てくてくミーハー道場

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2013年07月26日(金) 『ドレッサー』(世田谷パブリックシアター)

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『暗殺教室』面白え〜っ!!!



って、バカ。(←オレが)

いや、『暗殺教室』が面白いのは事実なんですが。

今する話じゃねえだろ。そうだろ。





というわけで、久しぶりにてくてく。

“安心の”三谷幸喜ですが、演出のみです。

演出のみというのは『桜の園』以来わずか2作目だそうですが、『おのれナポレオン』を観逃したぼくとしては、そもそもこの作品自体が好きな内容だったこともあり、前売り敗北の中、勇んで出かけました。

当然人気公演でもうすぐ公演終了ということもあり、当日券窓口は長蛇の列。

結局立ち見となりました。

いや、立ち見でも入れただけラッキーだったかも。

ただし熟年のおらにとって立ち見は○年ぶり(オールスタンディングのライブを除く)

一瞬も退屈しないウェルメイドな脚本&安心の演出ではあったのですが、正直足は相当辛かったれす。

体力の衰えを実感。

来週のゴールデンボンバー、大丈夫かしらん・・・?(←また話が逸れてますよ!)



おっとごめん。

さて、“良かった”舞台っていうのは意外と書くことがないもんで、内容・演出はもちろん、出演者たちも一人残らず素晴らしいという、近来稀にみる出来栄えでございました――としか書くことがない。

この作品、ぼくはまず映画(1983年封切りだったらしい。当時はぼく、いっぱい映画観てたからなー)で観てすごく面白くて好きになり、次に確か柄本明さんのノーマン(1989年上演)をテレビ中継で視たんだったかな。そして、実際に舞台を観に行ったのは、2010年に吉祥寺で上演されたもので、「座長」を渡辺哲さん、「ノーマン」を(コント赤信号の)小宮孝泰さん、座長夫人をノンちゃん(久世星佳)が演った。

これらの過去のバージョンと今回のバージョンの一番大きな違いは、“ドレッサー”ノーマンがオネェ口調じゃないこと。これに尽きるような気がする。

もちろん、今回の大泉洋ノーマンも、演劇界の裏方で、特に衣裳やメーキャップ関連の仕事をしている人によくあるように、オネェまではいかなくても振る舞いが若干シャナシャナ気味で、脚本自体がそうだから、とってもおしゃべり。

それでも、今までのノーマンがオネェ口調だったことから観客がノーマンと座長との関係性に思わず先入観を抱いてしまうような“仕掛け”を、三谷氏は意識的に取り外そうとしていたように思えた。

実際ノーマンと「座長」の関係性は、そういう単純な同性愛的疑似恋愛関係ではなく(「座長」はそもそもゲイではない。両刀でもない・・・と思う)、途中でノーマンがいきなり座長のことを口汚く「あのわがままなクソじじい」みたく罵る場面があることからもわかるように、非常に複雑な部分がある。

ノーマンは座長にとって使用人であり世話係であると同時に母親的でもあり家政婦的でもあり口うるさい家庭教師のような存在でもある。

だが、座長のセリフにあるような「かけがえのない友人」だったとはとても思えないような結末をこの戯曲は迎える。

まして「妻」でも「恋人」でもない。

そういうのは別にちゃんといるし。

あと、この芝居に登場する劇団が本日上演している『リア王』とオーバーラップして、「座長」は「リア」であり、ノーマンは「道化」なのだ・・・ということは観客にはすぐにわかる。

というところで本日ぼくは、

「それなら、ノーマンは座長の“もう一人のオレ”だったのか」

と思い至った。

なぜなら、『リア王』では、「リア」=「道化」という説もあるらしいから。

だからこそ、座長は『わが人生』の前書きにノーマンの名前を出すことを忘れたのだ。

ノーマンは自分自身、自分と一体だったのだから。

自分の人生を振り返るにあたって、“自分”に感謝するやつなんかいない。

“自分”に気を遣ったり、“自分”にご褒美を与えるなんて気持ち悪いことをするやつは、いない(少なくとも20世紀中頃まではいなかった)。

だから座長はノーマンに、死ぬまでなーんにもしてやらなかったのだ。

・・・ロマンティックに考えすぎかしらん。

まあ、普通に考えれば、散々「この男がこの役者にとって“一番大事な存在”なんだろうなあー」と思わせといて、最後にあっさり裏切る・・・ってのが、皮肉屋のイギリス人作家らしいところなんだけどね。



それと、ぼくはこれまでこの作品をノーマン目線でしか観てこなかったので、今回初めて、登場する三人の女性(座長夫人、舞台監督のマッジ、新人女優のアイリーン)が、『リア王』の三人の娘たちになぞらえてあることに気づかされた。

それも、このお三人の役の上の年齢と「長女・次女・三女」の順序は全然一致していない(よね?)ところがステキだと思った。








なんかうまいまとめ方ができない自分の構成力のなさが悔しいのだが、書きたいことはあらかた尽きたのでこれで終わります。

あーそうそう。傑作三谷作品の一つ『ショウ・マスト・ゴー・オン』の、あのドタバタな舞台裏のシーンの元ネタがこの『ドレッサー』にあったことに、これまた今回初めて気づいたぞ。

本当に我ながらぼんやり舞台観てるなあ。

・・・ちっとも蓄積されないな。


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