てくてくミーハー道場

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2020年02月23日(日) 『二月大歌舞伎』昼の部(歌舞伎座)〈予告〉

「三連休ですが、不要不急の外出は控えるように」なんて職場からお達しが出てるんですが、そんならラッシュ電車に揺られての毎日の通勤の方をよほど控えたいと思ってますんですが。

職場への不平不満は置いといて、この外出は「必要」であると自己判断し、アルコール除菌ティッシュをしこたまバッグに忍ばせて外出をいたしました。

公演中止とかにならない限り出かけますよあたしゃ。この“自粛”を強制される空気、9年前にもいやというほど味わいましたからね。あれがどんなにストレスになったか。

ただし、「電気を無駄遣いするな」という空気は勝手ながら好きでした。夕方以降の薄暗い銀座の街はとてもムードが良かったと今でも思います。いつの間にかギンギンギラギラに戻っちゃったけどね。いつごろから戻ったんだっけ思い出せもしないけど。

ただ、照明に関しては、昔に比べて「使う電力量」が技術の進歩により劇的に削減できるようになってしまったので、「電気の節約=暗くする」ではなくなったことは知っとかなければなりません。現在の社会では、デンキは思いもかけないところに大量に消費されているので。

ん?こんな話するつもりじゃなかったのに。

とりあえず、

「今のぼくには、仁左様の菅丞相を観ることが圧倒的に必要なの!大事なの!不要不急とかとんでもない!」

と鼻息も荒く久しぶりの木挽町へと赴きました。

そもそも先月はお正月興行続々。“年一番の歌舞伎上演マンスリー”であったにもかかわらず、結局一本も観なかったという信じられないことをしときながら、今月はふと「観なきゃ」と強烈に思ったんです。これも「イベントごとが続々中止」というニュースにちょいとイラっとしてたせいだろう。天邪鬼ですな我ながら。





今月の昼の部は「菅原伝授手習鑑」の半通し。十三世片岡仁左衛門丈の二十七回忌追善興行なので、彼の当たり役であった菅丞相が中心となっている段で番付が組まれています。

ぼくは十三世の菅公には間に合っていなくて、当代の仁左様でしか観たことがないのですが、写真とか映像とかで十三世のお姿を拝見したことはあります。ていうか、ぼくは十三世がご存命の時は4年間しか歌舞伎を観ていないのですが、彼は普段からすっかり“生き神様”めいていました。

いつも姿勢よく端正に正座して、ちょっと独特なしゃべり方(これがそっくりご長男の我當丈に遺伝している/笑)してる十三世の記憶が圧倒的です。

最後に拝見したお役は京都南座の顔見世での「八陣守護城」の佐藤正清。ほぼ座りっぱなしだったんだけど、その貫禄というか気迫(こっちの思い込みもあったのかもしれないけど)がすごかった。

結局その舞台が十三世の最後の舞台になって、翌年の3月に亡くなったんだけど、とてもそんな、数か月後に亡くなるような方の演技じゃなかった。多分に記憶の美化があるのは認める。が、でもあの鮮烈さは忘れられないな。



さて、当代の仁左衛門=仁左様は、歌舞伎を観るようになる前からテレビとかでお顔は知ってたので、ぼくにとっても長いこと「孝夫さん」であって、立ってるだけで色気がぽたぽた垂れまくってる超二枚目であった。

ぼくら世代にとっては玉三郎との黄金コンビは海老玉(十二世團十郎丈)でも勘玉(十八世勘三郎)でもなく、圧倒的に“孝玉”なのである。美貌のバランスからして異論は認めない(おいこら)

ところが、今回冷静になって計算してみたら、ぼくが歌舞伎を観ている期間の中ではもう仁左衛門になってからの方が長いのね(孝夫時代が8年で仁左衛門になってから12年)

最初は十三世のイメージもあって「仁左衛門」ていう名前、大御所っぽすぎて(はっきり言うと「爺さんぽい」←コラ)違和感ありありだった。「タカオさん」という、若々しく瑞々しいお名前で呼べなくなるのが寂しかった。

しかし、今や歌舞伎界の大幹部中の大幹部、僭越ながらぼくが「様」づけで呼ぶ唯一の俳優さんなのである。



全然今日の感想に話が進まない。

明日も別口のてくてくがあるので、寝なきゃならん(←計画性ゼロ)

明日頑張って続きを書きます。では。


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