てくてくミーハー道場
もくじ|前回てくてく|次回てくてく
2015年08月09日(日) |
『南の島に雪が降る』(浅草公会堂) |
1か月近くエントリをサボっていたのは仕事が忙しかったからで、暑さに参っていたわけでもてくてくがなかったわけでもありません。
8月に入るとばあちゃんと交信を始めるぼくですが、今年は今のところ特に。
「お盆」というより、「戦争」がらみでいろいろ思っていますね。
今年は終戦70年ですし、安倍政権がきな臭い動きを見せているせいで、日本人は例年以上に戦争や平和について考えざるをえない状況ですが、考えること自体は、ぼくも大変けっこうなことだと思っています。
考えましょう。逃げずに。
そんな中でも、さすがエンタメオタのわらくし、戦争について考えるにしても、こうして演劇に触れることで考えてしまうわけです。
“非常時”と“エンタメ”。
常に、相反するものと思われがちなこの二つに関して、いつも考えさせられてますからね。
別にぼくはエンタメに関わってる人じゃないのに。←
今日、このお芝居を観させてもらって、わかったようなことはいくらでも書ける気はするのだが、そんなことを書いても何にもならない気がするので、これだけを書いておきます。
あの時代の70年後に生きているぼくたちは、あの時代に、もっと生きていられたはずなのに死んでしまった人たちのことを、ずっと忘れずに考えなきゃいけない。
難しいことをこまごま考える必要がないとは言わないが。
考える必要はあるが。
その根底には、「もっと生きられるはずだった人たちが死ぬような事態をつくっちゃいけない」という気持ちがあるべきだ。
それだけは忘れてはだめだ。
そう教えていただきました。
かといってこの芝居、眉間にしわがよるような話ではまったくないので。
むしろ、とても温かな気持ちになれる、「人間て、なんて優しいんだろう(個人個人は←)」という話だったので。
そういえば、このお芝居の中で『瞼の母』が上演されるんだけど、ラストシーンを、忠太郎が黙って去っていく原作通りのシーンじゃ観客(従軍兵たち)が納得しなくて、母子が再開して幕、という話になっていた。
実は、4月に観てきた梅沢富美男劇団の『瞼の母』がそういうラストシーンに改変されてて、その時はぼく的にはちょっと納得いかなかったんだけど、故郷をはるか離れて従軍している兵隊さんたちが「母子を会わせてくれよ!」と懇願した気持ちは痛く痛く胸に刺さった。
梅沢劇団版がそういうラストシーンを選択したのにも、そういう理由があったのかもな。
演劇が何のためにあるのかっていうのを、そのラストシーン改変に教えてもらった気がしました。
良い芝居でした。
東京では今日千穐楽だったんだけど、これから名古屋、福岡、大阪と回るそうなので、お近くの方はぜひ。(←出演者&スタッフのご要望にお応えしてみました/笑)
|