ささやかな日々

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2020年11月17日(火) 
トマトが枝を撓らせている。その先にはいくつもの実がぎっしりぶらさがっており、その中の二個三個が橙色に色づき始めた。息子は「もう食べれる?いつ食べれる?!」と興奮気味。まだ赤くないでしょ、と繰り返し言い聞かす。
息子はいつも帰宅すると、玄関先でランドセルを放り出して、そのまま「いってきます!」と走り出してゆく。おかげでランドセルはもう傷だらけ。玄関の床も傷だらけ。でも、そんなふうに振る舞える彼が少し、私は羨ましかったりする。
私は子供の頃、身体が弱くて、年がら年中保健室にお世話になっている生徒だった。そんなだったから、帰宅しても誰かと遊ぶというのではなく、ひとりでリコーダーを吹いたりピアノを弾いたり、本を読んだりして過ごすことが多かった。転校も重なったせいがあったのかもしれないが、要するに、子どもらしい子どもではなかった。
同級生たちが一緒に野球をしたり、影踏み鬼に興じる様子を、出窓からぼんやり眺めていた。羨ましいという気持ちを押し殺し、私には似合わない光景なんだ、といつも自分に言い聞かせていた。そうでもしなければ、寂しさに押しつぶされそうな気がした。
私がそんな似合わない光景の一部になり得たのは、小学校4年生を過ぎた頃からだ。水泳を始めて、我武者羅に練習を重ね、大会に出場した。それと前後して何故か走るのが得意になりリレーの選手にも選ばれるようになった。それまで勉学でしか表彰されたことのなかった子が、いつのまにか文武両道になった。それまで私を小突いてからかっていた子たちが、いつのまにかにこにこ隣にいるようになった。
始まりがそんなだったから、私は自分に一切自信が持てなかった。みんな私の何を見ているんだろう、いったい私の何を知って今隣で笑っているんだろう。いつもそんなふうに、自分に対して疑心暗鬼だった。誰も本当の私を知ってはくれない。知らない。私はひとりぼっち。という感覚を、何処までも拭えずに歳を重ねた。
そんな私のもとに生まれた子供だのに、彼は本当に自由奔放だ。分からないことはしつこく分からないと訊ねてくるし、他人の都合や空気なんてこれっぽっちも読まない。とんでもないタイミングで疑問符をこちらに放り投げてきたりする。それに対して私や家人は時々猛烈にイライラさせられるのだけれども、でも、一方でそれは、彼の彼らしさの象徴であったりも、する。

新しい薬を処方されて、実はまだ飲めていない。飲んだら朝起きれないんじゃないか、使い物にならないんじゃないか、と、そんなことが怖くて飲むに飲めない。飲んだらもしかしたら、とても楽になるのかもしれない。睡眠も長くなって、私は元気になるのかもしれない。でももし、もしも逆だったら?
そう考えると、どうしても薬に手を伸ばせない。臆病な私。

家人の個展も残り一週間となった。毎日ギャラリーに詰めている家人は、さすがに疲労が拭えない様子。でも、個展を催せるだけ私たちはラッキーなんだよ、だから、もう少し踏ん張って、残り一週間、悔いのないよう過ごしてほしい。
ふと西の空を見やれば鴉の群れが。裏山に帰る前に必ず彼らは旋回する。何回も何回も空をぐるぐる回る。そうしていつの間にかいなくなるのだ。あと少しで日も堕ちる。


浅岡忍 HOMEMAIL

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