てくてくミーハー道場

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2014年11月11日(火) 『モーツァルト!』芳雄ヴォルフ(帝国劇場)

クンツェ&リーヴァイ作品の競演状態になっております日比谷界隈。

前にもこんなことがあった気が。

それはともかく、この作品、帝劇ではなぜかクリスマス近辺に千穐楽を迎える(2005年除く)というのが恒例になっておりまして、今回の公演もそう。

でも、クリスマス近辺わたくしは別件が(勝手にしなさい)











なので、早々に(井上)芳雄くん一世一代(←使い方は間違っていません)のヴォルフガングを拝見してまいりました。

モーツァルト本人が35歳で亡くなっているので、今年35歳になったのを機にこの役を卒業するらしい。

だが、本来舞台作品では、役の設定年齢の1.5倍ぐらいの年齢(20歳の役だったら、それを演じる俳優は30歳)の方が、その役にぴったり合うというセオリーがあるので、ほんとならこれからの方がヴォルフガングの根底まで深く掘り下げて演じられるんじゃないかと残念な気がするんだが。

確かに、若いころの野放図なヴォルフガングは、若くて体力が有り余ってないと演じるのキツいかもなあ。

けど、やっぱ(変な言い方だが)円熟したヴォルフを、いつか特別公演みたいな感じでやってみてほしい。『エリザベート』の再々演で、何日間かだけルドルフ復活したんだけど、あれは総毛立つ(←使い方間違ってるけど)ような出来だった。



というわけで、今回すでに円熟した感のある芳雄ヴォルフではありましたが、元々「きちんとした」歌い方をする人なので、こんぐらいこなれてやっと自由人ぽくなってたというか。

おや、あんまりほめてないな。

だって、市村&山口の二大巨頭が自由すぎるんだもの。←

いよいよ、脱線気味かなぁという気がしている。これ以上はやばいんじゃないかなあ。(楽譜上の)原型が消えかかってるし。

ただ、いっちゃん(市村正親)の復帰は、本当に、心から嬉しいです。

ぼくにとっての本当の“いっちゃんの復帰”は、『ラ・カージュ』のザザなんだけどね。







ところで、今回の初お目見えキャストは、ナンネールのおハナさま(花總まり)とヴァルトシュテッテンのおさ(春野寿美礼)、そしてコンスタンツェのソニン。

この中では、ソニンが抜きんでて上々吉。

あとの二人も悪くはなかったんだけど、言ってみれば「想像通り」だった。

ソニン良かったわー。ほんと良かった。

歌はもちろんのこと、プロローグのセリフの第一声から、ちゃんと役を理解して芝居してる。

若干、ピアノとフォルテの落差が激しすぎるところもあったけど(クラシックじゃなくて、洋楽で歌を勉強してきた人にありがち)、感情の乗せ方や声の滑らせ方(←専門用語がわからん)が抜群にうまかった。







ナンネールは、初演からずーっと高橋由美子ちゃんだったからすっかりそのイメージだったんだけど(それも、すごく適役で好きだった)、おハナさまは不思議な人で、存在感はあるわりに強烈な個性というものがないので、意外に「コレジャナイ」感がなく、良かった。

そして相変わらず“少女時代”が抜群に上手い。

“年齢の落差”を演じさせたらピカ一であるなー。

ただ、なぜあんな“濃い”市村レオポルトから、こんなうっすい顔(こらあ!!!)の姉弟が生まれたのかという謎は残った(^^ゞ

観客に決して顔を見せない“ママ”の顔がうっすいんだろうか?(←うるさい!)







エリザベート同様、男役OGだけで押し通すヴァルトシュテッテン(しかも何人もシシィとカブってる!)ですので、今回のおさも、初めて見る気がしない。

この役は、なるたけファルセットでなくヘッドヴォイスで例の高音を出してほしいのだが、日本人でこれをしおおせる人がどうも少ないのが残念。

しかも、元男役だと、長年低めの声で歌う修行をしてきてるので、女優に転向して2、3年経ってもなかなかうまく“声変わり”できてない人が多い。

おさについても転向直後の『マルグリット』で「あちゃー」だった記憶が拭い去れないのだが、あれから5年経ってますし、先々月のコンサートで今のおさの歌声をチェックさせてもらっていたので、そんなに心配はしていなかったのですが、どっちの評価かはお読みになる方に判断していただくとして、

「まあ、こんな感じだろうな」

という感想を抱きました。

それより、おさの場合、江戸っ子訛り(「ひ」を「し」と発音)があるのが、若干気になるのよ。これはもう現役時代からでしたけど。









で、これまで、何回も『モーツァルト!』を観てきて、感想自体はそんなに書いていないんですけど(だって、いつも超絶忙しいときに上演するんだもん←観る時間はあるのね)、今回はちょっと時間があるのでいくつか書いておきます。



その1.毎回台本(+演出)に「???」と思う、コンスタンツェと結婚する云々のくだり。

一体セシリアとトーアバルトは、コンスタンツェとモーツァルトを結婚させたいのかさせたくないのか。

「俺らの目を盗んで乳繰り合いやがって」←いくら小池先生でも(おい)こんな下品なせりふは書きませんが

と乗り込んでくるまでは解る。金をむしりとるために結婚契約書に強制的にサインさせるのも解る。

でも、「結婚するしかないわね」とセシリアに言われて、ヴォルフガングが「けっこん?!」とびっくりするのが毎回不思議でならない。

イヤなのか? なんでイヤなんだ? それこそ、こそこそ乳繰り合っておきながら、結婚はしたくないのか? という疑問。

そして、ヴォルフがイヤイヤ()サインすると、なぜかセシリアが「さあ行くよ」とコンスを連れて帰ろうとするところも謎。

嫁にくれるんでしょ? 置いて行けや(←ヴォルフの代弁)

このあたりの流れが整理できていないから、何が起こってるかわからない(ぼくだけ?)

小池作品って、毎回なんかしらこういうシーンがある。思考回路がぼくと違うのかしら?

まぁ、対処法は簡単。史実を調べればいいんで。

ただ、史実を調べると、ウェーバー一家はあんなにひどいごろつきみたいな連中ではなく、普通に「地方の善良な音楽一家」だったようなのであり。

劇中でもチラッと出てくるが、ヴォルフも最初はアロイジアにぞっこんで、コンスのことなんか見向きもしなかったらしい。

なんで後に結婚したのかは、まだ勉強していませんが。



その2.今度は逆に「全編中一番好きなシーン」

もちろん、一幕のラストシーン、アマデがヴォルフの運命を突きつけるかのように、ヴォルフの腕にペンを突き刺して「血をもって」音符を綴り続けるという壮絶に官能的なシーンも随一なんですが、ぼくはもう一箇所、シカネーダーが『魔笛』の制作をヴォルフに持ちかけるシーンが本当に好きで。

この、劇作家と作曲家が「世の中のみんながワクワクするような作品を作ろう!」と誓い合うシーンの背後に、クンツェさんとリーヴァイさんがこの作品(や、タッグ第一作となった『Hexen, Hexen』)を作ろうぜ!と思い立ったときの姿が見えるのだ。

おそらく、このシーンを作ったとき、お二人も自分たちを当時の(本物の)シカネーダーとモーツァルトにダブらせていたのではないかと。

まさに「胸熱」なシーンなのであります。







てなわけで、書くのすごく時間がかかった(都合三日かかりました・・・)けど、ひとまずアップします。

育三郎バージョンも早く見に行かなくちゃ。


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