てくてくミーハー道場
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2016年04月14日(木) |
『四月花形歌舞伎』夜の部(明治座) |
最初に。
と当たり前のように書こうとして思ったのだが、こういう“お悼みの言葉”って、影響力のある人が書けば意味があるけど、当日記のような、日ごろ戯言しか書いていない日記なんて、そもそも“そういう方たち”に届くはずもないし、単純に自己満足に終わるだけではないかと思ったので、やめます。(なら最初から書くな)
そうなんだよね、SNSが発達して良くなったこともたくさんあるんだろうけど、要らんことも増えた気がする。
ネットの拡散力を甘く見すぎている人たちが少なくないことは、過去のさまざまな炎上事件が証明している。
だがその逆に(だからこそか)、自意識過剰になってしまっている人たちも少なくないだろう。
ぼくもその一人で、一日に30人ぐらいにしか読まれないようなこの日記すら、いい人に思われたいという下心満々のことしか書けない。
それこそ、ぼくなどに「一日も早く安心して暮らせる日が来ますように」なんて書かれても、現在散々な目に遭っている現地の方たちは嬉しくもなんともないだろう。大好きな有名人が書いてくれるならともかく(相変わらずウジウジしてますねえておどるさん)
さて、長々と芝居と関係ないことを書いてしまった、と書こうとして、意外にこれが全く関係ないことでもなかったことに気づく。
「浮かれ心中」
井上ひさしがこの芝居の原作を書いたのは1971年。才能がないのに売れっ子作家になりたくてたまらない材木屋の若旦那・伊勢屋栄次郎が、有名になるために“炎上商法”を企むが・・・という、45年前にこんな話を思いついた井上ひさしスゴい!というか、45年前から“世間”というのはこういう習性だったんだなあとしみじみ思ってしまう話であります。
いやそれどころか、井上が設定した天明〜寛政年間でもこういう話は通じたであろうと思わせられたから、ざっと230年前から日本人は変わっていない。たぶん、そのずっと前からも、日本のみならず世界のどの地域の人たちでも同じなのではなかろうか。
つまり、人間の本質なんだな。
エンタメの世界で言う、“観客はドS”ってやつです。
つまり、スパルタカスの時代(紀元前!)からの真実なのだ。
やばい。話が大きくなりすぎてまとめられる気がしない。
頭の良さそうなことを書こうなどという無駄なあがきはよして、お芝居の感想を書きましょう。
まず、主役の勘九郎。
この子は“天才”だがお父様は“神”だった。と、この日の日記にぼくは書いたのだが、本作を見た限りでは、まだ“天才”までは行ってなかったな。“大秀才”ぐらい。(それでもスゴいだろが!)
丸本物のように、教科書どおりにきちんとやれば一応マルがもらえるものと違って、世話物やこのテの新作のような「教科書+何か」がないと客がモニョるタイプの芝居は、むしろ“秀才”にとってはハードルが高い。
ジャンルが違うが、「楽譜どおりに1ミリヘルツのズレもなく」歌えてる人の歌を聴いても、なんだかちっとも感動しないのと同じようなものだ。
もちろん勘九郎はただの秀才ではなく“限りなく天才に近い大秀才”なので、そんな単調な歌しか歌えない秀才とは「出来ている」レベルが違うのだが、やはり(神の粋にある)お父さんの記憶はあたいらの脳裡には濃すぎた。
と、それもあるし、勘九郎以外の出演者たちが・・・前回の上演時に比べて、おしなべて弱い。
バランス上それは仕方がないし、みんながんばってたけど、やっぱりなんか・・・弱かった。
「笑わせる難しさ」を、勘九郎を筆頭に、全員実感していたんではないだろうか。
ちなみに、この座組では「ゲスト」扱いのようだった菊之助のおすずは、普通にきれいで優しいヨメだった。が、前回ぼくが観たときの福助(時蔵丈のときは観たか記憶にない)のおすずは、夫の栄次郎に輪をかけたおバカちゃん(←ほめ言葉)で、とってもかわいい“似合いの夫婦”を造形していた。
だからこそますます栄次郎が憎めないキャラになっていたのだ。
観る方は難しい歴史の知識とか必要なくてラクラク観られるこういう芝居こそ、役者にとっては超絶難儀なものなのということがよく分かりました。
「二人碗久」
なんだかあまり菊之助をほめてあげられなくて残念なのだが、ぼくの脳裡の仁左サマが邪魔して()、なかなかの「コレジャナイ」感が。
菊之助も“大秀才”の一人なので、どの役もそれなりにこなすのだが、姿かたちの美しさを超えた「真の美しさ(まことの花)」を醸し出すまでには、まだ少々時間がかかるのではないか、と思われる。
一方、ぼくの中にある「歌舞伎俳優ランキング」の中で目下トップ独走中の七之助(仁左玉は別格なので)。これがもう期待に背かぬ美しさで(とはいえこれも、菊之助と同じ「時分の花」がちょっと進化したレベルなのではあろうが)
七之助ばっかりうっとり見つめているうちに終わっちまいました←
ああ、キレイだった。ひたすらキレイだった。ぼー。←←←
では、昼の部に期待。
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