てくてくミーハー道場
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2018年02月17日(土) |
『近松心中物語』(新国立劇場 中劇場) |
芝居なんて観てる場合じゃないだろーーーーーっ!?
とスケオタもしくはスポーツファン(のみならず「オリンピックは人類最大の平和の祭典」クラスタ)の皆様に叱られるのは重々分かっておりますが、シアターゴアーというものはそういうものです。お許しください。
でもソワレだったんで、しっかりとNHK総合の中継放送を確認してから行きました。
むっちゃ泣けた+*°(T△T)°+*
羽生君、ほんとうに、ほんとうにおめでとう!!!(号泣)
夢のようだ。いや、夢ではありません。夢なんかじゃない!現実だ!間違いなくリアルだ!!そうでなくてはならない!!!(お、落ち着け)
この件については後日しっかりと書きますので、今日のところはこれで堪忍してください。自制しないと延々と書いてしまいそうですので。
というわけで、現実にこんなに心揺さぶるファクトが起こっているのに、何が芝居だ。紛いもんの喜怒哀楽など何になる、と演劇の楽しさをご存じない方はおっしゃるかも知れませんが、そうではないのです。
マガイモンの板の上の“時間内のキメゴト”の中に、人間の真実はちゃんとあるのです。
そんなわけで、本日二度目の咆哮をお届けします。
(宮沢)りえちゃん、可愛いい〜〜〜っっっ!!!
いとおしい〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!!
はぁはぁ。
これは決して森田剛の叫びではありません。(−−;)ヲイ
もう、なんて可憐な女優なんでしょうか宮沢りえ。
ただ華奢だからというだけじゃないですよこの可憐さは。
苦界に身を沈めた女が、その苦しみの中で見つけた(忠兵衛という)ほのかな火を決して離すまいと縋る細い腕。三界に頼るもののない力のない女の惨めさ儚さを、何とリアルに表現していることか。
もうたまりません。こんなにも守ってあげたくなる梅川を、久しぶりに観ました。
そして、忠兵衛を演じた堤真一。
まず、ネイティブ大阪弁が花丸合格(そこ?!)
・・・大事ですよこれは。見える字では書けませんが、昔ヅカ版「封印切」である『心中恋の大和路』を観たときに、一番もにょったのが生徒の大阪弁の不自然さでしたから。
関西本拠地なのに、情けない!(←字を薄くした意味台なし/汗)
え、えーと、話を戻しますが、堤真一さすがは実力派。
どこから見ても、実直でどこかしら弱いところがある理想100%の忠兵衛でした。
それも、こういった作品はお手の物の歌舞伎界からの刺客(違)市川猿弥丈の八右衛門との共演に全くの不自然さがない。同じものがたりの中の人物として生きている。
実際彼には以前から何の不安も抱いていない俳優の一人だったので、もちろん安心して観に行ったのですが、予想以上にはまり役でした。
実を言って、ぼくはこの『近松心中物語』(演出・蜷川幸雄)を1996年の上演時に観ていて、当時の感想はぶっちゃけ「主役コンビ(坂東八十助(当時)と樋口可南子)よりお亀ちゃんと与兵衛のコンビ(寺島しのぶと勝村政信)の方が数倍インパクトある!」と感動し、主役コンビの影うすいなーと思った(スマン)ことを記憶しているので、今回、こんなに主役の二人に心揺さぶられるとは思っておらず、その点でも今回のこの作品はぼくの心に残ることでしょう・・・って長いね、ごめん。
さて、そのもう一方のサブ主役というか、裏主役という立場のお亀与兵衛ですが、今回のなるしー(池田成志)とエイコマン(小池栄子)は、残念ながらそのぼくの初見時のコンビの強烈な愛らしさの記憶に邪魔されました。
なんか、ぼくが見たいお亀与兵衛の「無邪気さ」が足りないというか。
いや、上手だったんですよ二人とも。それは確かだ。上手なんだけど・・・ほしいものが足りなかった。
完全に「アホやなこの二人。子供すぎる」という感想を持ちたかったんだけど、なにかこう、分別が見えて。
それは、この二人の俳優が成熟しちゃってる(はっきり言え!実年齢のせいだと!←い、言えん・・・そんな/大汗)からかもしれないし、演出家(いのうえひでのり)の考えにぼくが合わせられなかったからかもしれない。
というわけで、1996年時とは逆の感想となってしまった感じです。
今名前を挙げた以外の方々は、しっかりお話の世界の人になっていて、皆さん見事でした。
「プロの俳優の仕事」というものを見せていただいた、という感想。ありがたかった。
総括すると、りえちゃん可愛い
この一言につきます(何じゃそりゃ)
現場からは以上です。←
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