てくてくミーハー道場
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2018年12月25日(火) |
『日本の歴史』(世田谷パブリックシアター) |
ツヨぽんのだけ観る!とか宣言しといて申し訳ございません。
やっぱり観たかったんだもん。三谷幸喜だもん。(え?慎吾ちゃんは?)
もちろん、慎吾ちゃんのせいで(?)チケット難でしたので、三階立見でやっと観れたよお。足腰が心配だったけど、あまりにも面白くて気にならなかったよお。
いやいや、本当に観れて良かった。
年末ぎりぎりに三谷作品を観るのは今回で3回目(2011年『90ミニッツ』、2014年『紫式部ダイアリー』)なんだけど、不思議なことに、年末ぎりぎりに観る三谷作品はどれもぼくにとって大当たりになる。
ほかの時期に観た作品にも好きだったものはあるが、二度あることは三度あるで、今回の『日本の歴史』も、ぼくにとっての三谷作品ベスト10(好きな作品が多すぎるので)に入る大好きな作品となった。
詳しい感想は半永久的に書けなそうなので、今、忘れないうちに箇条書きにしときます。
1.中井貴一が歌えることにびっくりした。
2.中井貴一の頼朝は卑怯(←)。だって本物(大河ドラマ『義経』で演じた)じゃん。
3.慎吾ちゃんの相楽総三も卑怯()。ビジュアルが『新選組!』の近藤勇そのものじゃん。
ちなみに総三は『新選組!』には出てきていない。三谷は歴史上の人物の中でも実はこういう“半無名”な人の方が好きだという。観客が「誰それ?」っていう人を出した、と豪語していたが、ぼくもいっぱしの幕末マニアなので、総三のことは知っていた。つうか、司馬遼太郎読んでたからね。だがさすがに田代栄助は知らなかった。
4.ここが一番「ミタニってすげえな」と思ったところなんだけど、新井白石が宣教師シドッチに、
「西洋には、日本にはない文化がありマァス。それは音楽でェス」
かなんか言われるくだりがあって、凡な脚本家だったら、ここで西洋人がクラシック音楽かなんかを“野蛮な”日本人に聴かせて得意がるみたいなゲスな(ておどるさん飛ばし過ぎですよ?)展開になるところ。
クラシックなんか聴かせられたって、日本には雅楽から連綿と続く邦楽という西洋に引けをとらぬ芸術があるもんねーだ、と反感持たれる危険が待っていたのに、シドッチが発したセリフは何と、「ソレハ“裏打ち”デェス」
負けた(>_<。)←
確かに、日本人最大の弱点!それは裏打ち(コラ)
そしてシンコペーション!←
こういう、人と人の間に陳腐な優劣をつけないところが三谷幸喜の最大の美点ではないかとぼくはかねてから思っている。
5.そしてもう一つ、すげー唸ってしまったのが、お話の一方の主役であるテキサスの家族の一人である「ジュニア」が戦争に駆り出されて、ジャングルで日本兵と対峙する場面。
こういう場合、日本で制作されている日本語の舞台だし、どうしても観客は日本人側に立って観てしまうわけだから、書き手も日本人側の視点で描きそうなものなのに、この場面ではあくまでも視点は「ジュニア」
舞台では日本語だけど、本来は英語であろうジュニアの言葉は相手の日本兵には通じていない。
観客にはジュニアが何を考え、日本兵に対して何を訴えているのかはっきり分かるのに、舞台上の日本兵だけがまるで分かっていない。
観客から見た日本兵は、まるで言葉が通じない“異邦人”なのである。
何を考えてるのか分からない日本兵は、ついに(ネタバレ)してしまう。
太平洋戦争を描くとき、日本の作り手は知らず知らずに日本側を正義に見立ててしまうものだが、三谷はここではあくまでも「主役」に設定したアメリカ人(移民だけど)主体に描いている。
このフラットな視線こそが、三谷を“信頼できる書き手”ならしめているとぼくは思う。
最後に、送り手の期待通りの感想を書くが(このひねくれ者!)、この作品の主題は、
「今の私が直面している困難は、間違いなくかつて誰かが悩んで乗り越えてきたこと。だから絶望するには及ばない」
という、とても三谷らしいポジティブなメッセージである。
年の瀬にこういうスッキリした気持ちにさせてもらって、足は疲れたが(一言余計!)とても清々しい気持ちになれた。
追記 キャストについて。
男性陣も芸達者が揃っていたが、女性陣全員がべらぼうにチャーミングで歌が上手かったのがぼくには大変なヒットでした。
特に、(宮澤)エマちゃんの平清盛(笑)。キーホルダーにしたいくらい可愛かったです。
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