てくてくミーハー道場

もくじ前回てくてく次回てくてく


2018年02月08日(木) 『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』(シアタークリエ)/『ブロードウェイと銃弾』(日生劇場)

誕生日にはマチソワで満腹というのがここ数年の“自分へのごほうび”となっておりますが、今年は上演スケジュールの関係とはいえ、あまりにも食い合わせが異常()なヒルヨルとなりました。





マチネ

平日昼なので一人で(ぼっちが平気な性格)『ファン・ホーム』を鑑賞。

おととしのシーズンにトニー賞を取りまくってて話題になっていたんだけど、そういうの除外してフラットな感想を書かせていただきます。

アメリカって、ずっと病んでるね。←

アメリカンニューシネマ以降から、ひっきりなしに病んでる気がする。

メジャー方面ではハリウッドにしろブロードウェイにしろやたら大金かけて娯楽超大作を作りまくって経済を回している一方で、ちょっと規模が小さい映画や劇場では、ひたすらこうやって内面へ内面へと引きこもって、人生のアレがどーたらこーたら(なぜか小さく立腹風味)と悩みまくっている。

悩むのがそんなに楽しいのかしら?(←なぜか暴言風味)と言いたくなるぐらい、しょっちゅう悩んでいるアメリカ人。

そうやって悩んでいる人たちはたいてい中流階級で、明日食うにも困るような人たちではない。

ヒマだから悩むのかしら? と言いたくもなる。

親との関係、アイデンティティとやら、人生において何が一番大切なのか、自分が生きる価値とは。

あーうざい。(←お、落ち着いて/汗)

明日のご飯のおかずを何にしようかと悩んでいるお母さんの悩みのほうが、よっぽど健全に思える。

まあ、そんなのはミュージカルにならないけれど。



原作の漫画がプログラムにちょっとだけ載っていたのでちょろっと読んでみたのだが、その原作は「漫画」という単語から日本人が想像するような「動かない映画作品」ではなく、「絵付きのエッセイ(または私小説)」だった。

描かれているのは「ドラマ」ではなく、原作者アリソン・ベクダルの「思い出話」なのだ。

もちろんその「思い出話」にたくさんの人が興味を持ち共感したからこそ作品はヒットしミュージカル化までされたんだろうけど、個人的なぼくの好みを言わせていただけば、

「正直、どうでもいいな」

なのだ。

ここでぼくがええカッコしたければ、この作品の主題である主人公とその父親との関係性にぼくの父親とぼく自身との親子関係との間に共通点や何かを見出して、

「父と娘の普遍的なあーたらこーたら」

を書き連ねれば、ある程度大学のレポートで「可」ぐらいは獲れる文章を書けると思う。

ぼくと生前の父との間にも、どこの父子にもあるようなことや、逆に他の家ではおそらくなかったであろうことが一つや二つ存在した。

でも、今それを改めて書いたところで、別に何にもならないんだよなあ。



出演者について。

あさこ(瀬奈じゅん)as アリソン

化粧っ気のない自由業のアラフォー女性(レズビアン)という役どころ。メガネかけてたのだが相変わらず亀梨君に似ている(笑)

力みなく存在しているところが良い。てか、あさこって未だにオンナオンナしてる格好が似合わないな。元来こういうさっぱりしたライフスタイルなのかもしれない。

歌は自然に良いキーになっていた。


吉原光夫 as ブルース

背が高くてスタイル良いんだよね吉原さんて。で、何か威圧感がある。その威圧感が、いつまでも娘に影響を残してる謎めいた父親という役にとても役立ってた気がする。


大原櫻子 as 大学生のアリソン

歌はすごくうまいんだけど、芝居が小劇場女優っぽいのはなぜなんだろうか? まあクリエサイズで観るにはちょうど良いが。


紺野まひる as ヘレン

かつてのお嬢様っぽさは消えて、年齢相応に“母親”を普通に演るようになったんだなあ・・・と若干感慨。声が落ち着いていて良かった。その一方で、ヘレンが単なる「地方都市住まいの既女(三人の子持ち)」ではなく、女優業もやってたりするというある種「悩めるアメリカンニューエイジ」の代表みたいなキャラを演りおおせる派手さもちゃんと残っていて。


上口耕平 as ロイ 他

不思議な存在だったなあ。まあ、ロイは強い印象を残す役だから分かるんだけど、他の役が・・・正直思い出せない。あかんなあ。耕平君は『スカーレット・ピンパーネル』以来だったけど、それも実は「あ、あの耕平君だ」って思ったのはプログラムで名前見たからで。

こんな客ですまん。本当にすまん。


横田美紀 as ジョーン

ヨコタミキ・・・全然知らん女優だ。

と思ってたら、“あの”(『ニャンちゅうワールド放送局』の)ミキちゃんだった!!!

ぜんっぜん雰囲気が違うのである。

こっちが本業(?)なのかしら。めっちゃお芝居上手なんだけど。

恐れ入りました。←


ベクダル家の子供たちは、本日はアリソンが笠井日向ちゃん、クリスチャンが楢原嵩琉(たける、と読むらしい。うーイマドキの子)くん、ジョンが大河原爽介くんでした。

ぼく独自の感想を書いてしまいますが、楢原君が小学生のころの羽生君にそっくりで、心の中でニヤニヤしてしまいました。


てなわけで、なんかモヤモヤしながら(おい)クリエを後にし、ソワレが日生劇場なので日比谷シャンテで時間つぶし。





ソワレ

ミュー友と合流して『ブロードウェイと銃弾』を鑑賞。

直前までタイトルを『ブロードウェイと拳銃』だと思い込んでいた。『セーラー服と機関銃』みたいな話かと(どういうこと?)

どうでもいい話ですみません。

1階席後ろのカベにダーフク(福田雄一センセイ)が張り付いて客反応を観察しているのを見つけてきゃっきゃはしゃぐアラフィフおばさんたち。←

まだ開幕したばかりだからなあ、いろいろ気になるんでしょう。

アラフィフパワーで「めっちゃ面白かったわよ!」と声をかけてあげたかったが、終演後にはいつの間にかいなくなってた。

そうなんです。

めっちゃ面白かったんです(^-^)



・・・でも、その面白さの手柄は(原作の)ウディ・アレンと(オリジナル振り付けの)スーザン・ストローマンのおかげかな? (=_=;)またそういうこと言う・・・

特に、終幕近辺までひたすらはちゃめちゃコメディに思わせといて、「えええっ?!嘘っ!!!?」と思わせるストーリー。

正義(?)が負けて終わっちゃうシニカルな話運びは、さすがは皮肉屋ウディ・アレンだなあと逆に感心してしまった。

(ここでいきなり文句)そういう、観客にとっては若干やりきれない幕切れに説得力を持たすためにも、(ニック役の)ブラザー・トムさん、セリフはもうちょっとスラスラ言ってくださいね(怖!)

まあ、明日まではお許ししますが(三日御定法でね)

ともあれ出演者の皆さん、全員ニンがパーフェクト。

いや、ニン的にはさほど合ってなかったけど、(鈴木)壮麻さんは実力でワーナー役をモノにしていました。以前も太ってる役(『ウェディング・シンガー』のサミー)をおやりになってたけど、その時とは違って最初はスマートでだんだん太っていくのが可笑しかった。

彼を筆頭に(?)、デヴィッドの作品に出るために集まってきた俳優たちは、なぜかみんなちょっとずつ変(^^;)

ビバさん(前田美波里)は、そらあ『Endless SHOCK』フッてこっちに出るわな(おいっ!!!/慌)っつー超オイシイ大女優、ヘレン・シンクレア役。

彼女の登場シーンは拍手喝采モノの派手さでした。

保坂知寿さんは、『ヤング・フランケンシュタイン』に続きダーフクの懐刀的“ちょっとヘンな”女優イーデン・ブレント役。遊んでました。

ほいで、絵に描いたようなアホ女オリーブ“アニメ声”()ニール役に平野綾。

日本中探しても彼女以上にこの役にぴったりな女優はいないであろう(ほめてます!)

あんまり上手いんで『レディ・ベス』の記憶がすべて吹っ飛んでしまいました(嘘です)



と、皆さん本当に良かったのだが、やはり特筆したいのはしろたん(城田優)as チーチ。

肩をいからせて首をちょっと前につん出してる(「つん出してる」ってふぐすま弁かなあ?意味わかるよね?)姿勢がめっさギャングっぽくてステキ。

「Tain't Nobody's Biz-ness If I do」で見せたギャングたちのタップのカッコええことったら!

あのナンバーだけでももう一度観に行きたいぐらいだ。



と、ドタバタ方面のキャストたちに比べると、若干陰キャ()というか、ウディ・アレン映画にはよく出てくる“目立てない人”担当のデヴィッド(浦井健治)やエレン(愛加あゆ)、ジュリアン(加治将樹)、シェルドン(青山航士)などの面々は、いずれも“手堅い”といった印象。エキセントリックな役ではないから観客アピールという部分では損してるんだけど、普通に存在することの難しさをよくクリアしていたと思う。

だってこの人たち、実際は存在が派手だもんね()










まあとにかく面白かった。ぼくが子供舌なのか、歳をとって子供舌に戻ってしまったのか、『ファン・ホーム』にはほろ苦い山菜を「ぺっ」と吐き出してしまうような感想だったのだが、『ブロードウェイと銃弾』は、甘いお菓子を甘いジュースで流し込むような感想を抱いてしまった。

いやあまずい()

もうちょっと頭を使うもの(『ブロ銃』をディスってるぞ?)も観に行こう(いや別に無理せんでも)


もくじ前回てくてく次回てくてく
ておどる 【昔書いていた日記はこちら】Kin-SMA放言