2020年11月25日(水) |
霧雨の朝。息子とトマトを収穫する。大事そうに息子が水で洗い、家人と私と息子とみんな一個ずつのトマトを食す。「甘いね」「肉厚だね」「美味しいね」。みんなそれぞれの言葉でトマトを評する。 クリサンセマム。季節外れに次々蕾を付けだした。すべてこぼれ種で育った子らだ。ベビーロマンティカのプランターはもはやクリサンセマムに占拠されてしまった。ベビーロマンティカは悲鳴を上げてるんじゃなかろうかと思うくらいに追いやられ、クリサンセマムがもりもり育っている。アメリカンブルーは枯れてしまった子もいるけれど、大部分は復活してくれた。葉が生き生きとしてきている。挿し木した子は何故か早々に花をつけ、今四つの花を咲かせてしまっている。ちょっと心配。ユリイカは一通り花を咲かせ終わったのか、今静かになっている。ホワイトクリスマスが代わりに次々新芽を噴き出させており、でも、ここ一週間続く強風に煽られ、葉が傷だらけだ。可哀想に。コガネムシの幼虫から救出したラベンダー、こちらもだいぶ息を吹き返してきた。このまま春を迎えられるといいのだけれど。
息子と孫にマスクを作った流れで、父母にも作って郵送する。数日後父から電話が入る。ぶっきらぼうな声で、でも「あれはお前が作ったのか?」「ちゃんとできてるじゃないか」なんて電話の向こうで言っている。ちゃんとできてるじゃないか、って、ちゃんとできるように作ったんだよと心の中笑ってしまった。もっとちゃんと褒められないのかしらんと思うのだが、父の性分、ひとを褒めるのが本当に下手で。「明日からこのマスクを使うから」と言って電話は切れた。母は母でLINEで「私用のマスクよりお父さんのマスクの方がいいから私そっち使うわ」と。本当にもう、この人たちは、まっすぐ褒めたり喜んだりするのがどうしてこうできない人たちなんだろうなあと苦笑する。
家人の展示が終わった。展示は終わったが、これからが写真集作りの本番だったりする。受注生産の手作り写真集、注文がすでに二十数部入っているから、早々に作り始めなければならない。おかげで部屋はとっちらかったまま。このまま年末を迎えるのかしらんと思い、ふと気づく。そういえば数年前の展示の後もこんな具合だったな、と。ということは、当分家人のぴりぴりモードは続くということか。そう考えるとちょっと憂鬱。
記憶がうまく続かないからか、私自身ちょっと苛ついている。解離が酷いせいだと分かってはいても、苛々する。苛ついたってどうしようもないことが分かっているのにそれでも苛々チリチリする。苛々チリチリする自分にまたさらに、苛つく。
ワンコの散歩に出掛けてしばらくすると、ふわあっと陽光が降り注がれ、辺りがふわりやわらかく輝いた。近くの学童の、子どもらの声がそこに響いて、まるでどこかのおとぎ話の中にいるかのようだった。 日常を日常として、丁寧に紡ぐこと。私は次々忘れていって失っていってしまうから、だからせめて「今ここ」をちゃんと生きること。自分にそう、言い聞かす。
ああ、もうそろそろ日が堕ちる頃だ。 |
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