てくてくミーハー道場

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2018年11月23日(金) 新演出版 ミュージカル『マリー・アントワネット』(帝国劇場)

実は10月13日に1回目を観てまして、その時とキャストかぶりなしバージョンを今日観ることができました。

10月13日のキャスト

マリー・アントワネット・・・笹本玲奈

ハンス・アクセル・フォン・フェルセン・・・田代万里生

マルグリット・アルノー・・・昆夏美

ルイ16世・・・佐藤隆紀


本日のキャスト

マリー・アントワネット・・・花總まり

ハンス・アクセル・フォン・フェルセン・・・古川雄大

マルグリット・アルノー・・・ソニン

ルイ16世・・・原田優一


ちなみに、どちらの日もマリー・テレーズ・・・高畠美野 ルイ・シャルル・・・陣慶昭という偶然。




まず、初演を1回だけ観て再演を観なかった人間としての一番大きな感想。

正直な話、初演を観たときに「げげっ(汗)」と思ったんです。

なんつー血なまぐさい、陰気な話だろうと。

そりゃあ、なぜか日本で大ヒットしているフランス革命モノって、お花畑脳というか、きれいごとっぽいのは分かりますよ?

でも、「硬派な話」にするのと、ひたすら血なまぐさい話にするのは別だろうと。

原作を読んでないので、あんまり文句は言えないけど(もしかしたら原作はそういう話なのか?)

かと思うと、フランツ1世がらみの謎解きでいきなりマルグリットとアントワネットが和解するみたいな流れも「昼メロかよ」と思ってしまって。

今頃旧演出版に文句つけてすみません。でもこれは、今回観た新演出版で様々改善されていたことが嬉しかったので書いてみました。

まず、旧に出てきたカリオストロ(謎めいているだけで存在意義不明。悪役としてはオルレアン公とかぶるし)とボーマルシェ(狂言回し、すなわち『エリザベート』でいうルキーニの役どころなんだろうけど、これも結局話がごちゃごちゃするだけ)をリストラ()してすっきり。

この二つの役をやってた俳優さんにはお気の毒であるが、お二人(特に誰とは書きません)は他の舞台でも引っ張りだこなんだから、諦めてください(←)

新ではストーリーテラーをフェルセンにした(『ベルサイユのばら』フェルゼン編と同じ手法)ことが、非常に吉。フェルセンはマリーとマルグリット、二人の「MA」どちらにとっても敵ではない唯一の人物だからだ。

この辺、すばらしい改変だと感心しました。



ただし、新演出版では血なまぐささが一掃されたかというと実はそうではなく、ランバル公爵夫人のくだりでは、そのストーリーを忘れていただけに今回も「げげっ()」となってしまいました。

このくだり以降はさすがに凄惨な史実を「ないこと」にはできず、革命後の恐怖政府時代へと舞台は突き進んでいきます。

実は10月の観劇時には、ここ以降観てるのがしんどかった。一幕の、マカロンのような淡く甘々しい、そして脆い“かりそめの平和”からの落差。これこそが、この作品の創り手が、フランス革命という題材を通じて、現代人の観客であるぼくたちに訴えたい「こと」を最も効果的に伝えるための手法なんだろう、そう覚悟した。

しかし、それにしてもしんどかった。

ところが、今日の観劇では、さほど息苦しさを感じなかった。

もうストーリーを知ってるからなのかな?とも思うが、一番大きな違いは、やはり、玲奈ちゃんと花總の違いだったのではないか、と思う。

玲奈ちゃんのアントワネットは、ひたすら自分の不幸を嘆き悲しみ「私ほどかわいそうな人はいないわ!」みたいに喚き散らしながら死んでいく感じだった。

でも、花總のアントワネットは、死に向かって、どこか達観しているように見えた。

この辺は、『ベルサイユのばら』でマリーを演じた経験がものを言っているのかも知れない。ルイが処刑され、絶望と恐怖の淵にいるところへフェルゼンが魔法を使えるヒーローみたいに現れて、「一緒に逃げましょう!」なんて言っても、「子供たちを残して私だけ逃げるなんてできません!」と敢然と拒否する姿に、アントワネットに完全無欠のヒロイン像を求めるニッポンの観客は、そらもうぐらっときちゃうわけである(なんでそう皮肉っぽい書き方するんだ?!)

観客をこういう甘美な世界へ連れて行くチカラは、さすがは花總まりといわずばなるまい。←

正直、今の彼女の年齢では(おいこら)、前半の恋してキャッキャしてるアントワネットなんか、さすがに無理じゃないかなあ、なんて危惧してたのだ。

ところが、もう、これ、(←語彙)

だいぶぼくの花總ラブ心理が働いているのは認めざるを得ませんが。


そんなわけで、いきなりナナメから斬りかかって申し訳ないのだが、組み合わせとして本日のフェルセン=古川君は、ちょっとバランスがとれてなかった。

つうか、10月にマリオ君のフェルセンを観ながら、「やばい、完璧じゃん(大汗)」と思ってしまっていたからだ。

ちょっとさあフェルセン、カッコ良く描かれすぎじゃねえの?と文句つけたくなるような脚本ではあるんだけど、マリオ君のフェルセンは、「それでいい!大正解!!」と思わせる完璧なヒーローだった。

このお話の後、アントワネットを失ったフェルセン伯爵は、とんでもなく荒れてパワハラ三昧の暴君になり、領地の民衆に惨殺されるという史実を知っているだけに、なんでフェルセンだけこんなに贔屓されて描かれてんだろ?と疑問に思わないではなかった。

が、マリオ君のフェルセンを見てると、そんなこたあどうでも良くなってくるのだった(なんつーテキトーな客/呆)

古川君は、やはりまだ、幼さが出ちゃってるというか。

フェルセンとアントワネットって同い年なんだよな確か。

すごく年下のツバメにしか見えなかったぞ(それは演じてる本人たちの実ねんれ・・・うぐぐ)

組み合わせ、しくったなあ(今頃)



マルグリットについて。

最初に昆ちゃんの方を観たわけだけど、「なんか、ソニンみたい」と思って観てました(何だと?)

いやあ、貧乏で気の強い娘役が似合うなあ(おい)

そして、今日ソニン版マルグリットを観たら、「今までのソニンじゃない?!」と戸惑い。

なんか、歌い方がガラッと変わってたぞ。

なんか、中島みゆきみたいな歌い方になってた。どうしたソニン?!(別に・・・いいと思うが)

ぶっちゃけ、『1789』のソレーヌと変わらんのだろうなあ、なんて見くびっていただけに、すんませんでした!と謝りたいです。とても素晴らしかったです。

とはいえ、昆ちゃんのマルグリットも、全然悪くなかったですよ。



ルイ。

シュガー君のルイは歌唱力はあったんだけど、この作品の中で「ルイ16世」という人物に求められているものが今ひとつ足りてないように感じた。

ぶっちゃけてしまうと、ちょっと「しっかりしすぎて」いるのだ(何だと?!)

そういう意味で、原田君のルイは完璧であった。

もう15年も夫婦やってるのに、未だに奥さんの顔をまともに見ることもできないオドオドぶりがうまかった。歌声は全然似ていないが、(石川)禅ちゃんのルイを踏襲しているように見えた。

ただ、どちらのルイでも「もし鍛冶屋なら」で泣けなかったのが寂しかった。泣きたがりすぎかしら?





これらダブルキャストの面々以外にも、コメディリリーフ的なレオナール(駒田一)とローズ・ベルタン(彩吹真央)の達者さ、ランバル公爵夫人(彩乃かなみ)のしとやかさ(でもかなみん・・・歌は昔より衰えてたように思った。気のせいかな?)、そして『1789』のアルトワ伯とカブりまくりのオルレアン公(吉原光夫)のおいしさ(コラッ)、これまた『1789』に続いておいしいサカケン(役名を出せ!)=ジャック・エベールと、細かく見ていけばきりがない。

ソロはないけどもちろんロベスピエールも登場してる。

フランス革命モノって、いくらでも作れちゃうなあ(不遜)

とりあえず、初演ではあんまり記憶に残らなかったクンツェ&リーヴァイの楽曲が、今回はいくつもぼくの脳裏にインプットされたのが嬉しいです。やはりカッコいいんだよね彼らが作るナンバーは。

そして、舞台にとって脚本やミュージカルにとって楽曲と同等かそれ以上に演出って本当に大事なんだなと実感した新演出版でございました(不穏な発言はやめろ!)


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