昼食に誰かを待つ日は

2019年12月14日(土) 鋭くなっ、

昨日の話。
担当編集していた本がようやく形になり、その本を抱えて五反田の某出版社のイベントに向かう。そこには数百人もの占い師や、占い研究家、某雑誌の編集長など様々な人がいて、そのなかで本を抱えて突っ立っている私は完全にアウェイであった。著者とともに挨拶回りをするのだが、体が固まって気の利いたことなど何も言えず、それでも本は全て渡すべき人には手渡った。イベントに集う人たちはかなり異質で会場の空気は濃く、何だか途中で本当に体が重くなってきて、周囲の声が、音が、あらゆるものが頭のなかでグニョグニョになって、気がどっかへ飛んでしまった。すると隣の女性が「今結構きてるでしょ。こんなに人が多いと気が遠くなるから、よかったらこれつけて」と、ピンク色の液体を手のひらに3粒のせてくれた。この液体をつけた手を、まるで香炉の煙を体にふりかけるようにして頭や体、足に手をかざすらしい。人の「気」を受けすぎてしまったときに効くのだそうだ。実際にやったら、本当に体が軽くなった。どうやらオーラソーマと言うものらしい。それで気がついたら一本1000円のそれを買っていて、いそいそとトイレに行き、綺麗な夜景を眺めながら(会場が17階だったため)、再びそれを使用した。この日、あらゆるひとに「ありがとうございます」と言われたのだが、私はお礼を言われるようなことは何もしていないので、なんだかその言葉を素直に受け取ることができなかったのかもしれない。イベントが終わった後、どっと疲れ、あまりにも疲れすぎて涙が出て、誰とも話せず、さっさと会場を後にし、五反田のエクセルオールで死んだようにタバコを吸っていた。
その後の電車の中でも涙が出てくる。恋人と銭湯にいく約束ではあったのだがとてもそんな気にはなれず、今日は一人でいたいと連絡をし、阿佐ヶ谷について、大きなクリスマスツリーの下に設置されているベンチに腰掛けて、腰掛けたまま何もできず、もう鼻水と涙を好きなだけ流して泣いていた。寒かった。そして自分は何もできないのに、何もできていないのに、ありがとうなどと言われて、なんでだろうなんでだろう、すべてどうしてなんでだろう、疑問は自分の存在意義の意味にまで達して、私って何もできないなあ、何もできないのになあ、などともうすべてに対し泣けてきて、ダメだった。久しぶりにそんな風な状態になってしまった。大勢の人間がいるところに身を置くと、身を置いているだけで何かが削れていく。
1時間くらい泣き続けて、ようやく帰ろうと帰り道を歩いて、あまりにも冷え切ってしまった体を温めるべくコンビニに寄って温かい紅茶を買った。そして扉を出ると、向こう側から恋人の姿が見えた。
「泣きっ面だ。甘いものでも食べよう」というので、またコンビニに行って、彼がガトーショコラみたいなものとティラミスを買うのを眺めて、そして部屋に帰った。
隣に座っても、何も言えず何もできない。ケーキを一口食べると、とても甘かった。
とても優しい言葉をかけてもらったことでたしかに気は楽になったけれど根本的な部分は何一つ解決されていなく、この人が眠ってしまった後で深夜3時間くらい、また一人で泣いていた。


そして今日。結局朝も泣いていて、何もできないまま彼が部屋を去るのを眺めていた。
でもその後はちゃんとできたと思う。このままじゃダメだと立ち上がり、掃除をし、スーパーに行き、菊地成孔の夜電波をきき、そしてだんだん元気が湧いてきて、豊洲に向かう。カヨちゃんと、ナンバーガールのライブを見た。その熱量に、エネルギーに、体が勝手に揺れて圧倒される。人が多いのに全く体が重くならないのは、皆が同じ熱を共有しているからで、バラバラじゃないから。「気」の先が目の前のナンバーガールに注がれているから。それが大変気持ち良かった。向井さんの頭を撫でたい、あの頭を撫でたい、と思いながら見てしまったのだけれども、なぜそんなことになっちゃったんだろうか。私、ライブ中に誰かの頭を撫でたいなどこれまで一度も思ったことないのに。あの叫び、あの叫び。かすかに死の匂いを感じるあの熱に、とてつもない色気を感じて夢中になった。中2の頃に私にナンバーガールを教えてくれたT。ありがとう。
帰りはカヨちゃんと帰って、高円寺でタイ料理を食べて家に帰ってきた。とても寒い日で、まだ目が腫れている。


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左岸 [MAIL]