てくてくミーハー道場

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2012年11月17日(土) 『エリザベート スペシャル ガラ・コンサート〈旧星組?版〉』(東急シアターオーブ)

本日はマチソワ。まずはこちら、マチネ公演から。


その前にまず、このエントリは、まず最初に下の一行を10回声に出して読んで、しっかりと頭に叩き込んでからお読みください。

「ておどるにとって、タカラヅカ=紫苑ゆう(シメさん)である」



わかりましたか? わかった方のみどうぞ。






今回のガラ・コンサートで、現役時代にトートを演じていないにもかかわらずキャスティングされたのは、シメさんだけである。

もちろん、星組初演のキャストが諸事情で集まれなかったということもあるのかもしれないが、もっと大きな理由は、とにかく、90年代のヅカファンにとって(そして、ご本人にとっても)、シメさんのトートほど、

「なんで演れなかったんやーーー!」

と神戸弁で喚きたいほど熱望されている“かなわなかった夢”はなかったからだ。

ただ、シメさんが退団後、大劇場でのたった一度のリサイタルでご披露なさった「最後のダンス」を聴いたときには、正直、

「やはり現役でないと・・・」

という感想を抱いたのも事実である(この前の年に宙組が『エリザベート』を上演してて、当時ぼくにとってのナンバーワントートはずんこ(姿月あさと)だったからってのもある。ずんことシメさんとでは、役のつかみ方がかけ離れすぎているのだ)

なので、「今回のこの公演にシメさん出演」を知ったときにも、嬉しさと不安のハーフ&ハーフであった。

ただし、ご自身世界一のヅカファンでもあるシメさんが、現在でも「男役・紫苑ゆう」のファンを裏切らないことを心がけて生きておられることは有名なことなので、そこは安心していた。

だから、まず、容姿に関しては何の心配もしていなかった。

問題は、歌。

ガラコンなので、ダンスはない。

ダンスは、1日サボると取り戻すのに3日かかると言われているが、歌だって、ダンスほどではなくても、舞台で客に聴かせるレベルにまでもっていくには、「昔とった杵柄」がそうそう通用するほど甘くないことは周知だ。

そして、退団後5年目に聴いたシメさんの「最後のダンス」に対する一抹の不満(not 不安)

とても心配だった。

ところが・・・。



杞 憂であった( ̄- ̄ )


出てきた瞬間、

「シ、シメさんって、今年おいくt(←断!!!!)?!」

と驚愕し、

「否。トート閣下に“年齢”などない!!!」

と思い直し、

「いやしかし、実際問題として、なんなんだこの化け物っぷり(←おめえ客席出ていけ!/怒)は」

と、ひたすら感服。

いや、本題はそんなところじゃない。

見掛けが「昔とちっとも変わらないわねぇ」レベルのスターさんなら、他にもいます!(by ゾフィー)

姿スタイルじゃない。

その声である。

退団して18年の歌声ですか? これが(呆然)

先月まで歌ってた声でしょこれ・・・。

すげーレッスンしたんだろうなぁ・・・。

なんか、感激だ。



実に圧巻のトート閣下であった。



さらに言えば、実に「ザ・タカラヅカ」なトートであった。

冷静に言い放ってしまえば、きっと、この「タカラヅカくささ」が苦手なお客さんもいらっしゃるだろう。

「ヅカ版エリザベートってさ、小娘ごのみに改悪されてて、苦手」って方もいらっしゃるだろう。

「この作品は、あんな、少女マンガみたいなご清潔な話じゃないのよ?」とおっしゃる方もいるだろう。

でも、ぼくは申し上げたい。

「これこそが、タカラヅカナイズというものなのです」と。



また、同じヅカファンの中にも、

「シメさんて、どんな役やってもアツいよね(苦笑)」(良く言えば、人物が今どういう感情でいるのか、すごーくわかりやすいお芝居をなさる。悪く言えば、“オーバー・アクション”)

という人がいる。

同意である。

同意した上で、

「だからこそ、シメさんが好きだ!」

と答えたい。

感情をどんどん出すトート。

地上の人間たちが右往左往している中に入っていき、一緒になって一喜一憂している(ようにふるまう)トート。

常に次元の違う場所にいて、超常的な存在感を放つトートもアリなのだが、まるで普通の人間のように仲間に入ってきて(エルマーたちに近づくシーンや「ミルク」の場面で、そう感じた)、あっという間に心を操って望みどおりに行動させてしまう。単に、なんか頭の良さそうな外国人にしか見えない。怪しいと感じさせない。

シシィにだけ、“あいつ”だとわかる。

そんなトートだと思った。

これが、シメさんが創り上げたトートなのか。

感服である。

一番ぞっとしたのは、「最後のダンス」のサビ前に、フッフッフッフ・・・と笑った(声は出してないですよ)ところ。

これから崩壊していくハプスブルクへの嘲笑であるとともに、“死”という人間とはレベルの違う存在であるはずの自分が、人間の女にほれてしまうなどという愚かな(?)ことをしてしまって、これからずっとその女を追っかけていくんだ・・・と、自分自身に呆れているような複雑な笑い。

またひとつ、トートへの深い解釈を見せてくれました。



これだから、『エリザベート』は何通り観ても面白いんデス。

そして、時間的経済的理由(+熱意の足りなさ)でパスしてしまったずんこトートとおさトートを、やっぱり観れば良かった・・・と、今頃後悔するぼくなのであった。


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