てくてくミーハー道場
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2013年02月16日(土) |
『アンナ・カレーニナ』(ル テアトル銀座) |
ぼくが個人的に、一路真輝の一番の当たり役(このアンナほど一路真輝に似合いの役はなく、一路ほどアンナを的確に演じられる女優は現在の日本のミュージカル界に存在しない)だと思ってるのが、このアンナ・カレーニナであります。
初演、再演ともちろん観ておりますが、今回の三演目でどうやらファイナルらしい。
なんで? 超ハマり役なのに。
と残念な気持ちです。
原作はご存じトルストイの長編小説でありまして、絵に描いたようなものぐさのぼくが、いやがらせのように文字数が多いロシア文学なんか読破するわけもなく、原作はもちろん読んでおりません(←恥ずかしげもなく自慢げに書くな!)
いやまぁ、長編ロシア文学であると同時に、「激情的な愛に生き、死んだ女の物語」だと思ってたから、大恋愛モノアレルギーのぼくとしては、のっけから全く食指が動かなかったんです。
だが、ミュージカルミーハーであるおかげでこの初演を観て(昔タカラヅカでも上演されたんだが、何か都合が合わない時期で、観られなかった。けっこう評判良かったらしいんだが)
「そうか、ぼくが思ってたほど、アンナが激愛に突っ走ることを礼賛した話じゃないんだ」
と思い至り、気に入りの作品の一つとなりました。
すごく田舎のおばちゃん的道徳観で申し訳ないんですが、結局「若さと情熱で突っ走って、世間への配慮(なんて要るかは分からないが)を失くした行動は、しょせん幸せに成就しない」ということなのね、と思ったわけです。
だからと言って、ぼくがベッツィーみたいな価値観の持ち主かと思われても困るんですけど・・・、あ、何を言ってるんだか分かんなくなってきたぞ、まずい。
初演以来、ぼくが一番共感してるというか、愛しくてたまらないキャラクターは、アンナの夫ニコライ・カレーニンである。
やまじー(山路和弘)の演技が素晴らしいってのも大きな要因だと思うが、鈴木裕美さんの演出(か、小池修一郎の脚本かもわからんが)によるカレーニンは、類型的な「冷たい、世間体だけを気にする機械のような夫」ではなく、「恋愛ごとに“だけ”能力皆無の、同情せずにはいられない不器用な男」であった。
こういう、地位も金儲けの能力もあり、自分を律することに長けており、人から尊敬されることが得意なくせに、「恋の仕方が分かってない」男って、大好きなんだなあボクp(≧∇≦)q(ただし、ものがたりの中に限り。現実に付き合うのは勘弁)
実際カレーニンは、元々の原作でも、単純な「妻をちゃんと愛さなかったせいで若い男にとられた間抜けな夫」ってわけじゃなく、アンナがヴロンスキーとの間に産んだ女の子を、アンナの死後、自分の娘として引き取って育てている、「変わった人」という描かれ方をしているらしい。
「変わった人」か・・・。
ぼくには解る気がするんだけどな。
アンナが産んだ娘なんだもの、自分の娘同様に愛しいに決まってるじゃないか。
それを、「自分から逃げて行った女房と、それを奪った男との間に生まれたガキ」としか思えないような男も世の中にはいる(というか、多い?)のかもしれないが、ぼくにはそっちの気持ちの方が理解できない。
またはカレーニンの行為を、「世間体ばっか気にしてるんだな」という風に考えちゃう人も、ぼくには悲しい人にしか思えない。
カレーニンが世間体ばっかだけの人じゃないところを随所に見せるこのミュージカル作品のストーリーがぼくは好きだ。
セリョージャの10歳の誕生日に、甘々しい「家族愛」の姿なんか微塵も見せることなく、父と子が二人っきりで厳格なお勉強に励む様子を見せておきながら、その中に溢れかえんばかりの「親子愛」を見せる。
セリョージャがカレーニンに抱きつくシーンは、おばさんもう、最初の涙腺決壊ですよ(T^T)
そういや再演までは、この後セリョージャが階段をのぼりながらすらすらと聖書を暗唱していたんだが、今回はただ黙って寝室へ向かって行ったな。ここはセリョージャが秀才だってことを表すシーンだと思ってたので、なくしたのが若干疑問だった。
というわけで、観客層を鑑みたのか(?)、日本版『アンナ・カレーニナ』は、アンナにしてもカレーニンにしても、ひたすら良き母、良き父であることにはとにかく全力を傾けていて、それなのに良き妻、良き夫であることが非常にへたくそで、それがゆえに彼らの幸福は崩壊するという構成のお話になっているとぼくは思っている。
アンナにしても、自分の中の“女”を満足させてくれる情熱的な男と決死の覚悟でかけおちしてはみたものの、結局精神を病んでいくのはひとえに、残してきた息子を自分の手元に取り戻したいから、という一点に尽きる。
それ以外の、ダンナが一向に離婚してくれないこととか、ロシアの上流社会からハブられたこととかは、一路アンナはさほど気にしてないように見える。
ひたすら、セリョージャ、セリョージャ、なのである。
まぁ、そんなに息子が可愛いんだったら、なんで若い男になんか走ったんだ、という言い方もできるんだけどね。
ただ、そうやって、アンナという女が、結婚しちゃった後に“本当の恋”に出会って、後先考えられずに逃げちゃうというところをフィーチャーしちゃうと、やっぱり、保守的な日本のおばさまたちには、あんまり共感してもらえないというか。
若い王子様に熱を上げて、というよりも、夫の冷たさに耐えられずに、という方がおばさまたち(←いちいちそういうこと書くと、反感買うぞ!)に理解してもらえそうではある。
一路さんは、自分から激愛に飛び込むというよりも、よろよろと流されていくような雰囲気を強く持っているので(今頃言って申し訳ないが、ぼくとしては、エリザベートは全然彼女のニンじゃなかったと思ってる。ただしヅカ時代のスカーレット・オハラはめっさ良かったと思ってるので、ぼくの感性もあてにはならないが)、彼女のアンナには、そういう「おばさま受けのいい」要素が大きいような気がする。
そういうわけで、一路さんとやまじーが自然に演じると、アンナにしても、カレーニンにしても、やや老成した雰囲気になってしまう危険性がある。
それでなのか、今回(初演と再演はそうでもなかった)裕美さんの演出では、やたらアンナの動きがオーバーアクションに思えた。
ほんまはアンナはヴロンスキーにとっても「きれいなお姉さん」ではなく、普通に恋愛対象の若い女性(ただ人妻だっただけ)だと思うのだが、そこを強く出そうとしたのだろう。
ただ、それだと、一路さんの大きな武器である“動きの優雅さ”がかなり打ち消されてしまって、シリアスに駆け去るような場面でも、なんか、ドジッ子がバタバタしてるみたいに見えてしまった。
若いころの一路さんならともかく(お、おいっ/激汗)、現在のお歳になってアレは、けっこう○○いぞ?(←こらぁ!!!)
というようなわけで、アンナとカレーニン(というより、一路さんとやまじー)の感想だけ書いてるうちに疲れてきてしまったので、いったんここで終わります。
もう一つの幸せカップル、レイヴィンとキティ(と、それを演じたお二人)についても何か書くべきだとおもうのだが、
葛山信吾・・・初演が初ミュージカルだったんだよね。ぼくも当時はご多分にもれず「歌えんの?」と懐疑的な目で見ていました。上手だったんで括目。以来、テレビドラマでも舞台でも、安心して観ていられる実力派俳優であると認識しております。
遠野あすか・・・再演からのキティ。初演のキティの新谷真弓嬢が、歌はまぁ「意外に上手いじゃん」レベルではあったが、芝居がさすがに手練れですごくかわいいキティを形成していたので、その記憶で観てしまうと、あすかちゃんのキティは、彼女の声質のせいか、なんか「きっつい」感じがする。遠慮なしに言うと、キャラがうるさい。キティって笑わせる部分も多分に背負ってるわりに、後半に向けて「女性のどっしりとした強さ」を出していかなきゃいけないので、なかなかその塩梅が難しいんだよねー。
レイヴィンとキティって、単純に「かわいいカップル」じゃいけないらしいんだ、原作では。
でも今作品では、なかなかそこから抜け出せてない気がするなー。
まぁ、この二人の成婚までをじっくり描いてしまうと、本当に大長編になっちゃうし、話が分断しちゃうからなー。難しいところなんでしょうな。
そして、ヅカでは主演男役がやった役、アレクシス・ヴロンスキー。
初演は(井上)芳雄くんで、まさしく王子王子してましたが、再演からの(伊礼)彼方は、さらに若さバクハツで、突っ走りキャラというか、『椿姫』(というかミュージカル対比だから『マルグリット』)のアルマンみたいな役作り。
女としての人生にひと段落ついた主人公の前にさあっと現れて、やけぼっくいに火をつける役、みたいにぼくも思ってたし、彼もそう演じてるのかもしれない。
だけど、上記のごとくつらつら考えてくると、ヴロンスキーって、そんな、マンガの主人公みたいなキャラではいけないんじゃないだろうか。
アンナと、カレーニンと、ヴロンスキー。
この三角形がきちんと形成されるには、ただ若くてハンサムで、貴族で財産もあって、軍人としての知力体力もあって、みたいな、条件だけが整っててもダメな気がする。
なんか、うまく言えないけど。
まぁ、やたらカレーニンの方に感情移入しちゃってるぼくだから、ヴロンスキーが「あなたたちご夫婦をひっかきまわしに来ました!」みたいなキャラに見えてしまうのかもしれない。
まぁ、こうやって、ひたすら理屈で話を理解しようとするぼくのような人間が、一番扱いにくい観客なんだろうな。
そんなぼくでも、とにかく一路さんが歌う「セリョージャ」には、嗚咽が込み上げてなりませんでした。
この曲は、彼女の2001年のリサイタルで初めて聴いた。その時は「やっぱイチロさんて歌上手いわぁ♪」としか思ってなかったのだが、ミュージカルの中で聴くと、単なる歌じゃなくて、本当に感情のバクハツなのである。
この時のアンナは明らかに幻覚を見ているのだが、一路さんがそこでこの曲を歌うと、その幻覚が、観客にもはっきりと見えるようになる。
ミュージカルの醍醐味です。
うぅ、これでファイナルなんて言わないで(涙)お願い。
まぁ、新しい役を開拓したいのだろうという気持ちは分かりますが、この役は折に触れて演り続けてほしいし、この作品自体、定期的に観ていきたい作品だと思っています。はい。
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