てくてくミーハー道場

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2019年12月22日(日) 『十二月大歌舞伎』夜の部(歌舞伎座)〈予告〉

実は、昨日花組芝居を観終わってからこっちに駆け込みました。

お目当ては最近やたら冒険したがりの玉さん(坂東玉三郎)発案による「本朝白雪姫譚話」だったんですが、これまた。














う〜ん。(えっ?)











私たち、何を見せられてるんでしょう。

5回ぐらい頭を過ったかな、このセリフ。

かつて、白雪姫をトンチキ解釈するブームが映画界に起き、クリヘム兄貴(クリス・ヘムズワース)に一瞬嵌ったおいらもその一作を観た記憶がありますが、そっちの方が1秒ごとにツッコミできてむしろ面白かった。

今作は、何のひねりも新解釈もなく、とにかく真面目に「白雪姫」を日本の安土桃山時代ぐらいの雰囲気でお芝居にしているのである。

サイドストーリーもない。

あ、一つだけ「えっ」と思ったのが、白雪姫の美貌に嫉妬して殺意まで抱く王妃が、継母ではなく実の母親だってところ。

実はこっちの方がグリム童話の通りなんだそうで、それを知ってこの話に対する印象がちと変わった。

そういや「白雪姫コンプレックス」とかいうのがあったな。なんでもかんでもおとぎ話をコンプレックスにしちゃうのってどうかと思うんだが、今はこの話はよしにしておきましょう。話が逸れちゃうので。

それはともかく、なんかひたすら長く感じた舞台でした。グリム童話ならあっという間に終わりそうな話だもんなあ(本当の原作は読んだことないし、昔大ブームになった『本当は怖いグリム童話』も読んだことないんだけど)

で、これは原作に対する文句なんだけど、白雪姫って森に捨てられるまでお城から出たことないおひいさまじゃん、そんな箸より重いものを持ったことのない女の子(今回の舞台では16歳にしてあったが、原作では7歳なんだって。ほぼ幼女じゃないか)が、森の住人達(原作では“世捨て人”らしいです。ディズニー版ではご存じ働き者の小人たち。コビトってのが現代のコンプライアンス上よろしくないので、今回の舞台版ではかわいい子役たちが演じる妖精たちになってました)のおうちに匿われてハウスキーパーみたいな役目を果たせたのかはなはだ疑問であります。妖精たちが、白雪姫が来てからお裁縫やお炊事をしてくれるので助かる、みたいなこと言ってるけど、そんなの「女の子なら自然にできる」なんて大間違いだからな!(なんで怒るの?)

まあ、この舞台では姫は16歳なので、この時代の16歳のお姫様なら、むしろとっくにどこかのお殿様と結婚しているお年頃だな。・・・でも、お姫さまって家事やる必要あった?奥女中とか腰元とかが全部やってんじゃないのか?(こまけえなあ)

そんな、不思議に器用な白雪姫だけど、やっぱり世間知らずというか幼いというか、「ダメだよ」と言われてるのに知らないばあさんから櫛を買ったりリンゴを買ったりしてあっさり仮死状態になってしまう(それも、一回で懲りるならともかく、二回も騙されるという・・・原作ではもっとアホで三回騙されるらしいぞ。まあ7歳だからそこは・・・)

そこへ王子様が通りかかって・・・という展開は皆さまご存じのとおり。

いやしかし・・・なんだこれ、これを歌舞伎でやる意義とは?オーバーじゃなく小一時間の考察が必要であった。


玉さん、あなた何がやりたいんすか。


もともと歌舞伎と白雪姫と言えば、俳優祭の出し物で面白おかしく上演されたものがあって、内輪受け的ではあったが見物は皆喜んで楽しんだものであった。

そういうものなんじゃないのかなあ。



観てて思ったのは、母親・野分の前と鏡の精がなかなかやりがいのある役で、それを児太郎と梅枝にやらせてるところから、玉さんがこの二人を一所懸命育てようとしてるのかな、と良い方へ考えて何とか気を治めるぼくであった。

でも、そんなら昼の部の「阿古屋」で十分それは果たせてる気がするんだけどね。昼の部を観に行かないような客に言われたくないだろうけど。





梅枝が頑張りに頑張って上々吉だった「神霊矢口渡」については、後日にします。ちょっと疲れた。


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