用止めの薬を全部断ってみて、改めてそれらを思い出す。ああ、確かに私は、元気になっていっているのだな、と。でも、それらは健康な人たちから見たら「ない」も同じことで。みんながふつうにできることが今までできなくて、それが最近少しできるようになった、というだけで。つまり、そういうこと。

久しぶりにKちゃんから連絡がある。奥さんが乳がん再発だという。掛ける言葉が見つからなくてしばらく沈黙してしまう私。でも沈黙されても困るだろうと必死にあれやこれや言葉を繋いで声にしてみる。
そうして思うのは。うちは全員が癌で死んでいる。まさしく癌家系以外の何物でもない。父方にしても母方にしても、親戚はすべて癌。つまり、私も癌になる可能性がとても高いということ。なのだが、私はみんなみたいに治療に勤しみたいと思っていない。もし癌と分かっても、延命治療は断るだろう。祖母たちのように、薬漬けになってまで生きたいとはどうしてももう思えない。彼らの最期を私なりに知ってしまっているから。

生きて生まれた者は誰もが等しく、死ぬ。私もその一人だ。まごうことなき、それが真実。私もその、一人。


浅岡忍 HOMEMAIL

My追加